第一話 5.神候補・上沢緋女
時間は七篠 如人が校舎裏から一時的に立ち去った時間まで巻き戻る。
園芸同好会の倉庫前には男女が二人向かい合うようにして立っていた。
女の方は上沢 緋女。
赤茶色のロングヘアに、スラッとしたモデルの様な体型で綺麗に整った顔立ちをした、学年でも有名な孤高のクールビューティーである。
そんな上沢の前に立つのは周りの女子と比べても頭一つ以上高い彼女よりもさらに高い身長を誇る男子高校生だ。
「いやぁ来てくれて、サンキューねー緋女! もし来てくれなかったら俺、自殺モンだったわ、マジで!」
男子高校生はチャラい態度と言葉で上沢に話しかけた。
彼の名は、サッカー部の三年生で深井という名前の男だった。いきなり馴れ馴れしく話しかけてくる深井に対し、上沢の表情が曇る。
どうしてこんなことになっているのか、事の発端はシンプルである。
今日の授業が終わり下校の準備をしている途中で、同じクラスのサッカー部の男子がやって来て、上沢に頼み込んだのだ。
別に断っても良かったのだが、少し思うところのあった上沢がここに連れられてくると、そこに彼が姿を現したという訳だ。
深井はこの数日の間に何故か急に上沢に付きまといだした非常に軽薄で言動が不快な男で、初対面から最低な印象の相手だった。
なので、適当にあしらってまともに相手をしていないのだが、それでもめげずに執拗に彼女にアタックを続けている男でもある。
流石にこうやって何度も自分の前に現れてはギャンギャンと喚かれるのにウンザリしていた上沢は、目の前でピーチクパーチクと囀る深井に対し、苛立ちを隠すように努めて冷静に声をかけた。
「それで、こんな場所に呼び出して何か用ですか?」
「そうそれだよ、今日は緋女に最高の話を持ってきたんだわ。マジで緋女が喜ぶ話だからコレ!」
冷静に、クールに、落ち着け、と怒りに沸き立つ自分の心を必死に宥めながら上沢は深井に話の続きを促した。
「……その話の内容はなんですか?」
「それはーなんとー緋女を俺の彼女にしてあげる事に決定しましたーイヤッフー! どうよ感動し過ぎて泣けてきたんじゃねー?」
もはやどこからツッコんだら良いのか分からない突飛過ぎる話の内容に頭が痛くなってきた上沢だったが、返事をせずに黙ったままでいる事で、今の話を肯定したと受け取られても困る。
なのですぐさま「お断りします。この後用事がありますので、それでは」と下げたくもない頭を軽く下げるとその場から立ち去ろうとした。
だが事態は上沢の思惑通りにはならなかったのである。
「ちょちょーい、おいおい緋女ージョーダンがキッツいわーお前が嬉しくてしょうがないのは分かってんべ? さあ俺の胸の中に飛び込んで来いって!」
などとふざけた感じで、深井は立ち去ろうとする上沢の腕を強引に掴むと、無理矢理に自分の方を振り向かせようとして、力任せに引っ張ったのである。
だが深井よりも背が低いはずの上沢の体は全く微動だにしなかった。
「……いい加減ムカつくなお前。相手されてないんだから、とっとと消えろよ」
先ほどまで話をしていた人物と同じ人間が発したとは思えないドスの利いた声が深井の耳に届く。
それと同時に自分が掴んでいる上沢の腕に違和感を覚え、目線を向けた。特におかしな部分は見受けられなかったが、自分の手に伝わってくる感覚に思わず声を上げながら手を離したのである。
「熱っちぃ!!」
深井が慌てて手のひらを確認すると彼女の手に触れていた箇所が真っ赤に腫れ上がっていた。
「もう一度言うぞ? アタシの前から消えろ! 相手にされてねぇんだから、それぐらい分かれ!」
再びドスの利いた声で男に怒鳴りつけると、今度こそ上沢はその場から立ち去ろうと歩き始めた。
「え? あ、は? え、え……」
それに対して、深井の頭の中は混乱の極致だった。
自分の体に起こっている事が、頭で理解できないのだ。数日前からそういった兆候があった。何故か目の前の女子に執着して付きまとい、こうして人目のつかない場所に彼女を誘き寄せてしまったのである。
(あの女を捕まえろ!)
何故そんな事をしたのか理解できない。
(あの女を捕まえろ!)
これは自分の意志ではない。
(あの女を捕まえろ!)
自分が本当に好きなのは、部活のマネージャーの子なのだから。
(あの女を捕まえろ!)
こんな女なんか好きじゃないのに。
(あの女を捕まえろ!)
自分は何をしているのだ?
(あの女を捕まえろ!)
さっきからうるさい!
(あの女を捕まえろ!)
お前は誰なんだ?
(あの女を捕まえろ!)
俺は……何をすれば?
(あの女を捕まえろ!)
女を、捕まえなくては……
「うぅ、あぁー!」
呆然と立ち尽くしていた深井が突然大きな雄叫びを上げた。
その雄叫びを聞き上沢は慌てて深井の方へと向き直るが、既に彼はこちらを目掛けて飛びかかってきていた。
体勢が不十分だった上沢は深井から逃れることが出来ず、そのまま地面に組み伏せられてしまう。
「チッ、本当に最低な男だな! 振られたら暴力に訴えるとか下衆の極みもいいところだぜ!」
両手を押さえつけられ、背を地面につけた状態の上沢だったが、その態度には余裕があった。
上沢緋女の身長は百七十センチを超えている、同級生と比べても背の高い女子生徒である。
しかし上沢を組み伏せている深井はそれよりも十センチ近く身長が高く、サッカー部のレギュラーという事で、かなりの体格を誇っていた。
そんな深井に対し上沢が余裕を持てる理由、それは彼女も七篠と同じ〈次の神候補〉であるからだった。
「手加減はしないぞ? 怪我をしても文句は言うなよ」
深井に対し警告とも取れる言葉を発し、上沢は彼女が神から与えられた、その能力を発動させた。
『発熱』――それが上沢緋女の固有の能力である。
自分の触れた物体や自身の体温の熱を上げさせる能力。
それが彼女の持つ能力だった。
さっき深井が掴んでいた上沢の腕を離すことになったのは、この能力が原因だったのである。
再び発動した能力により、先ほどと同じく深井の手がだんだんと熱されていく。
しかし先ほどと違い深井が上沢の手を離すことはなかった。
ゆっくりとではあるが深井の手には熱によるダメージが蓄積されているはずなのだが、深井にその事に対するリアクションは全くなかったのである。
余裕のあった上沢の表情が怪訝なものに変わっていく。
「効いていないのか?」
そこでようやく上沢は深井の異変に気が付いた。彼の肌には、いつの間にか黒い痣が浮かび上がっていたのである。
その黒い痣は深井の顔や腕など目に見える部分の所々に現れていたのだ。彼の表情は醜悪に歪み、さっきまでのチャラさなど微塵も感じさせず、そしてその顔は少しずつゆっくりと上沢の顔に近づいてきていた。
そうなってようやく上沢は自分の身体能力で深井を振りほどこうと動き出した。
〈ヤッパリオマエ、カミコウホダッタナァ〉
上沢を組み伏せてから初めて深井が声を出した。だがその声色は今までの彼とは全く違うものだった。
「なにっ!?」
その声と深井の変貌の謎を解こうと彼の顔に視線を移した上沢は声の正体に気付き思わず声をあげてしまった。
醜く歪んだ深井の顔、そして声を発したその口内にいたソイツらと上沢の目が合ったのである。
口の中にいたのは蜂だった。体長五センチほどの大きさの蜂が二匹、深井の口の中から上沢を凝視していたのだ。
〈セッカクヨウイシタ、カワイイヘイタイバチナンダ〉
口の中の蜂が上沢に聞こえるように交互にゆっくりと語りかけてくる。
〈コノガッコウノヤツラ、ゼンインニトリツケテヤロウト、オモッテンダカラヨォ〉
上沢に対して蜂はカチカチと威嚇するように音を鳴らしながらゆっくりと語りかけてくる。
〈オマエニモ、プレゼントシテヤルゼェ〉
恐怖を煽ろうとでもいうのか深井の顔が上沢の顔に向かってゆっくりと近づいてくる。
「いらねえよ、その臭え口を近づけるんじゃねえ!」
どうにか深井を振りほどこうと暴れる上沢だったが、両手や体をしっかり押さえられており、すぐに抜け出すのは無理そうだった。
上沢が脱出できない事が分かったのだろう深井は大きく口を開くと少し後方へと頭を移動させた。
その動きを見た上沢は深井の……いや蜂の目的に気が付いた。
深井を無理やり自分にキスさせる、いやそれどころか口元に噛み付いて無理にでも口をこじ開けてそこから直接体内へと進入するつもりなのだ。
〈オマエヲ、ゲボクニ、カエテヤラァ!〉
次の瞬間、深井の頭が大きく後方に振られると、そのまま上沢の口へと一気に距離を詰めてきた。
だが上沢からみると相手の目的が分かってしまえばその対処は何一つ難しいという事はなかった。
ゴスッと鈍い音が辺りに響き亘る。
それは深井の口に上沢の額が激突した音だった。
上沢が深井の顔面に対し、頭突きで対抗したのだ。
深井は頭突きによって体勢を崩し、その隙を突いて上沢はようやく抑え込みから脱出し、立ち上がることに成功したのである。
上沢は少し反省した。
両手にだけ能力を発動してしまったのが失敗だったと、初めから自分の体全体に能力を発動しておけば良かったと。
今回はギリギリ対処が間に合ったが、負わなくても良い怪我を負ってしまったのは、若干授業料が高くついたかもしれない。
何故なら今の頭突きの衝撃で上沢の額から血が流れ出し始めたからである。
ゆっくりと立ち上がってくる深井を警戒しながら上沢は考える。
上沢からすればここで蜂を使って深井を操っている奴の正体に繋がる何かを掴んでおきたい。
だが果たしてこいつが簡単に尻尾を出すだろうか?
もし蜂野郎が上沢の想像するあの男だとすれば、せめてその確証は得ておきたいのだが……
上沢はこれまでに分かっている蜂野郎の情報を整理しておく。
一つ、この蜂野郎は蜂を他人に取り付かせて人を操る能力者である。
二つ.学校内の人間すべてに蜂を取り付かせて下僕にしようとしている。
学校の人間を全員下僕にしていったい何を企んでいるかまでは分からないが、どうせ碌な事じゃないだろうし、こいつの目的なんてどうでも良い。
だが明らかに常軌を逸した能力の使い方であることは間違いない。本当にこいつはこんな能力の使い方で〈次の神〉になれるとでも思っているのだろうか?
もしそうならばコイツは狂ってるとしか言いようがない。どちらにせよこちらに危害を加えてくる以上、黙ってやられてやるつもりなどありはしなかった。
「それで? これからどうすんだ?」
特にアクションを起こす事のない深井を注意深く観察しながら上沢は、その体内に潜む蜂に向かって話しかけた。
「ひょっとしてこっちが近づくの待ってんのか? なら教えてやるよ。アタシはお前らに近づかない。絶対にな」
向こうからの返事はないが上沢は慌てない。
いや慌てる必要がなくなったと言って良いだろう。
何故なら既に準備は終わっているのだから。
「取り付いてる奴に感覚はないみたいだけど、その中にいるお前らはどうなんだろうな?」
向こうがどう出るのか、いや、いつ出てくるのかを注意深く観察してやればそれで良いのだ。
「どこまで我慢できるんだ? お前はどの程度の熱までなら耐えられるんだ?」
上沢の捨て身の頭突きで既に条件は満たしている。
能力を使っている彼女に触れたモノ、触れられたモノは例外なく熱を発する。
蜂は深井の口内に潜んでいた。そしてそこは上沢が頭突きで深井に対し攻撃をしかけた場所だ。
だからそこから能力が発動する。どんどん口内が熱されていく。
やがて一分も経たないうちに深井に変化が現れ始めた。彼が首を前後左右に振り始めたのである。
そこから十秒もせずにに深井が上沢に向かって再び襲い掛かってきた。
さっきは不意をつかれたため後れを取ったが、今度は万全の状態で待っていた上沢にそんな攻撃が通じるはずもない。
深井の左頬に上沢の右拳がカウンター気味に直撃する。
バランスを崩して前のめりに倒れゆく深井。
それと同時に口の中から蜂が勢いよく飛び出した。
〈ギィィィ、ヤァァァッ〉
奇声を上げながら宙を舞った蜂はそのまま上沢の横を素通りして校舎に沿って真っ直ぐに飛んでいく。
それを追おうとした上沢だったが何者かに足を掴まれたせいでバランスを崩しその場に膝を着いてしまった。
上沢が何者かに掴まれている自分の足を見ると、そこには倒れたはずの深井がおり、彼の手が彼女の足首を捕まえている。
「チッ、逃げたのは一匹だけかよ」
地を這いずりながら大きく口を開けて、深井が迫ってきていた。
「離せ!」
掴まれているのとは反対側の足で深井を蹴り飛ばしている間に、深井の口から出てきたもう一匹の蜂が上沢を無視し背後へと飛んでいくのが見える。
先に逃げた蜂よりもあきらかにスピードが速く、あっという間にもう一匹の蜂の元へと追いついてしまう。
上沢は全く動かなくなった深井の手を振りほどくとすぐに立ち上がり逃げた蜂の後を追いかけた。
恐らくあの蜂の逃げた先にそれを操る本体がいる筈だ。そう確信を持って上沢は蜂を逃がすまいと猛ダッシュで追いかける。
前方を飛ぶ蜂が校舎の角を曲がるのが見えたその時だった、その校舎の角から男子生徒が姿を現したのである。
上沢はその姿を見て自分の推測が間違っていなかったと確信を持った。それと同時に能力を手に発動し、先制攻撃の準備を整えながら叫ぶ!
「やはりお前だったか! ついに正体を現したな! 蜂野郎!」
声を出しながら近づいた上沢は左腕を大きく振り回すようにして姿を現した男子生徒に殴りかかった。
そうする事で右側にある校舎の壁へと相手を誘導して、逃げられないようにする為である。
先制攻撃は防がれたが、男子生徒に対し上沢はすぐに追撃を仕掛ける事で思惑通りにそのまま校舎の壁に追い込むことに成功した。
上沢は油断することなく男子生徒を睨みつける。
目の前にいるのは、〈神〉から貰った能力で蜂を創り出し、この学校を支配しようと企み、上沢を下僕にする為に罪のない他の生徒を利用した男だ。
上沢緋女は絶対に許すことができない、最低の男である七篠如人を怒りを込めた瞳で睨み続けるのだった。
次回、主人公激突。
読んでいただきありがとうございました。
良かったらブクマや感想、評価をお願いします。