第四話 03.「地元の彼女」と「鉄のおかん」。病室のカオスと、冷徹なる生徒会長の宣告
ここで一度、さっきから播磨 結衣と言い合いを繰り広げている少女の説明をしよう。
この少女の名前は北口 穂乃香という。重永 翔吾の幼馴染で、彼が中学生のときから付き合っているという、いわゆる「地元に残した彼女」である。
身長は播磨と同じか少し高いくらいで、肩口まで伸びた髪を後ろで纏めて一つにした、ポニーテールといわれる髪型だ。服装は花柄のブラウスと同系色のミニスカート。キャラ物のアップリケの付いたポシェットを肩からかけており、その容姿にはどこか中学生のような幼さが残っている。
どうやら彼女は胸に強いコンプレックスがあるようだが、それでも実のところ、上沢 緋女に比べれば多少は大きいのではないだろうか。
そんな北口が、自身のお見舞いの途中に現れた「自称クラスメイト」の播磨を、重永の浮気相手と決め付けてしまった。突然始まった修羅場により、病室内の空気は一言で言えば「混沌」。それが現在の状況だった。
◇◇◇
北口と播磨、二人の口喧嘩は全く着地点が見えず、終わる気配がなかった。
さっきから上沢は我関せずを貫いて面白がり、七篠 如人はこれ以上口を挟むのを諦めている。
「だから! 私には彼氏がいるので重永君なんかには興味ありません!」
「いーや、ウチにはわかる! あんたからは泥棒猫の匂いがする!」
「誰が泥棒猫ですか! あっちのヤンキーじゃあるまいし!」
「何言うてんの? ヤンキーってどの子よ? そんな子おらへんやん!」
「どの子って、見れば分かるでしょ? いやあなたは匂いでわかるんでしたか? じゃあヤンキーの匂いするでしょ!」
播磨は何とか矛先を上沢へ向けようとするのだが、北口には悉く通用しない。
「ヤンキーって誰の事言ってんだろうな、七篠?」
「……それを僕に振らないでくれるかな、上沢さん」
「あんたらも豚まん食べるか? 大阪から来る時に買うてきてん」
「あっ、すいません。後でいただきます」
播磨と北口以外の人間は、もはや傍観者モードだ。重永の母が勧める豚まんに、七篠が律儀に返事を返している間も、当事者の二人だけが言い合いを加速させている。
「どう考えてもあんたが、しょーごを誑しこんだに決まってる。昔からおっぱいの大きい女の人ばっか見るからな、しょーごは」
「私の胸が大きいから浮気相手とかバッカじゃないですか? 私にだって相手を選ぶ権利はありますよ!」
「なにが権利や、難しそうなこと言うて、結局はしょーごを選んでるやないか!」
「選んでないっ! 私が選んだのは如人君です!」
そんな二人を見ながら、七篠がふと思い出したことを口にした。
「そういえば重永に結衣ちゃんのこと言ったら、随分羨ましがられたっけ」
「そうなのか? 最低だな重永」
「この子はちっちゃい頃はずっとおかーちゃんのおっぱいに引っ付いてたからねー」
「へー、三つ子の魂百までって本当なんだね」
「だから今もそうなのか。最低だな重永」
椅子に座っていたおばちゃんはやはり重永の母親だったようで、息子の恥ずかしいエピソードを惜しげもなく披露してくれる。上沢は何を聞いても重永に蔑みの言葉を投げかけるだけで、七篠には適当な返事を返している。
「何が、なおと君や! どうせその乳使うて、男釣って遊んどる性悪女やろあんたは!」
「なんですって!? あなたが自分の胸が大きかったらやりたい事を、私がやってるみたいに言わないでください!」
「アホか! 誰がそんな恥ずいことするか!」
「私だってしませんよ!」
「いーや、する。ていうか絶対にしてるわ! ウチはそんな乳しててもやらんけど、あんたはしよる!」
「いい加減にしてくださいよ! さっきから聞いてれば貴女、私の胸が羨ましいだけでしょ?」
「ア、アホか、そ、そ、そんなんちゃうわ!」
「わかりやすく動揺してますね、図星じゃないですか!」
「そっちこそ、男を釣ってるっていうのんは図星やろ?!」
「図星の意味わかって使ってますか?」
論理的思考で勝る播磨が、少しずつ形勢を有利に傾け始めた。
そんな様子を感じ取ったのか、今まで上の空だった上沢が、今度は標的を七篠に変更する。
「チビ女の乳に釣られてるってのは間違ってないよな、七篠?」
「何言ってるの上沢さん。別に結衣ちゃんの魅力は胸だけじゃないよ?」
「若いってエエなあ。おばちゃん最近ちょっと垂れ気味でなあ、ショックやねん」
上沢と七篠の会話に重永母がずれた合いの手を入れてくる。どう突っ込めば正解なのか、息子に教えてもらいたい二人は視線を重永へと送るが、彼は静かに目を閉じたまま現実逃避していた。その間にも、播磨と北口のボリュームは益々大きくなっていく。
「うるさいなあ! そういえばあっちの姉ちゃんが言うてたやんか、親衛隊作らせてるって!」
「作らせたんじゃなくって、勝手に作られていたんです。こっちもあの人たちには迷惑してるんですよ!」
「それは乳で釣ったみたいなもんやろ!」
「釣る必要のないものを釣るわけないでしょ!」
混沌を通り越し、地獄と化した病室内。そこで一人黙ったままだった男が、とうとう限界に達して口を開いた。
「ぃやっかましいわ、お前ら! ええ加減に静かぁにせぇよ!」
「うるさーい! しょー君何やの、そない大きい声出さんでもみんなには聞こえるわ!」
「うおっ、逆ギレで返した。大阪のおばちゃん凄いな」
重永の怒鳴り声をさらに上回る大声で返した母親に対し、上沢は思わず感心してしまう。
「ちょっとおかんは黙っといてくれ」
「何やの喧々喧々言うて、せっかく朝早うから新幹線乗って来たのに何でそんなん言われなアカンの」
「別にそこは何も言うてへんやろ? そもそも何で穂乃香を連れてくんねん」
「ほのちゃんはあんたの彼女ちゃうんか! お父ちゃん仕事で来られへんいうから一緒に来たんや」
「一人で来たらええやんけ」
「そんなん新幹線乗るのに喋る相手おらな寂しいやんか」
「知らんがな、一人で喋っとけや」
「一人だけでずっと喋ってたら怖いやろ! 黄色い救急車呼ばれたらどうすんねんな?」
「誰がどうやってその救急車呼ぶねん!」
気が付けば親子漫才が始まってしまった。七篠たちも呆然と掛け合いを見守るしかない。
「……そもそも、只のクラスメイトの女がお見舞いに来る時点でおかしいんや」
まだ怒りの炎が収まらない北口は、ぶつぶつと文句を言い続けている。
「それならあっちの人はクラスメイトでもありませんからね? 浮気を怪しむならあっちでしょ?」
播磨が指を指したのは、お嬢様姿の上沢だ。
「あの人は絶対ちゃう。しょーごのタイプやない。特に胸が!」
これには上沢の額に青筋が浮かんだ。サイズ的に大差ない女子から言われると流石に腹が立つらしい。
「そもそも私が重永君と浮気してるんなら、普通はこんな男の子みたいな格好しないでしょ? ああいう風におめかしをして来ますよ!」
必死に誤解を解こうと上沢をダシにする播磨。今の上沢は、播磨が用意した白いワンピースにカーディガン、黒く染めた髪に薄いメイクまで施されている。重永を誘惑して仲間に引き入れようという播磨の作戦の結果なのだが、当の上沢は隣の七篠が冷や汗をかくほどの怒りの熱を発していた。
「しょーごのタイプは可愛らしくて胸の大きな子なんや! だから最近しょーごがウチに冷たいんは、あんたと浮気してるからや!」
「確かにそう聞くと重永君のタイプは私なのかもしれません。ですが私が好きなのは如人君なので、重永君、本当、にごめんなさい」
真剣な表情で重永に頭を下げる播磨。重永は完全な誤解で勝手に振られるという悲劇に見舞われた。
「さすがにこれは止めないと……」
七篠が上沢の顔を窺う。「一発かまして良いのか?」と物騒なことを言う上沢を制し、自ら動こうとした瞬間だった。
「随分と賑やかだね。外で看護師さんが凄い顔で君たちの事を見ているよ?」
凛とした声が割って入った。現れたのは、七篠たちの通う高校の制服を着た女性だった。長い髪をポニーテールにした、北口穂乃香とよく似た目鼻立ちの彼女。
「同じ学校の生徒が入院したんだから、生徒会長としてはお見舞いの一つもしないとね。……播磨結衣さん?」
播磨が驚き、七篠と上沢が首を捻る中、真っ先に声を荒らげたのは北口だった。
「お姉ちゃん!? しょーご、ひょっとして知ってたん? お姉ちゃんがこっちにおるんを!」
突然現れたのは、七條たちの通う高校の生徒会長の西宮 恵梨香。彼女は北口穂乃香の実の姉だった。
「まさか穂乃香が来ているとは思わなかったよ。……これは私の失敗だね」
一瞬で場の空気が変わり、七篠たちは蚊帳の外へ。
「(誰だよこの女は?)」
「(えっと、多分ウチの学校の生徒会長だよ)」
「(西宮恵梨香さん、三年生です。如人君の言う通り生徒会長ですよ)」
播磨が二人の疑問に小声で答える。七篠が「緑化推進の山口さんに投票したから知らなかった」などとピントのズレたことを言うのをよそに、事態は姉妹の対立へと移った。
「えりちゃん、久しぶりやな。座り」
「ご無沙汰しています、重永のおばさん。ですが、他にも寄るところがありますので」
「お姉ちゃん、ちょっと待ってや!」
立ち去ろうとする西宮を、北口が鋭い声で呼び止めた。
「……お母ちゃんは元気なん?」
「元気だよ。穂乃香にも会いたがっていると思う」
「それはホンマ? ウチに本心で答えてないやんか」
「だって、穂乃香が本当に知りたい事は母さんの事じゃないだろ? 穂乃香はいつでも翔吾君が一番だろ? だから大阪に残ったんだから」
「ちょ、えり姉ちゃん」
西宮の言葉に、重永が割って入ろうとするが無視される。西宮は妹の心の柔い部分を容赦なく突いていく。
「自分は母親と姉に捨てられたと思い込み、翔吾君の優しさにただ甘えていたのだろ? 私がいなくなって、それはより顕著になった」
「えり姉ちゃん、もうその辺で……」
「なのに翔吾君は自分から離れていった。優しかった彼が別の場所で他の女と仲良くしているかもしれない――不安なんだね、穂乃香」
西宮の静かな宣告に、北口は反論できず、さっきまでの気迫を失い幼い少女のように縮こまった。
「信じられないと切って捨てていては人は成長できない。……春休みに翔吾君が帰らなかったのは私のせいだよ。ボランティアに協力してもらったんだ」
「えっ……」
「穂乃香に会いに行ってやれと言ったんだがね。翔吾君の言い分も聞いてあげないと。そこの女の子二人は只の友人だよ」
西宮は播磨と上沢に視線を向け、二人は黙って頷く。西宮は終始穏やかに、しかし厳しく妹を諭し続けた。その家族の複雑な事情を知らない七篠たちは、ただ黙って見守るしかない。
やがて場を沈黙が支配すると、西宮は出口へと向かった。
「ああ、そういえば翔吾君。……同じ毒に二度やられると危ないからね。もう自分から危険に飛び込むのは止め給えよ」
意味深な言葉を入り口で残し、西宮は部屋を出て行った。残された病室内には、何とも言えない重苦しい、それでいて少しだけ整理された空気が漂っていた。
次回、いろいろと動き出します。
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