第一話 3.新種の蜂
七篠 如人が目を覚ました後、経過観察のため、もう一日入院して様子を見ることになった。そして次の日に医師の診断の結果、特に問題なしとなり無事に退院することになったのである。
その後、警察から事故について聴取を受ける事になったが、偶々当たり所が良かったのでほぼ無傷だったと、話を強引に押し通した。幸いなことに今回の事故で死者はおらず、七篠が救った子供もトラックの運転手も軽傷だったらしい。
警察に拘束されていたトラックの運転手も七篠が結果的に無事であり、運転手は交通ルールを遵守していたこと、また七篠が運転手への厳罰を望まなかった事もあり、人身事故として扱われるが、事件にはならず示談となり、治療費も運転手の保険金で支払われることで決着した。
こうして事故の件は収束に向かったのである。
◇◇◇
事故から退院して数日が経ち、いよいよ七篠は登校を再開することになった。
登校再開の日、七篠は事故とは無関係なある問題で非常に焦りを感じていた。それは彼が通う高校での問題である。別に交通事故からの奇跡の復活で一躍人気者になったりしたらどうしようだとか、そういう類の話ではない。
そもそも七篠は高校でそんなに大勢の友人がいる訳でもなく、またクラス内で人気があるということもないので、そこは全く心配などしていなかった。元々、他の大半の男子生徒と同じ様に普通に学校で勉強をして、同好会で活動し、家に帰る。そういう生活を一年間繰り返していただけの平凡な男なのだ。
じゃあそんな七篠が焦っているのは何故かというと、それは彼の所属する同好会についての事だった。彼の所属するのは園芸同好会、会員は七篠一人の同好会で他に同好の士などいない、ぼっちの会である。
ここまでいうとなんとなく想像がつくと思うが、七篠は他に誰もいない園芸同好会をたった一人で高校入学後から一年間の間、ほぼ休まずに活動を続けてきたのだ。
そしてそれはゴールデンウイークや夏休み、冬休み等の長期休暇期間にも定期的に学校に通っては草花の世話をしてきたのである。さらにいうと彼は園芸同好会専用の花壇や畑以外でも手の空いたときには学校内の木々や花々の世話をする様な男だった。
そんな七篠がほぼ一週間、植物の世話を出来なかったという事実は、彼にとってかつてない程のストレスとなった事は想像に難くない。
という訳で七篠は退院後の登校初日、普段の登校時間よりも一時間以上も早く学校に到着していたのである。
学校到着後に七篠はすぐに園芸同好会が世話をしている場所を見て回った。すると彼はすぐに奇妙なことに気が付いた。
「あれ? どこにも何も問題がない?」
花壇や畑などを見て回った感想はまさにそれだった。どこかの花壇が荒れていたり、必要以上に雑草が増えていたりということもなく、まるで誰かがきちんと世話をしていたかのような状態だったのだ。
「ふうむ、〈神様〉がいるんだから、花壇や畑を世話してくれる小人や妖精もいるのかな?」
七篠はポツリとそんな独り言を漏らした。すると誰かが彼の頭の上で笑いながら、喋りかけてきたのだ。
「ハッハッハッ、面白いことを言いますな」
人通りの少ない校舎裏の花壇の前で独り言を呟いたのだが、運悪く誰かに聞かれたらしい。七篠が声の主の方へ顔を向けると、すぐ傍にある校舎の一階の窓が開いておりそこには初老の男性の姿があった。
少し後退した白髪交じりの髪を七三に分けた眼鏡をかけた男性だった。白いYシャツに茶色いベスト、首からは学校関係者に着用が義務付けられている顔写真付きのカードをぶら下げている。七篠は既にこの高校に一年以上通っているが、これまでに見かけたことのない男性だった。
「おっとこれは失礼。驚かせてしまいましたかな?」
「ああ……いえ、まさか人がいるとは思わなくて」
少し照れ気味に七篠が初老の男性に返事をする。
「花壇が手入れされてるのが不思議ですかな?」
「そうですね、世話をしてくれる人に心当たりがないもので」
「それで小人や妖精ですか。なるほど、結構いい線いってますな」
「えっと、どういう事ですか?」
自分としては冗談で呟いた言葉だったのだが、この男性はそう思っていないようだった。
「誰が手入れをしたかを知っている、という意味ですな」
「そうなんですか? それならばその人を教えてもらえませんか? ぜひお礼が言いたいので」
七篠は目の前の男性にお願いしてみた。ところが何故か男性は少し困ったような顔になったのである。
「教えてあげたいのは山々なんですが、それが無理でしてな」
「何故ですか? まさか本当に人ではないとか?」
「いやいやそうじゃありません。ちゃんと人ですよ、この学校の生徒です」
「それじゃあ何故無理なんでしょうか?」
男性の言葉の意味が理解できず、七篠は少し困惑した表情になった。
「私が知っているのはその子の顔だけで、それ以外の事は知らないんですな」
「ああそういう事ですか。でしたらその人の特徴だけでも教えてもらえますか?」
「小柄で可愛らしい女子生徒ですな。何やら本を読みながらそこの花壇の手入れをしておりましたな」
「小柄な女子生徒? やっぱり心当たりがないや。新入生かなあ?」
「さて、どうでしょうな?」
「今度その子を見かけることがあったら、二年E組の七篠が会って礼をしたいと言っていると伝えてもらえませんか?」
「構いませんよ。伝えておきましょう」
「ありがとうございます。助かります」
七篠はキチンと頭を下げて男性に礼を言う。
「いえいえ、ああそういえば今の話とは別件なのですが、ちょっと七篠君に聞きたい事があるのですがよろしいですかな?」」
すると男性は、七篠に尋ねたいことを何か思い出したのか、問いかけてきたのである。
「はい何でしょう?」
「七篠君は校内で蜂の巣がありそうな場所に心当たりがありませんかな?」
「蜂の巣ですか?」
「最近、学校内や校庭の周辺でよく蜂が飛んでいると報告がありましてな、ひょっとすると校内に蜂の巣ができているかもしれないのですな」
「なるほど。ちなみに蜂の種類は何かわかりますか?」
「申し訳ないですが、私は実際には見ていないんですな」
「そうですか。種類が特定できればすぐにみつけれるかと思いましたが、それなら植物の世話をするついでに見ておきます」
「駆除に関しては業者を呼びますから、みつけたら報告だけで結構ですな」
「わかりました。それでえっと、どちらに報告すれば?」
七篠は、男性に報告するための場所を聞く。
「ああそういえば、言ってませんでしたな。報告は事務室の私、芦名 まで。普段は事務室にいますからな」
「事務員の方でしたか。あまりお見かけしたことがなかったので、てっきり新任の先生かと思ってました」
「ハッハッハッ。そんなに威厳があるように見えましたかな? まあ私は君のことを知ってましたが」
「え? 僕みたいな目立たない生徒をですか?」
「目立たないなんてとんでもない、君は校内の草花を一人で世話する生徒として有名ですからな」
「ええっ!? そうなんだ……」
七篠の困惑をよそに、突然芦名が校舎内を気にし始めた。
「おっと、そろそろ登校する人も増えてきましたな。七篠君も教室に移動しないと不味いのではないですかな?」
「そういえばそうですね。その前に職員室に行く用事があるので、これで失礼します」
「長々と呼び止めてすいませんでしたな。それではまた」
そう言い残すと事務員の芦名はそっと窓を閉め、軽く手を振るとそのまま廊下を歩いていった。
七篠はそれを見届けると退院の報告を担任の教師に行うため職員室へと向かう。
少し離れた場所から校舎の壁に止まった状態で、彼の姿をジッと見ている蜂の存在に気付かないまま。
◇◇◇
職員室で用事を済ませた七篠は自身の所属する二年E組に移動した。
だが、本人が思っている以上に事故にあった彼を取り巻く環境は深刻だった。朝のHRが始まるまでの僅かな時間にクラスメイトがひっきりなしにやって来ては七篠に声をかける為に行列を作り、それどころか他のクラスの生徒までが彼の元にやってくる始末だったのである。
「よう七篠、事故で入院してたんだって?」
「子供を助けるためにトラックに轢かれたって聞いたけど?」
「七篠君、休んでた間のノートとか見せてほしかったら遠慮なく言ってね」
「け、怪我はもう、だ、大丈夫なんですか?」
「それで? 異世界はどうだったんでござる? どんな冒険をしてきたんでござるか?」
「入院良いな~俺も休みて~」
地味で目立たない普通の生徒だったはずの七篠は今や一躍時の人だった。ちょっとくらい調子に乗っても良いかな、なんて考えて思わず顔がニヤけてしまう。
するとそんなだらしない顔をしていた七篠を見ているクラスメイトの女の子と目が合った。
そのクラスメイトは凛々しい顔をした女子生徒だった。赤茶色をした長い髪に整った目鼻立ち。スラッとしたモデル体型のその女子は、特に何の感情も見せず、七篠と目が合った事に気が付くと、そのまま目を逸らして自分の席へと戻っていく。
七篠はなんとなく照れ臭くなって、そのまま机に伏して寝たふりをしてしまうのだった。
◇◇◇
七篠を取り巻く人だかり、そんな状況が休み時間ごとに起こっては、流石に落ち着くこともできず、昼休みになった瞬間に校舎裏までエスケープした七篠は一人で校舎の壁を背に座ると、そのまま壁に背中を持たれかけながら昼食をとっていた。
「なんでこんなに僕の事故の話が、校内に広まってるんだよ……」
今日は朝が早かったので、登校途中に買ったパンが昼食なのだが、どうにも気分が滅入って食欲が沸いてこなかった。というよりも事故後は固形物より液体状の物のほうが好みになった様な気がする。一先ず買ったパンをミネラルウォーターで流し込んだ。
昼食を食べ終えてゴミを片していた七篠は、ふと首筋に違和感を覚えた。何かが首の後ろにくっついている……そう感じた七篠は右手を首の後ろに回し、くっついている何かを摘み取り目の前に移動させた。
「え!?」
七篠の指に挟まれたそれは蜂だった。濃い緑と黒の縞模様のフォルムは、まるで濃い緑色の蜂が黒い装束を着た忍者のようにも見える。
それを見た七篠は慌てて指を離したが、ベタついた粘液が蜂と自分の指に付着しておりくっついたままだった。
「何だこれ?」
激しく手を上下に振った事でようやく蜂は七篠の指を離れ地面に叩きつけられる事となった。
「うえーベトベトだよ。蜂の分泌液かな? みたことない蜂だけど……」
七篠は左手でポケットティッシュを取り出し右手と蜂が止まっていたあたりを拭う。地面に落ちた蜂は分泌液のためか飛ぶことはおろかまともに動くこともできないようだった。
「んん? この蜂、お尻に針が付いてないな……いやひょっとして」
蜂を観察していた七篠はふと自分の手の中にある丸められたティッシュに視線を移す。少しティッシュを開いてみるとその中に針の様な物が見えた。
「どういうことだろ? 針で刺そうとしたのか? じゃあ何でこんな分泌液を出してるんだこの蜂は?」
見たことのない蜂の生態がわからず頭を悩ませる七篠。
「いや……刺そうとしたら僕に捕まったのか? それで逃げるために液体を出したって事か?」
足元の蜂を見下ろしながらブツブツと独り言を言う。
「それじゃあ、しっくりこないな……僕を刺そうとして捕まった際に針が取れて、そしたら分泌液を出した……うん、これだな多分」
自分なりの答えが出て納得がいった七篠は次に蜂の始末をどうするかを考えることにした。
「まあ事務室に報告するのが当然なんだろうけど、こんな種類の蜂は見たことないんだよなー」
時おりもがきながら動くのを見ると死んだわけではなさそうだ。もしも新種の蜂だとするなら駆除どころではなくなるだろう。そうだとすると生物教師に報告して調べてもらうのが良さそうな気がしてくる。
「ひょっとしてこいつが新種だったら、僕の名前が残るんじゃないか?」
昼休みも残り僅かな時間しかなく、時間内に報告に行けるとしたら事務室か職員室のどちらかしかないだろう。
「事務室には蜂の巣を見つけたら報告して欲しいって言われてるんだから、蜂だけなら生物教師に報告で良い筈だよね。よし職員室だ!」
言い訳っぽい独り言を喋りながら七篠が選択したのは職員室へ行き生物教師を呼ぶことだった。朝からの騒動で有名人扱いを嫌って、この場所にやってきたというのに、あっさりと名声を得ることを選択する辺りまだまだ未熟な高校生ということなのだろう。
結局、七篠は職員室に行って生物教師を連れて校舎裏に戻ってきたのだがその時には既に蜂がいなくなっており、新種の蜂については七篠の見間違いだということになった。
どうして自分はあの蜂をしっかり捕まえておかなかったのかと後悔したが、それよりも七篠は現在の状況から考え得る、ある事実に気付かなければならなかったのだ。
新種の蜂がなぜ七篠の通う学校で目撃されているのか、そしてその蜂がどうして自分の首筋に止まっていたのかという事をもっと真剣に考えなければいけなかったのである。そもそもあの蜂は本当に今まで偶然発見されなかっただけの新種の蜂なのかという事にまで考えが至れば、ひょっとするとこの時点で気が付けていたのかもしれない。
何者かが七篠に何らかの意図を持って接触してきたのではないかという事に。
そしてさらに七篠の通うこの高校内に彼と同じ〈次の神〉の座を狙う候補者が存在しており、既に水面下で〈神〉を目指し動き始めているという事に気が付く事ができていたかもしれなかったのである。
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