辺境伯の憂鬱
辺境伯の憂鬱はいつから始まったのか。
城門の崩落を聞いた時か、その後騎士よりクタナツ代官の書状を受け取った時か。
ことの起こりは六男ディミトリが色気を出し、事もあろうにクタナツはアレクサンドル家の一人娘を手に入れようと画策したことに端を発する。
連れの男もいたらしいが所詮は十歳と甘く見ていたらコテンパンにやられたらしい。それをいきなり部屋で暴れただの、不意打ちで負けただの。見え透いた嘘を……
一言相談すれば身が立つよう手を貸すこともできたものを……
そこに三男ダミアン、妻クリスティアーヌが絡み余計にややこしくなった。
ソルダーヌからディミトリの蛮行を聞いたクリスティアーヌは詫び状より先にアレクサンドリーネ嬢に直接の謝罪をしようと考えた。それは悪い話ではない。
ところがいつ、どこの城門から出て行くのかが分からない。ソルダーヌから事情を聞いたのは昼すぎらしく辺境伯家の情報網を持ってしても時間が足りない。
仕方なく全ての城門に見張りをつけ、それらしい子供二人が現れたら知らせる手筈を取っていた。クタナツに帰るのであればおそらくは北の城門が最有力。しかも馬車の手配をした形跡がない。
それならば少し待たせるかも知れないが十分間に合うはずだった。
ここで足を引っ張ったのが三男ダミアンだ。
ディミトリの失敗を聞きつけ自分なら上手くやれるとでも考えたのか。子飼いの騎士を利用して連行させようと目論んだ。所詮相手は子供、騎士から手配されていると聞けば震え上がるに違いない。容易くアレクサンドリーネ嬢を手に入れて見せる。どうせそのようなことでも考えたのではないだろうか。
用意がいいことにクリスティアーヌに届くはずの連絡役も他の者に止めさせる周到ぶり。悪知恵だけは回るようだ。
結局、一時間の足止めには成功したものの、見事に逃げられた。クタナツ側に関所破りの罪を問うこともできるが、こちらの非は明白。いささか、いやかなり分が悪い。
飛んで城壁を超えたとのことだが、その後の足取りも不明。まさかクタナツまで飛んで帰ったわけでもあるまい。子供二人でどうやって帰るというのだ。詫びを兼ねて馬車を用意しクタナツまで送ってもよい。それなのに一向に見つからない。本当に飛んで帰ったのか?
しかし頭が痛いのはそれからだった。
二人がいなくなってから三時間と少し。すっかり暗くなった頃だった。
執務室に大慌てで騎士が飛び込んできた。
北の城門が破壊され、その周辺の城壁まで崩落したらしい。その後、別の騎士から手渡された書状は……私宛、クタナツ代官の署名入りだった。
『ドナシファン・ド・フランティア辺境伯閣下
冬の気配を感じる今日この頃、お体にお変わりはありませんでしょうか。くれぐれも隙間風で風邪病などお召しになりませんようお気をつけくださいませ。
クタナツ代官 レオポンドン・ド・アジャーニ』
私は震え上がってしまった。
クタナツまでは急いでも片道一週間はかかる。それがどうやって?
本当に飛んで帰ったのか? そして代官の書状を携え引き返して来た……?
ついでとばかりに城門を破壊して手紙を置いて行った……
信じられんが目の前の出来事を無視するわけにもいかん。間違いなくあちらは宣戦布告をされたとでも考えているはずだ。代官も騎士長もクタナツ育ちではないが、あそこで五年も暮らせば思考は染まる。クタナツ騎士団だけでも厄介なのに、そこに冒険者まで絡んでくるとなると……争うメリットが何もない。
確かにこちらの全勢力を挙げれば勝てるだろう。だがそれまでだ。王都より責任を問われるだろうし、ヤコビニ派もここぞとばかりに踊り出すだろう。あのバカ共は王都でアジャーニ家と敵対していればいいものを……
何よりこの城門と同じことが我が家に起こらないとなぜ言える? 辺境で最も強固な城壁をあっさり破壊して見せたのだ。私や家族が寝ている間に皆殺しにされることすらあり得るのだ。
「やるしかないか……」
辺境伯は悲しそうに呟き、副官にある指示を出した。
ややあって執務室には二人の男がやって来た。
「来たか。まあ座れ。」
三男ダミアンと六男ディミトリだった。
「今回の件だが、お前達を庇うことはできない。一刻も早くクタナツに赴き許しを請わねばならぬ。分かったな?」
「何故ですか父上!? 父上は常々機会を逃してはならぬとおっしゃってました! 私はそれを実行したまでです! アレックスを手に入れれば目障りなクタナツ利権に食い込むこともできるではないですか!」
「ディミトリよ。お前の言うことも尤もだ。どんな無法も成功すれば許される。しかしお前は失敗したのだ。それも無様にな。だがクタナツに謝罪に行くのが嫌ならそれでよい。ダミアンはどうだ?」
「俺は行ってもいいですよ。前々からクタナツには興味がありましたんで。今回の件もディミトリが手も足も出なかったって聞いたもんで興味を持っただけですよ。他意はありません。」
「そうか。まあいいだろう。ディミトリはどうする?」
「行きません! フランティア辺境伯家の私がクタナツなっ」
ディミトリは言葉を最後まで言い終えることなく事切れた。最後に見たものは憤怒の形相を浮かべる父の顔だった。
父によって一閃、首を断たれたのだ。
「お前は命拾いしたようだな。クタナツにこいつの首を届けて誠心誠意詫びてこい。分かったな? 出発は間も無くだ。書状を認める故に暫し待っておれ。」
「分かってますよ。バカな息子を持つと大変ですよね。せいぜい戦争にならないよう頑張ってきます。」
ドナシファンは迷っていた。自分が行くべきではないか? しかしこのようなタイミングで領都を離れてしまうと何が起こるか分からない。信頼できる部下で周りを固めて送り出すことが最良に思えたのだった。




