第一話 4.襲撃
1999年5月
七篠 如人が登校を再開してから二週間が過ぎた。
登校再開からさすがに一週間も過ぎると七篠フィーバーも下火になり、それからさらに一週間が経過すると平穏な学校生活が戻ってきていた。
朝起きて、学校に登校し普通に授業を受け、放課後同好会活動で草花の世話をし、家に帰る。これまでと同じ生活のはず……なのだが、七篠はそれを全く同じであると思ってはいなかった。
その理由はここ最近、常に誰かに監視されているような、そんな気がするからである。授業を受けている時も、草花の世話をしている時も、登下校中も何故か視線を感じているのだ。
自意識過剰なのかとも思ったのだが、事故にあってからは以前よりも感覚が鋭くなっている自覚があるため、誰かに見張られているというのは、あながち勘違いではないのかもしれないと七篠は考えていた。
なので視線を感じた時などは周辺をさりげなく探ってみるのだが、それらしい人物をみつけることができなかったのである。
そんな日常を過ごしていたある日の昼休み、七篠は友人と二人、学食で昼食をとっていた。日替わり定食を食べながら、七篠は目の前でうどんを啜る友人に最近の自身が感じている事について尋ねてみることにする。
「最近、誰かにずっと見張られてるような気がするんだ」
「ん? ああ上沢だろ? お前何かしたの?」
「え?」
「え?」
七篠が驚いた顔になると、友人も同じように驚いた顔になった。
「誰だって?」
「だから上沢だよ、上沢 緋女。いつもすげぇ目付きでお前の事を見てるからさ、何かしたのかなと思ってたんだが?」
「いや知らないよ、ていうか上沢さんって誰?」
「知らないって事はないだろ? クラスメイトじゃないか」
「そんなことないよ。だって自己紹介とかしてないじゃんウチのクラス!」
実は七篠は未だにクラスメイト全員の顔と名前が一致していなかったりする。それは新しいクラスに付き物の自己紹介をしていないのが原因だった。
「いや、しただろ? ああそうかお前入院してたんだったか」
「えーっ! そうなの?」
どうやら七篠が入院中に自己紹介は終わっていたらしい。
「それにしても、普通はクラスメイトの名前くらい覚えるだろ?」
「まだ覚えてる途中なんだよ。女子の名前なんてさしあたってそんなに重要じゃないだろ?」
「いやいや、可愛い女子の名前を優先的に覚えるのは常識だろ?」
友人は呆れた顔になって七篠の事を残念そうに見ながら言った。
「そんな常識は知らないよ」
「まあ別に良いけどよ。あんな美人怒らせるとかお前どうかしてるぜ」
「いやだから本当に知らないんだって。心当たりなんて……あ!」
「あん? やっぱりなんかあるんじゃねえか。どうすんだよ?」
「いや確信があるわけじゃないんだけど、ひょっとしたらっていうのがあって……」
「だったら謝っとけよ。美人の女子から恨まれるとか、俺だったら嫌過ぎるぜ」
「そうだね、そうするよ。それで上沢さんってどの席の子?」
昼食を終えた七篠はすぐに教室に戻り、友人に教えてもらった上沢の席を確認する。彼女の席は退院後の初登校の日に、彼を冷ややかな目で見ていた女子生徒の席と同じだった。
だが肝心の彼女の姿は自分の席にも教室内にもなく、昼休みが終わる間際まで教室には戻ってこなかったのである。
その後、授業担当の教師とほぼ同時に教室に戻ってきた上沢の姿を見て、七篠は少し疑問を持った。
友人の言うとおりならば、彼女は自分の事を敵視しているはずで、教室に戻ってきた時にこっちの方を確認するくらいの事があっても良さそうなものだと思っていたのだが、上沢は七篠に一瞥をくれることもなくそのまま自分の席に座ったのである。
ひょっとして友人の勘違いなのではないかと思ったが、彼は嘘を吐くような性格ではない。なので一度上沢本人に話しかけてみようかと考えて、七篠は一つ重大な事実に気が付いた。
彼女に話しかけるきっかけ、というかどう話しかければ良いか、その方法が全く思い浮かばないのだ。
そもそも一度も話したことのない女子に自分から話しかけるというミッションの難易度の高さに七篠は気が付いてしまった。
なにせ〈次の神〉候補になってしまったとはいえ、七篠は世間一般でいうところの平凡で一般的な男子高校生であり、同学年の女子生徒とは退院フィーバーが終了した今となっては挨拶や社交辞令的な会話以外、全く縁のない男である。
昼食の時も、余りにも突然の情報に何も考えずに教室に向かってしまったが、本来ならば彼女に話しかける前に考えておかないといけない事をすっかり忘れてしまっていたのである。それはつまり、上沢緋女が彼の入院中に花壇や草花の世話をしてくれていた人物であるかどうか、という事だ。
七篠は彼女の怒りの原因が、その件で礼がないことに対して怒っているのではないかと、そう考えたのだ。しかし、こうして落ち着いてよく考えてみると、その考えには何一つ彼女が恩人だという確証がなかったのである。
◇◇◇
そんな訳でその日の授業が終わった放課後、七篠は事務室の芦名のもとを訪れていた。
「芦名さん、先日のお願いした件についてなんですが……」
「えーと、君の代わりに植物の世話をしていた女子生徒に言伝を頼まれていた件ですかな?」
「それです」
「その件なら、先日その女子生徒に会ったので、きちんと伝えておきましたな」
芦名からの言葉を聞いて、七篠は自分の考えが当たっていたことを確信する。
「あ、やっぱりそうなんですか?」
「うん? 話が見えませんな。何かあったんですかな?」
「どうやら、いつまでたっても僕が礼に来ないので怒らせてしまったみたいで」
「ああ、ひょっとすると私の伝え方が悪かったのかもしれませんな。というかその生徒が誰か分かったんですかな?」
「クラスメイトでした。だから僕が休んでいるのを知っていたのでしょう」
「そうでしたか。誤解が解けると良いですな」
「はい。ありがとうございます。それではこれで」
「はいどうも」
そうやって事務室から退出しようとした七篠は、そこで先日芦名から頼まれていた話を思い出した。
「ああそうだ。依頼を受けていた蜂の巣の件なんですが、まだみつかっていなくて……」
「蜂の巣? あっ! それならもう探さなくて大丈夫ですな」
「え? もしかしてみつかったんですか?」
「いえそうじゃありませんが、最近は蜂の目撃報告がめっきり減りましてな。もう大丈夫だろうと判断したわけですな」
「なるほど。わかりました、それでは失礼します」
そう言うと今度こそ七篠は事務室の外に出た。
「もう蜂は気にしなくて大丈夫か、しまったなあ、あの時キッチリ捕まえておけば良かった」
新種の蜂の発見者になれなかったのは少し残念だったので思わず、それが声に出てしまう。
「まあ僕なんかじゃ、大それた事は最初から無理だったって事だね。さて切り替えて植物の世話に勤しもう」
自分で自分を慰めるような言葉を口にして、七篠は歩き出すのだった。
◇◇◇
事務室を後にした七篠はその足で校舎裏にある園芸同好会が使用している倉庫へ向かった。倉庫は園芸同好会の花壇がある場所とは校舎を挟んだ反対側という場所にあり、放課後になるとまず人が立ち寄らない場所である。しかし人が立ち寄らないという事は逆に言えば人目につきにくい場所という事であり、この学校内においては有数の告白スポットとして一部の生徒に知られる場所でもあった。
とはいえそういったイベントが頻繁にある訳でもないので七篠は特に気にすることもなくいつも通りに倉庫へやってきた。のだが、今日はその倉庫の前に男女二人の姿があったのだ。
「あちゃータイミングが悪かったか」
どうやら運悪く告白中に来てしまったらしい。邪魔をしては悪いと思いその場から離れようとした七篠は、女子生徒の方に見覚えがあることに気が付いた。
赤茶色の長い髪に整った容姿、凛とした佇まい。ほんの数十分前まで同じ教室で授業を受けていた、自分になにやら因縁があるらしい女子生徒。
そこにいたのは上沢緋女だったのである。
上沢の事は気になるが、それでも流石にこの状況を覗き見するのは趣味が悪すぎる。そう思った七篠はしばらく邪魔にならない様にとその場から離れること決め、歩いてきた方へと振り返った。
七篠が振り返った視線の先には昇降口への出入り口があるのだが、その出入り口付近からこちらを窺うようにしている女子生徒と目が合った。
黒髪でボブカットの髪形をした小柄な女子生徒は、慌てたように顔を伏せるとそのまま校舎内へと入り、姿を消してしまう。
(今の誰だっけ?)
なんとなく、どこかで見たことがある気がしたがすぐには思い出せなかった。それよりも急に振り返った自分と目が合って驚かせてしまったのだろうと思い、少し悪いことをしたなと反省する。
一応、その女子生徒が自分の知り合いだったかなと、記憶を掘り返してみたが特に思い出せず、偶然あそこを通りかかっただけの女子だったのだろうと思う事にした。
「さてと先に花壇の方から見てまわるか、何か必要なものがあればそれから取りに行こう」
気持ちを切り替えてまずは校内の花壇を見回りをしようと、七篠は動き出すのだった。
◇◇◇
そうして一通り見回りを終えた七篠は、再び倉庫へと向かっていた。あれから十五分ほど経過しているし、流石にもう二人はいなくなっているだろう。
「どちらから告白したのかは知らないけど、もし告白が上手くいっていた場合に倉庫前でイチャついてませんように」
そんなことを願いながら校舎の角を曲がった瞬間だった、前方から何か虫の様な生物が二匹、七篠の顔めがけて猛スピードで飛んできたのだ。
「うわっ」
驚いた七篠は両方の掌を虫の飛んできた方に向けて顔を守るようにして咄嗟に身構えた。するとその虫は速度を落とし、ゆっくりと七篠の顔を避け、そのまま彼の背後へと消えていったのである。
自分の顔の横を通り過ぎた事でようやくその虫の正体が蜂であると気付き、目線が蜂を追いかけようとしたのと同時に誰かに声をかけられた。
「やはりお前だったか! ついに正体を現したな! 蜂野郎!」
蜂を追いかける様にして、すぐ傍までやってきた人物が七篠に対し怒りを含んだ声で叫んだのである。
「え?」
蜂から声をかけてきた人物に視線を戻そうとしたその瞬間、視界の端に自分に対し放たれたであろう横殴りの拳の軌道が映った。慌てた七篠は咄嗟に、その拳を右腕でガードする。
ゴンッという鈍い音とすさまじい衝撃が七篠を襲い、ガードした腕がジンジンと痺れた。動きの止まった彼の顔面に対しさらに襲撃者の拳が放たれる。
七篠は痺れの残る右腕をなんとか持ち上げると両腕で追撃の拳をガードした。だが、それだけでは攻撃の勢いを止めきることはできず、七篠は校舎の壁に背中を叩きつけられる事になった。
「ぐっ」
思わず呻き声を上げた七篠は壁に背を預けたまま襲撃者へと視線を向ける。目の前に立っていたのは、土埃で汚れた制服を身につけ、赤茶色のロングヘアをなびかせている女子生徒だった。彼女は何故か額から血を流しており敵意を剥き出しにした目で七篠を睨みつけている。
それは七篠の知っている人物だった。ついさっきも、この近くにいたのを目撃しているのだから間違い様がない。
七篠に突然襲いかかった襲撃者の正体は同じクラスの女子生徒、上沢緋女だったのである。
次回はもう1人の主人公上沢視点の話。
裏で何があったのかという話になります。
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