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第二話 13.神様よりも、君の隣を。夕暮れの部室で交わした「名前」と約束

 窓の外は、燃えるような茜色に染まっていた。

 放課後の喧騒はとうに遠ざかり、古い校舎の片隅にある手芸同好会の部室には、ただ重苦しくも穏やかな静寂だけが満ちている。


 播磨(はりま) 結衣(ゆい)が意識を取り戻したとき、最初に見えたのは、見慣れた部室の天井と、すぐ傍らで自分を覗き込む少年の顔だった。


 七篠(しちじょう) 如人(なおと)。彼が、自身の着ていたブレザーを布団代わりに掛け、床にタオルを敷いて甲斐甲斐しく介抱してくれていたのだ。


「……あ、如人君」


 掠れた声で名を呼ぶと、七篠の表情がぱっと明るくなった。彼は安堵の溜息を吐き、正座をしたまま身を乗り出す。


「播磨さん、気がついた? 大丈夫……? どこか痛むところはない?」

「……はい。私、こう見えて結構丈夫なんです。ただ、少し頭がぼんやりするくらいで」


 ゆっくりと上体を起こすと、掛けられていた彼のブレザーが肩から滑り落ちた。そこには彼の体温が残っており、播磨の胸をチクリと締め付ける。

 室内を見渡すと、あの一触即発の空気も、下着姿で暴れ回っていた上沢(うえさわ) 緋女(ひめ)の姿も消えていた。播磨が意識を失ったことで、彼女の能力である「縫い付け」の拘束も自然に解けたようだ。


「……負けちゃいましたね、私」


 ポツリと漏らした言葉に、悔しさと、それ以上の虚脱感が混じる。


「……上沢さんから伝言があるんだ。『アンタの覚悟は分かった。これからは好きにしろ』だって。彼女、僕が壁から外れた後、君を床に寝かせてから『じゃあな』って教室から出ていったよ」

「そうですか……。あんな無茶苦茶な格好をさせておいて、最後は格好良く決められちゃうなんて。本当に、あの方には敵いませんね」


 播磨は自嘲気味に微笑んだ。だが、すぐにその表情を引き締める。

 負けた事実は変わらない。けれど、自分が〈神候補〉として目覚め、上沢と互角に渡り合ったことで、彼と同じ地平に立つ権利だけはもぎ取ったはずだ。

 播磨は正座をし直し、まっすぐに七篠の瞳を見つめた。


「それで……如人君。貴方の結論は、出ましたか? 私の告白に対する、貴方の本当の『答え』を聞かせてください」


 空気が、ぴんと張り詰める。

 七篠は一度視線を落とし、膝の上で拳を握りしめた。その沈黙は長く、播磨にとっては永遠のようにも感じられた。

 やがて、彼は重い口を開いた。


「……播磨さん。君が僕のことをずっと見ていてくれたこと。僕がいない間に花壇を守ってくれたこと。そして、今日、僕を守るためにあんな風に戦ってくれたこと。……全部、本当に嬉しかった。感謝してもしきれないくらいだ」

「…………」

「君は……僕が思っていたよりもずっと強くて、優しくて。そして、上沢さんも……彼女もまた、不器用だけど真っ直ぐな人だ。僕は、二人とも尊敬している」


 そこまで言って、七篠は一度言葉を切った。

 そして、逃げることなく播磨の目を射抜くように見つめ返す。


「でも、それでもどうしてもダメなんだ。ごめんね、播磨さん。僕は多分、君の期待には応えられない」


 すとん、と。

 播磨の心臓が、冷たい水の中に落ちたような感覚がした。


(……ああ、やっぱり。やっぱりダメだったんだ)


 視界が急激に歪み、熱いものが頬を伝い始める。言葉にならない絶望が喉元までせり上がり、彼女は力なくこうべを垂れた。これが失恋。世界から色が消えていく、あまりにも無慈悲な終焉。


 しかし、泣き崩れようとした播磨の肩を、七篠の温かい手がしっかりと掴んだ。


「……待って。顔を上げて、播磨さん」

「……嫌です。もう、十分ですから……」

「いいから、聞いてくれ。僕の、本当の決意を」


 強引に引き上げられた播磨の目に映ったのは、拒絶の色ではない。

 そこには、一人の少年が運命に抗おうとする、凄まじいまでの「覚悟」が宿っていた。


「僕は――〈神様〉にはならない!」


「…………え?」


 播磨の涙が、ピタリと止まった。思考が完全に停止する。

 今、この人は何と言ったのか。振られる覚悟をしていたのに、返ってきたのは世界そのものを否定するような爆弾発言だった。


「〈神様〉……って。え? 如人君?」

「播磨さんは、僕と一緒にいるために、戦う覚悟を決めて〈神候補〉になってくれたんだよね? 僕に死んでほしくなくて、〈神様〉の座を争う過酷なレースに足を踏み入れてくれた。……だとしたら、僕も自分の意志を伝えておかないといけない」


 七篠は、言葉を噛みしめるように続ける。


「期待に応えられないっていうのは、『僕が〈神様〉になって、この理不尽な世界を救ってくれる』っていう、〈神候補〉としての期待に対してだよ。僕は〈神様〉なんてものに興味はないし、そんなもののために君や上沢さんに命を懸けさせたくない」


「…………ちょっと待って。期待ってそっち!? 私、てっきり今ので完全に振られちゃうのかと思ったじゃない!」


 播磨は涙も引っ込み、思わず身を乗り出して叫んだ。


「えっ、あ、そんなつもりじゃ……。ただ、順序立てて話そうと思って……」

「順序が悪すぎます! 心臓が止まるかと思いましたよ!」

「ご、ごめん……。でも、本心なんだ。僕は、神様を目指して誰かを蹴落とすくらいなら、君と一緒に笑っていられる場所を必死で守りたい。それが僕の答えだ」


 呆れ、驚き、そして――深い安堵が播磨の全身を包み込んだ。

 この人は、どこまでもお人好しで、どこまでも愚直だ。自分の恋心への返事をする前に、まず相手が自分を想って決めた「覚悟」(神候補)に対して、自分の「覚悟」(神にならない)をぶつけてきたのだ。


「……じゃあ、もう一度聞きますけど」


 播磨は乱れた髪を耳にかけ、今度は逃がさないと言わんばかりの、どこか艶やかな笑みを浮かべた。


「今の私たちって、結局何なんですか?」

「え、えっと……それは……」


 七篠は急にたじろぎ、視線を泳がせた。


「……こ、恋人……同士……なのかな?」

「何で疑問形なんですか。私はそのつもりで、命まで懸けてアピールしたんですけど。如人君は、違うんですか?」

「…………」


 七篠は顔をリンゴのように赤くし、観念したように小さく息を吐いた。


「……いや、僕も、そのつもりだけど。……さっき、断らせてくれなかったじゃないか」

「当たり前でしょ! 断る理由なんて、どこにもないんだから!」


 播磨の勝利宣言だった。


 まともに会話をしたのは今日が初めて。けれど、如人は自身の胸の奥で、静かに、けれど確実に灯っている熱を感じていた。

 理屈ではない。この一日の、激しくも愛おしいやり取りの中で、彼はもうこの少女の存在を無視できなくなっていた。


「……そうだね。君の言う通りだ。……それじゃあ、改めて」


 七篠は照れくさそうに頭を掻き、けれど最後にはしっかりと彼女の目を見て微笑んだ。


「これからよろしくね、――結衣ちゃん」


「っ……ひゃ……!?」


 いきなりの名前呼び。それも、あだ名ではなくストレートな呼び捨て。

 今度は播磨が火を噴くように顔を真っ赤にし、バッと背中を向けた。


「だ、大丈夫でしっ……き、急に名前で呼ぶのは反則でし!」

「……でし?」

「な、なんでもないです! 忘れてください!」


 照れ隠しにパタパタと手を動かし、挙動不審になる彼女。

 さっきまでの冷徹な能力者としての姿はどこへやら、そこにはただの、恋に浮かれる等身大の女の子がいた。


(可愛いな……)


 七篠は素直にそう思ったのであった。


◇◇◇


「おい、いつまでイチャついてんだ。そろそろ校門閉まるぞ。帰らねえとヤバイだろ」


 ガラッ、と音を立てて扉が開いた。

 そこには、いつの間にか新しい制服に着替えた(あるいはどこかから調達した)上沢緋女が、腕を組んで立っていた。


「あ、上沢さん」

「……お取り込み中のところ悪いが、アタシも帰りたいんでね」

「ごめん。……上沢さん、明日、少し時間あるかな。重永(しげなが)……あいつ、僕の親友の候補者も含めて、四人で話せないかなと思って」


 上沢は一瞬だけ驚いたように目を見開いたが、すぐにふんと鼻を鳴らした。


「四人……協力しろってか。まあ、お前に任せるよ。あいつを連れてこれなくても、情報はキッチリ抜いてこい。……あと、そこのチビ女」

「チビって言うな! ヤンキー女!」

「あぁん? せっかく『覚悟を認めてやる』って言おうとしたのに、その口かよ。もう一回ぶっ飛ばすぞ!」

「怖くないですよ! べーっ!」


 言い合いながらも、二人の少女の間には、先ほどの死闘を経た者同士にしか分からない、奇妙な連帯感と信頼の萌芽があった。


 上沢は「じゃあな」と短く告げて、今度こそ部室を去っていった。


 夕闇の迫る中、七篠と播磨は連れ立ってそれぞれの教室へ戻り、荷物を手に取った。

 校門までの帰り道。付き合い始めたばかりの二人は、ほんの数センチの距離を保ちながら、他愛のない、けれど世界で一番大切な話を交わした。


「……あ、如人君。明日の朝、お花のお世話一緒に参加してもいい?」

「え、あ、うん。もちろん。じゃあ、いつもの花壇のところで待ってるよ」

「本当!? やったぁ……!」


 跳ねるような播磨の足取りに、七篠もまた、自然と口元が緩むのを感じた。

 こうして、七篠如人の人生で、最も長く、最も激しく、そして最も運命を狂わせた一日は幕を閉じた。


 ――彼に、初めての「恋人」ができ、そして「神」への反逆を決意した日として。



第二話 了


主要キャラ出揃いました。

第二話は今回で終了。

次回はおまけの能力解説になります。


ここまで読んでいただきありがとうございました。

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