短距離転移の魔法陣
十九日、アグニの日。
朝から夕方まで無尽流の道場で汗を流し、屋敷に戻って夕食を終えた。
おじいちゃんの書斎へ集まったのは、私とアレク、シャルロットお姉ちゃんにアンリエットお姉さん、そしてガスパール兄さんだった。ギュスターヴ君は来ていない。スランプかな?
「さて、短距離転移じゃが今日は説明だけじゃ。まずはこれを見よ。」
おじいちゃんが机の上に置いたのは魔法陣のような一枚の紙だった。そしてコーヒーカップを乗せた。
「通常は短距離と言えども転移の魔法を使うにはこのような魔法陣を利用する。詠唱だけで使用するには余りにも魔力を食い過ぎるし制御が間に合わんのじゃ。」
排水の魔法だって転移みたいなものだよな? 奥が深そうだ。
そしておじいちゃんは同じような紙をもう一枚取り出して机の端に置いた。
「では見ておれ。」
『エシュターラ・ケンシンジー・コーセンオー・チョーダイガン・コーユーホン・ガンリキエー・コーイード・グンジョーショー・イッシンダ 光と闇に綴られし修多羅に願い奉る 誓いし心を影より動かせ……転移』
すると、机中央の魔法陣に乗っていたはずのコーヒーカップが端の魔法陣上に出現していた。すごい……
「ふう……疲れるわい。さて、詠唱はもう分かったな? 問題はこの魔法陣の描き方じゃ。これは転移を行う物体の重量や距離によって描き方が変わる。今回はコーヒーカップに合わせて昨夜描いておいたのじゃ。」
すごいな。こんな緻密なデザインを……
いや、それよりも母上だ。これだけのことを魔法陣どころか詠唱すらなしで……魔力だけは私の方が上って聞いたが本当か?
「そこで宿題を出そう。これと同じ魔法陣を二枚描いてコーヒーカップ程度の転移をやってみるといい。そこらの石ころを使うのがよかろう。期限はないからの、出来るようになったら見せに来なさい。それから魔法陣の基本を教えるからの。」
なるほど、これは基本ですらないのか。まずは何も考えずに丸写し。それが出来るようになったら線や図形、文字の意味を教えてもらえるってことだな。
「あの……ゼマティス卿。今さらですが私は参加してもよろしかったのでしょうか? これは明らかに御家の秘伝なのでは……?」
さすがアレク。細かいところにも気を使うんだな。私とは大違いだ。
「ふふふ、いらぬ心配じゃ。これは秘伝でも何でもない、請われれば教えもしよう。じゃが、当然教えられぬ秘伝は存在する。白金貨を山と積まれようともな。それはいずれグレゴリウス、ガスパールへと継承されていくであろう。」
「余計なことを申しました。ゼマティス卿の寛大なお心に感謝いたします。」
「そんなことよりアレクサンドリーネ嬢よ。儂のことはおじいちゃんと呼んでくれぬかのう? いずれカースと一緒になるのであろう?」
やはり孫バカっぷりが半端ではない。秘伝がそんなこととは。アレクも顔を赤くしている。ガスパール兄さんは少しショックな顔だ。
「お、おじいちゃん……私のこともアレックスとお呼びください……」
「むほー! そうよそう! それでよいのじゃアレックス! 何でも教えてやるからのぅ!」
何でも? まさか秘伝も!?
結局この日はおじいちゃんの魔法陣を見ながらスケッチとなった。一番上手なのはアンリエットお姉さん、次いでアレクだった。そして一番下手なのが……私だった。前世から絵は苦手なんだ……それに今まで必要のない技能だったため今生初のスケッチだったんだよ……
魔法学校や魔法学院では必須の技能らしい。くそぅ。またアレクに「下手なのねぇ」って言われてしまう。
なお、転移の魔法は誰も成功しなかった。おじいちゃんが長い話になると言ったのはこのことか……




