第四話 13.芽吹く右目。規格外の超再生と、人形を撃ち抜く逆転の弾丸
西日に照らされた公園。影が長く伸び、空がオレンジから朱色へと移り変わる中、七篠 如人の視界の右半分が突如として漆黒の闇に塗り潰された。
「え……?」
緊張感のない、呆けたような声が如人の口から漏れる。
右腕にしがみついた黒い人形を引き剥がそうとした瞬間、背後から北口 穂乃果の「その中に緋女ちゃんがおる!」という悲鳴が上がった。上沢を傷つけることを危惧し、慈悲ゆえに生じた一瞬の硬直を、呪いの人形は見逃さなかった。
人形が放った小さく鋭利な拳が如人の眼球を直撃し、視神経を断ち切る衝撃と共に光が奪われたのだ。
「ああ、うわぁあああー!!」
絶叫したのは、如人ではなく北口だった。
確かに人形の中には上沢の心が囚われている。だが、彼女を逃がすために上沢の魂が入った人形は、再びパペットちゃんの支配下に落ちたのだ。北口は恐怖のあまりそれを失念し、一人で動く人形を見て上沢の自我が戻ったのだと勘違いしてしまった。現実は残酷だ。人形を動かしているのは――。
「油断したねぇ。隙だらけだったよぉ、お兄さん?」
土の汚れを払いながら、パペットちゃんが愉悦に満ちた笑みを浮かべる。彼女の肩には、如人の視界を奪った張本人である黒い人形が、不気味に鎮座していた。
「女の子にぃ、あんな乱暴しちゃうような人にはぁ、お似合いの罰だよねぇ」
「……女の子、ね。冗談でしょう?」
如人は右手で欠損した右目を押さえながら、静かに、しかし冷徹な響きのある声で答えた。
「あれぇ? ひょっとしてぇ、気づいてたぁ?」
「……まあ、流石に。君の動きは、人間としては洗練されすぎていて、かえって不自然でしたから」
「そのとぉーりでぇーす! 私のこの身体は、実は等身大のお人形でしたぁ!」
パペットちゃんがおどけながらクルリとその場で回転する。
「私の能力は、人形を操る能力。だからぁ、当然この私の身体も『操り人形』なのでぇーす!」
「君は……自分のその力を、人を傷つけるために使って、心が痛まないんですか?」
「べっつにぃー。どぉせもうすぐ世界は滅ぶんだからぁ、他人がどぅなろぉと関係ないよぉー」
「……世界が滅ぶ? どういう意味です? それが、君たちの目的なんですか?」
如人が問う。パペットちゃんは「やだなぁー、知らないのぉ?」と、狂信的な光を瞳に宿して語り出した。
「今年の七月に、世界が滅ぶって予言だよぉ」
「ノストラダムスの……? 知っていますが、それがどうしたんです。君は、その予言を信じているっていうことですか?」
突如として飛び出した世紀末の予言に、如人の脳内では情報の精査が走る。
「つまりぃ、私たちはぁ、〈神〉によって選ばれた存在でぇ、世界が滅んだ後も生きていくことを許された特別な存在なのぉ。それが『能力者』の正体だよぉ」
「……何ですか、それは」
如人の口から、呆れたような溜息が漏れた。
本物の〈神様〉から聞いた話とは致命的に食い違っている。
「プロフェッサーがそう言ってたよぉ? だからぁ、プロフェッサーは少しでも生き残る人間を増やすために、普通の人に能力を与える『実験』をしてるんだよぉ」
「能力を与える、実験……」
「なのにぃ、お前らがぁ実験の邪魔ばっかしするからぁ、私たちはぁ怒ってるんじゃんかぁ!」
如人は鋭く切り返す。
「ちょっと待ってください。だったら君は、正式な『神様候補』ではないということですか?」
「正式な、ってぇどういうことぉ?」
「君の能力は、そのプロフェッサーからもらったものなのか、それとも……」
「えー、違うよぉ。『白神様』だよぉ」
「白神様……。白いフードを被った神様のことですか?」
「そうそう、知ってんじゃぁーん! 最初はぁ、夢の中に現れたんだよねぇ。そんでぇ、その次はぁ本当に目の前に現れてぇ……」
「現れた……? 君の前に、あの神様が?」
如人の思考が加速する。あの神様が、後継者が決まる前に特定の誰かの前に姿を現すなど、あり得るのだろうか。
「そうだよぉ。私たちはぁ白神様に選ばれたんだもぉん。二ヶ月後に世界を滅ぼして、白神様が新たな世界を創造するお手伝いをするんだよぉ」
濁った瞳で恐ろしい計画を口にするパペットちゃん。如人は理解した。非常に不味い事態が、水面下で進行している。
「……そんなこと、させないと言ったら?」
如人が、かつてないほど強い決意を込めて宣言した。パペットちゃんはヘラヘラと嗤っていたが、刹那、感情を完全に消し去った冷ややかな声で答えた。
「えぇー……お前には無理だよ。片目の見えない欠陥品がぁ」
パペットちゃんの姿が、夕闇に溶けるように消えた。
如人の奪われた右目の死角へ回り込み、致命的な一撃を叩き込もうと突進する。
だが。
――ゴッ!!
鈍い衝撃音が響き、吹き飛んだのはパペットちゃんの方だった。如人の拳が、正確に彼女の顔面を捉えたのだ。
「がっ……あぁ!? なんで、なんでだよ! 見えてねえはずだろ!」
地面を転がりながら、パペットちゃんの口調が素に戻る。彼女が信じられないものを見るように顔を上げた瞬間、その動きが完全に凍りついた。
如人の顔。黒い人形に潰され、赤黒く染まっていたはずの右目が――完全に「再生」していたからだ。
如人は、潰された眼球を一旦「植物の種」へと変換し、そこから体内のエネルギーを代償に超高速で芽吹かせ、再び生体組織へと戻したのだ。全身を倦怠感が襲うが、戦闘中に視界を欠くという致命的な不利を、彼は強引に突破した。
「なんで、という顔をしていますね。……僕の能力を、ただ草を生やすだけだと思っていたんですか?」
「おかしいだろうが! そんなのできっこねえ! 騙しやがったな!」
「いや、別に騙してはいませんよ。勝手にそう思い込んだのは君たちの方です」
パペットちゃんは、初めて焦燥を感じていた。
この男、頑丈すぎる上に、回復力まで規格外だ。手元にあるのは自分とえっちゃんの二体のみ。播磨と対峙している「本物のえっちゃん」からの連絡は途絶えたままだ。
残された手段は一つ。人形がないのなら、その場で作ればいい。
「だからぁ……まずはぁ、お前ぇっ!」
パペットちゃんが牙を剥いた先は、背後の北口穂乃果だった。
如人が必死に自分の気を引き、北口を引き離そうとしていたのは、この事態を防ぐためだった。しかしパペットちゃんに余裕がなくなったことで、方針が切り替わった。如人の心を折るために、その目の前で生贄を作る。
「穂乃果ちゃん! こっちに来てください!!」
如人の叫びで、放心状態だった北口が弾かれたように走り出す。パペットちゃんは如人の蔦の射程を見切り、大きく迂回しながら北口の背後へと回り込んだ。
「今更逃がそうともう遅いっ! そこから、その小娘がぶち殺される瞬間を、その治った右目に焼き付けろっ!」
勝利を確信したパペットちゃんの嘲笑。だが、如人は、驚くほど冷静だった。
「そう、穂乃果ちゃん。それでいいです。……そのまま真っ直ぐ来てください。大丈夫、僕が絶対に守りますから」
如人が右手の人差し指を天に向け、そしてそのまま、真っ直ぐ前方へ突き出した。その余裕が、パペットちゃんの神経を逆撫でする。
「死ねやぁぁぁッ、小娘ぇ!!」
溜め込んだ全エネルギーを解放し、パペットちゃんが跳躍した。
「絶対に、させません!」
力強い宣言と共に、如人の指先から「何か」が凄まじい勢いで撃ち出された。
パンッ! という乾いた音。パペットちゃんの攻撃が届くより速く、放たれた弾丸は正確に彼女の眉間を撃ち抜いた。
衝撃でバランスを崩したパペットちゃんは、北口に触れることすらできず、前のめりに地面へ倒れ伏した。
「しちじょー、しちじょー! うわぁぁぁん!」
死の淵から生還した北口が、如人の胸へと飛び込む。泣きじゃくる彼女を、如人は抱きしめた。
「お、お前……っ、何をしたぁ……!?」
倒れていたパペットちゃんが顔を持ち上げる。その眉間には、直径数センチの穴が開いていた。
「その身体と君の本体、痛覚が繋がっていないんですね。……良かったです、これなら心置きなく壊せる」
如人が、どこか淡々と言った。
「し、質問に答えろぉ! 銃なんて、どこに隠してやがった!」
「銃じゃありませんよ。……パペット=チャン、君は『鳳仙花』という花を知っていますか?」
「ホウセンカ……?」
「そうです。この花には、弾性の力を蓄積して、弾ける瞬間に種を遠くに飛ばす特性があります。君の頭に打ち込んだのは、僕が能力で生成した『植物の種』ですよ」
「なぁっ!?」
戦慄したパペットちゃんは、慌てて額の穴に指を突っ込んだ。種はまるで根を張ったようにびくともしない。
「……もう止めておきなさい。ここで引いてくれるなら、これ以上は何もしません」
「ふざけんなよ……っ! ここまで虚仮にされて、引けるわけねえだろ!」
必死にもがくパペットちゃん。だが、その動きの半分は演技だった。彼女の真の狙いは、如人の注意が自分に逸れている隙に、背後の「えっちゃん人形」を再起動させ、北口の喉を掻き切ること。
視線で悟られないよう、黒い人形へ意識を送る。
今だ。やれ、えっちゃん!
だが。
待てど暮らせど、人形は動かない。
驚きと共に横目で見ると、そこには信じられない光景があった。
何故か黒い煙を上げながら、えっちゃん人形は倒れ伏しているのだ。
そして――。
「……はぁ?」
パペットちゃんの口から、今日一番の間抜けた声が漏れたのだった。
次回、VSパペットちゃん決着です。
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