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第六話 19.休息の時

 上沢(うえさわ) 緋女(ひめ)には診療所の入院用の病室を一室あてがわれた。その部屋は個人用らしく扉にもしっかりと鍵がかかるようになっていた。


 ベッドの上には入院患者用の寝巻きが置かれている。

 まだ看護師から手当てを受けていないので先に着替えて良いものかと考えていると扉がノックされた。


「どうぞ」


 看護師がやって来たのだろうと思い返事をすると、扉を開け顔を覗かせたのは女医だった。


「やあ、ちょっと言い忘れた事があってね。良いかな?」


 そう言うと返事をする前に、さっさと部屋に入ってくる。


「……言い忘れた事って?」


 上沢は憮然とした表情で女医に返答する。

 だが一人になって少し気を抜きすぎだったかと、すぐに表情を引き締め直す。


「うん、この部屋はVIP用の部屋でね、そっちに専用のバスルームとトイレがあるんだ」


 そう言って女医が指で壁の方を指し示す。上沢が示された壁を見ると確かに目立たないが、横開きのドアが存在している。


「この部屋も、バスルームもトイレも完全防音だ。少々大きな声を出したところで外に漏れる心配はない」


 女医の言いたい事の真意が分からず、上沢は首を捻る。


「自覚が無いかもしれないが、今の君は心も疲弊している。そういう時は溜め込まずに発散するのも必要だよ」


 指摘を受けて驚いた。なるべく表に出さないように隠していたつもりだったが、この女医には全てお見通しだったらしい。


「気を使っていただいて、ありがとうございます」


 上沢は女医に対し頭を下げ、感謝の言葉を述べた。この人は間違いなく名医だと認め、敬意を表したのである。


「いやいや、若いうちは色々あるよ。きっちり発散したら、ナースコールしなさい。それから手当てさせるから」

「はい」


 上沢の返事を聞いて、女医は満足そうに何度も頷くとそのまま病室から出て行ったのだった。


 女医が去った後、上沢は病室の扉の鍵を閉めた。そして教えてもらったパスルームとトイレへと繋がっているという壁際のドアを開く。

 ドアを開くと、そこは洗面所兼脱衣所のスペースだった。更に左右にそれぞれドアがあり、バスルームとトイレに分かれていた。洗面所には清潔なタオル類や包装された歯ブラシ等もおいてある。備え付けの棚の中にはヘアブラシやドライヤーも完備されていた。


 流石にVIP用というだけあって最低限必要な物は完全に準備されているらしかった。バスルームに足を踏み入れると、綺麗に清掃されており石鹸やシャンプーも完備されている。

 上沢はカランを捻り、温度を確かめながら、バスタブにお湯を溜める事にした。蛇口から勢いよく出てくるお湯の様子を見て大丈夫そうだと判断し、一度脱衣所へ戻る。

 脱衣所に置いてあった籠に着ている物を一枚ずつ脱ぎ入れていく。やがて一糸纏わぬ姿になった上沢は洗面所からタオルを手に取ると、再びバスルームに戻った。扉を閉めるとバスタブの横に置いてある桶を手に取り、お湯の出ている蛇口へと近づける。


 桶にある程度お湯が溜まったところで、それを思い切り頭から被った。一応シャワーもあるのだが、今は先にバスタブにお湯を溜める事を優先する。

 何度かお湯を被る行為を繰り返し、石鹸やシャンプーが置いてある出っ張りの前に置いてあった小さな椅子に腰掛けた。目の前にある鏡に自分の姿が映っているが、時間が経つと湯気で曇って何も見えなくなった。


 上沢は左手でそっと、その曇りガラスを拭う。お湯を被って塗れた髪の間から見える顔には所々に残る煤汚れが残っている。曇って見えない範囲を大きく拭ってやると、自身の体も見えてきた。

 女医に診断されたとおり、身体のあちこちに激戦の痕があり、その一つ一つを思い返していく。

 最後に付いた身体の正面の痣に触れて、上沢は動きを止めた。もしもあの時、攻撃を受け止める事ができていれば、あの男は命を失わなかったのだろうか。


 あくまでも仮定の話。考えても答えの出ない事を、延々と繰り返し考え続ける。もう二度と誰も目の前で命が奪われる所を見たくないと思っていた。如何すれば良かったのか、何が正解だったのか、様々な感情と思いが心の中を渦巻いている。


 いつの間にかバスタブに充分な量のお湯が溜まっているのに気が付いた上沢は、手を伸ばしお湯ををシャワーへと切り替えた。暖かいお湯が、頭に降り注がれ始める。

 しばらくそのお湯をただ黙って浴びているだけだった。そうするうちに、この部屋は防音だと言っていた事を思い出した。心が疲弊しているのならば発散すれば良いとアドバイスされていたのだ。

 上沢の心の中で渦巻く、怒りや悲しみ、後悔や反省、そういった感情を、どう吐き出すべきか……彼女は悩む。


 それはきっと考える事ではないのだ。ただ思う様に、思ったまま全部吐き出せば、それで良い。

 最終的にそこまで考え至った彼女は自身に当たり流れ落ちるお湯と共に、抱えていた心のモヤモヤを全て排水溝に流してしまったのだった。


◇◇◇


 シャワーを終えた上沢は、女医に言われた通り部屋に看護師を呼んで、怪我の手当てを受けた。

 その際に、他の二人の容態を聞くと、小西(こにし)はそこまで大した怪我ではないが、浜口(はまぐち)はやはり重体だったらしく、医師の応援を急遽呼んで緊急手術になったらしい。


 ベッドの上に寝転がりながら、上沢はそっと目を閉じた。あの女医は恐らくかなりの名医だ。浜口の事は任せても大丈夫だろう。いま上沢にできる事は明日に備えて休息を取る事だけ。

 次に目が覚めた時は、今度こそ北口(きたぐち) 穂乃香(ほのか)との約束を果たすと、そう決意し上沢はそのまま眠りについた。


◇◇◇


 一方、七篠(しちじょう) 如人(なおと)は現在帰路についている途中だった。とっくに終電は出てしまっている時間である。どうやって帰ろうかと考えていると調達屋が家まで送ってくれると言うので、その言葉に甘える事にした。


 調達屋の運転する軽トラックの助手席に乗せてもらい自宅のマンションまでの道のりを進む。必要最低限の事しか喋らない調達屋は相変わらず無言のまま車を運転し、その隣でラジオの深夜放送を聞きながら、ヘッドライトに照らされる道路を眺め続ける。


 夜食の牛丼で腹が膨れた七篠は、夕方以降の激闘と深夜と言う時間も相まって、眠気から舟を漕いでいる。因みに調達屋は牛丼を五人分用意したのだが、上沢たち怪我人三人は食事を取れる状況ではなかったので、七篠が一人で四人分を平らげた。


「あー疲れてるところ悪いんですけど、道が分からなくなると困るんでもう少ーし頑張って起きててもらえます?」

「ふぇ? あ、すいません。運転してもらってるのに」


 不意に調達屋が声をかけてきた為、七篠は慌てて返事をした。送ってもらっていながら隣で眠るのは流石に悪いと思い、必死に目を覚ます。


「いやあ、本当に申し訳ないです」

「いえいえ。頑張って起きてますので、道わかんなかったらドンドン聞いて下さい」


 七篠はそう言って隣で運転する調達屋に改めて視線を送る。見られている事に気が付いたのか、調達屋が話しかけてきた。


「職業柄、色々あるんで、あんまりお客さんに質問とかしないんですけど、一つだけ教えて欲しい事がありましてね、聞いてもいいですかね?」


 明らかに年下の七篠に対し、丁寧さを崩さないようにしながら、調達屋が尋ねた。


「えっと何でしょう? 僕に分かる事なら答えますけど?」


 七篠は首を捻りながら、調達屋に答える。


「いやあね、あの黒い化け物は何だったのか、それを教えて欲しいんですよ。君子危うきに近寄らずってね、あれの正体を知ってたらもう出会わなくても済むでしょ?」


 調達屋はチラリと横を見て、ニヤッと笑う。確かに知っていればあの黒い怪物に出会う確率はかなり減るだろうと七篠も思った。


「あれは、白神救世教って宗教団体の幹部の人の能力だと思います」

「能力ってたまにみなさんの会話に出てた言葉ですよね。何かの隠語かと思ってたんですけど、まさか隠語じゃなくって言葉通り超能力とかの類ですか?」

「まあ、そうですね」

「……あの、俺、知っちゃいけないこと知ったんですかね?」

「はい?」

「そういう秘密を知ると、政府の秘密組織に消されたりとかするんじゃ?」

「いやいや、消されませんよ。何ですか政府の秘密組織って? そんなことないですからね」

「本当ですか? いきなり家に押しかけてきたりしないでしょうね?」

「大丈夫ですよ」


 七篠の言葉を聞いて安心したのか、調達屋はホッと胸を撫で下ろした。

 その様子を見て、七篠は調達屋に一言だけ付け加える。


「但し、これからしばらくの間は白神救世教には気をつけてくださいね。かなり危険な人が多いので」

「ええ、ええ、それだけはしっかり胆に銘じておきますよ」


 調達屋はうんうんと頷くと、そのまま運転を続けた。

 それからしばらくすると軽トラックは無事に何事もなく七篠のマンションに到着する。

 七篠は「ありがとうございました」と礼を言って軽トラックから降りようとした。

 すると、背後から調達屋に声をかけられた。


「そうだ、これ渡しときます」


 そう言いいながら渡されたのは名刺だった。今日というか昨日だが、これで三枚目である。

 名刺には「蝶野達也」という名前と電話番号が書かれていた。


「ちょうのたつや? 本名ですか?」

「いや仕事用の名前です。本名は流石にね」


 蝶野はすっかりお馴染みとなった、ニヤッと笑う独特の笑顔になって、そう申告する。


「そうなんですね」

「まあ何か必要なものがあったら、いつでも連絡してくださいよ。学割もありますんで」


 ニヤリ顔のまま、蝶野は七篠に告げ、軽く手を上げた。

 七篠は今度こそ軽トラックから降りると、ドアを閉めて頭を下げる。

 軽トラックが見えなくなるまで、七篠はその場で蝶野を見送り続けた。


 その後、七篠は自宅に戻った。一応晩御飯を外で食べる事と、少し家に帰るのが遅くなる事を連絡していたので、父と母はすでに就寝しているようだ。


 七篠も自分の部屋に入るとそのまますぐにベッドの上に倒れこみ、あっという間に眠りに落ちていったのである。


次回から第六話後半戦、本当の蜂使い編です


ここまで読んでいただきありがとうございました。

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