第一話 2.〈神様〉のありがたい話
これはまだ 七篠 如人が幼かった頃のとある日の話である。彼が深い眠りから目覚めた時、視界に映った世界は全てが白かった。
自身の体が仰向けの状態だと気づきゆっくりと上半身を起こす。周囲が全て白く、また何の音も聞こえない静寂の世界に見覚えがなく、ただ呆然としていると何者かに背後から話しかけられた。
『やあ目が覚めたようだね。気分はどうだい?』
突然の事に驚き振り向くとそこには白いローブ姿で頭からフードを被った何者かが宙に浮いていた。まるで目に見えない透明な椅子にでも座っているのかの様に足を組み、肘掛に両肘を付き両手を組んだ姿勢の状態で、である。
『どうだい? 驚いてくれたかな? こういう風に分かりやすく登場したほうが、君たちには今からする話を信じてもらいやすいと思ったんだが……』
そうしてこちらの様子を窺うようにしばらく間をとると、白いフードを被った人物は再び口を開いた。
『質問したい事は色々あると思うが、まずは先に私の話を聞いてくれるかい? そうすれば今の君たちの状況が理解できると思う』
白フードの人物は何故かおもむろに周囲を見渡した。
『まず最初に君たちがどこにいるか、というところから話そうか。君たちのいる場所は君たちそれぞれの心の中だ。深層意識だとか精神世界だとか好きなように解釈してくれてかまわない。自分の理解できる形で飲み込んでくれたまえ。そして、君たちの心に現れた私が何者かというと、君たちの世界の管理者。君たちが理解しやすい言葉で言うと〈神〉という呼び方が良いのかな』
自らを〈神〉と名乗った人物はそう語ると組んでいた両手を離し、右の掌をを少し前に突き出して小さく前後に動かした。
『慌てないでほしいな。まだ話は始まったばかりなんだ。きっちりと説明はするから、少し時間をくれたまえ』
そうして再び両手を組み直した〈神〉はゆっくりと透き通るような声色で語り始めた。
『さて私が何者であるかは既に語ったとおりだ、君たちが信じようが信じまいがどちらでも構わない。こうして君たちの心に直接的に接触できる、そういう存在なんだと理解してくれればそれで良い。じゃあ、そんな存在である私が何故君たちに接触しているのか、それを説明しよう』
〈神〉は一拍おいてから話を続ける。
『と言っても、そんなに難しい話ではないよ。すごく簡単な話でね、君たちの中から私の後を継いでこの世界の管理者になってくれる者を決める事にしたんだよ。そう〈次の神〉を君たちのうちの誰かに託したいのさ』
〈神〉と七篠しかいない筈のこの白い世界で、突然〈神〉は他の誰かに聞かせる様に話をし始めた。
『ん? 理由? そうだねそれは話しておかないとね。まず前提として世界というのは一つだけではなくてね、この世界以外にも数多の世界が存在するんだよ。例えばある日突然、人がいなくなったり、船や飛行機が何の痕跡も残さず消え去ったなんて話を聞いたことはないかい? そういった事象の中には異世界に迷い込んで帰れなくなったなんてのもあるんだ』
その言葉を語った後、〈神〉は少し首を右の方へと動かした。
『突然何を言ってるのかだって? だからこの世界の他にも別の世界があるって事を知っておいて欲しいんだよ。それとこの世界に別の世界が干渉することでこの世界の人や物が別世界に行ってしまうって事もね。それで、何でそんな事が起こるのかなんだけど、干渉を起こす別の世界の管理者が不適切な者だったり、管理を放棄して好き勝手やってたり、酷い場合なんか管理者がいなくなってたりするんだよ。だけど、そんな状態になってしまうと本来交わるはずのない世界が干渉しあって色々と不具合を起こしてしまう事があるのさ』
再び〈神〉は一拍の間をおく。
『どうもここ最近、この世界もこれまでとは比べものにならないほど他の世界とのバランスが狂っていてね、かつてない頻度で異常な数の人間がこの世界から異世界へ連れ去られる現象が発生しているんだよ。流石に世界の管理者として、これ以上この件を看過することも出来ないと思い事態の収拾の為に動くことにしたのさ』
話を続けながら〈神〉は胸の前で両手を握り合わせる。
『だけど私がこの世界の管理者の仕事を放棄して勝手に動くわけにはいかないだろう? それじゃあ他の世界の管理者と同じになってしまうからね。そこで私は私の代わりにこの世界を管理する新たな管理者を選ぶことにした。その候補者が君たちという訳なんだよ』
理由を語り終えた〈神〉は何かを待っているかのように、少し下を向いたまま動かなかった。およそ一分にも満たないであろう短い時間、静寂が続く。そうして顔を上げた〈神〉が今までよりも重圧を感じさせる口調で続きを語りだした。
『さて前置きはここまでにして。ここからが本題になる。つまり〈次の神〉選別についてだが、候補者については条件に合う者をこちらで選定させてもらった。その候補者全員に〈神〉の力の一部を貸し与える。その力は後ほど各自の心の中に置いていく。そうする事で君たちの中で〈神〉の力は成長し個性的な能力が使えるようになるだろう』
透明な椅子から立ち上がりながら、組んでいた両手を広げて〈神〉が大々的に宣言した。
『与えられた能力を使い〈次の神〉を目指して欲しい。少し抽象的かもしれないがそれを君たちがどう解釈し行動するのか、それも含めて選抜させてもらう。〈次の神〉に選ばれる条件だが、私は最後まで〈神〉になる意志を持ち続けた一人を選ぶことにする』
そして少し間をおくと〈神〉は右手な人差し指を天に向け、少し穏やかな口調で続きを語り始めたのである。
『それともう一つ、私は〈次の神〉になる事を君たち全員に強制するつもりはない。あくまでも君たちが自分の意志で〈次の神〉を目指すかどうかを決めて欲しい。もし〈次の神〉を目指す意志がないのならば能力を使用しないでくれたまえ。そうすれば今までと変わらずに暮らしていくことが出来るだろう』
〈神〉は周囲を七篠以外に誰もいないはずの空間を見渡すかのように首を左右にゆっくりと動かした。
『なお、候補者の正式な人数及び選ばれた条件は公表しない。これは〈次の神〉になる事を放棄する者がいる場合、その者に不利益が起こらないようにする為である……これで説明は以上だ。これにて候補者全員に対しての説明を終了する。後は各個人に〈神〉の力を貸し与える。それでは頑張ってくれたまえ』
そう言い終えると〈神〉は目覚めた後、一言も発さずに黙って成り行きを見ていただけの七條に近づいてきたのだ。
『それでは君に力を渡そう。さあ手を前に出して』
自分の傍に歩み寄ってきた〈神〉から話かけられて、初めて七篠は口を開いたのである。
「いいえ必要ありません。神様になるつもりなんてないので」
七篠は咄嗟にそう返事してしまった。初めての会話が拒絶の言葉だった事に、少し心を痛めたが、〈神〉は意に介した様子もなくそっと彼の手を握った。
『申し訳ない。〈次の神〉になる事を強制はしないが、この力は必ず受け取ってもらわないと駄目なんだ……』
優しく言い聞かせながら〈神〉は七篠と向き合った。その態度を受けて少し戸惑いながらも、ゆっくりと自分の思いを口にする。
「どうしても受け取らないといけないモノなのですね?」
現れた時と変わらずフードを被ったままの〈神〉の表情を窺うことは出来なかったが、温かみを感じる言葉を信じ力を受け入れる事にした。
『そうだね。理由を話せないので納得はできないかもしれないが、受け入れてほしい』
そう言うと同時に〈神〉の手が光を放ち始め、その光がそのまま七篠の手から体の中へと収まっていった。それを見届けると〈神〉は彼の手をそっと放し、そのまま後ろへと下がった。
七篠は少しの間、〈神〉が触れていた自分の手を見ていたが、何かに気付いたのか〈神〉に対し、「どうもありがとうございました」とお礼を言うとそのまま頭を下げた。
『どうして礼を言うんだい?』
その少年の行動を見た〈神〉が不思議そうな声で七篠に尋ねる。すると彼は少し照れくさそうに笑いながら答えた。
「人から何か物を貰った時はお礼を言うのが礼儀でしょ?」
『私は人ではないのだが……でも悪い気はしないね』
「それに……」
『それに?』
「僕は神様になるつもりはないので、きっと〈神様〉とこうして話をするのはこれが最後だと思うんです」
『うん、君が〈次の神〉になるつもりがないのならば、そうだろうね』
「僕は自分が〈神様〉になろうなんて全く思っていません。だから貴方から借りたこの力を自分のために使うつもりはないです」
『うん、それで構わない。使わなければこれまで通りの生活を送れるだろう』
「はい。でも、もしも誰かを救うために力が必要になれば使ってしまうと思うんです。だから先にお礼を言っておこうと……」
『なるほど、どうやら君は少し勘違いをしているようだね』
「勘違いですか?」
『うん、勘違いだ。いいかい〈神〉の力を使うという事は本人の意志に関係なく〈次の神〉に立候補するという事だ。本人が望んでいなくてもね』
「え? 〈神様〉になる事を望まなければ〈神様〉にはならないのではないのですか?」
『貸し与えた力を使わない者だけが今ままで通りに普通の人として暮らしていけるんだよ。力を使った者はその瞬間から〈次の神〉の正式な候補者になるのさ。先ほど説明したとおりだよ』
そう言われた事で、改めて七篠はさっきまで〈神〉に触れられていた手を握り締めた。
『もし〈神〉の力を使うというのならば覚悟をしなければならない。力を使うという事は〈次の神〉を目指す者達の仲間入りをするという事だというのを』
「覚悟……」
『そう覚悟だ。先ほども言ったが私は強制はしない。君が考えて決めるんだ』
七篠は思う、それでも自分は神様になんかならないと。だが彼はこうも思ったのだ。もし人の力ではどうしようも出来ない場面に遭遇したら、〈神〉の力を使うことでしか誰かを助けられないような事態に陥ったなら、きっと自分は力を使ってしまうだろうと。
『少し長居をしてしまったね、そろそろお暇させてもらおうかな』
「あ、はい」
『うん。君がどんな選択をするのか楽しみにしているよ。七篠如人君』
最後に七篠の名前を呼んで〈神〉はゆっくりとその場から消えていった。
七篠如人の心の中からゆっくりと。
◇◇◇
七篠が目を覚ますと、そこは見知らぬ部屋の中のベッドの上だった。何故か何年も前にみた夢の内容を思い出した。
いや何故と疑問に思うことなどにきっと本当は意味など無いのだろう。彼が目を覚ます前の記憶に間違いが無いのならば。
『学校からの下校途中に道路に飛び出して、トラックに轢かれそうになった子供を救うために咄嗟に〈神〉から貰った力を使ってしまった』という記憶が本当に自分の身に起こった出来事であるのならばだが。
意識を失っている間に思い出した、まだ幼かった頃にみた夢の内容をもう一度だけ思い返して、七篠は大きなため息を吐いた。
「あーあ、やっちゃったよー」
思わず声を出し七篠は両手で顔を覆った。しばらくその体勢のままでいた彼だったが……
「……そういえば、トラックと衝突したはずだけど意外となんともないな」
あまり身体に痛みが無いことに気付き、独り言を呟きながら目に見える範囲を調べてみる。しかし、やはりというべきか特に怪我をしている様な箇所は身体のどこにも見当たらなかった。
「うーん、こういうのが〈神様〉の力ってことかな……」
ぶつぶつと独り言を呟きながら身体をあちこち調べていると部屋のドアが音もなくスライドしながら開いたのである。
「え?」
「如人……」
「ああ母さん。えーっと、おはよう?」
ベッドの上で妙な体勢をとっているところを見られた七篠は部屋のドアを開けたまま固まっている母親に対し軽い口調で挨拶をする。
「如人、大丈夫なの?」
「え? なにが? 別に普通だけど? 特に問題なさそうだよ?」
「あなた三日も目を覚まさなかったのよ! 先生が言うには、最悪の場合もう目を覚まさないかもって……」
「え? 本当に? ずいぶん寝てたんだなー」
「とにかく先生を呼んでこなくっちゃ! そこでおとなしくしてるのよ! いいわね!」
「うん、わかった」
息子の返事を聞いて母親はすぐに医者の元へと向かっていった。一人ベッドの上に残された七篠は頭をポリポリと掻く。
「あれから三日も経ってるのか……そういえばお腹減ったな……」
そんな呑気な事を思い、そのまま口から言葉がこぼれた。すると胃袋が本体が目覚めた事に気づいたのか腹の虫を大きく音を鳴らして空腹を主張しはじめる。
七篠は腹の音を聞きながら、母親が病室に戻ってくるのをのんびりとベッドの上で待つのだった。
ざっくりとした設定説明のお話でした。
時系列は神の力を貰う→子供を助けるために能力を使う、です。
読んでいただきありがとうございました。
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