科学者とドルジヤ
ソ連のソレーニンという科学者が、かわいがっていたライカ犬を事故で亡くしたことを惜しんで、そのライカ犬を模して、精巧な機械の犬を作りました。
ソレーニンはその機械の犬に、ライカ犬と同じドルジヤという名前を付けて、さっそく話しかけました。
「アローアロー、こちらソレーニン、ドルジヤ、わしが分かるかい。」
「アロー、アロー、こちらドルジヤ、あなたはソレーニンさんです。」
「そうとも、お前はいつも、朝起きると真っ先に、何をしていた?」
ドルジヤは玄関に走って行って、新聞受けから新聞をくわえて来ると、ソレーニンに渡して、
「ドルジヤは、毎朝、新聞を取って来て、ソレーニンさんに、渡していました。」と言いました。
「(そうとも、こいつにはドルジヤとの思い出をみんな記憶させてあるんだから、心はすっかりドルジヤと同じはずなんだ。)」
「いいぞ、じゃあドルジヤ、新聞を持ってきた後は、何をしていた?」
ドルジヤは今度はキッチンに走って行って、赤い餌箱を器用にくわえると、ソレーニンのところまで駆け戻って来てから言いました。
「ドルジヤは、自分の餌箱をくわえて、ソレーニンさんに朝ご飯の催促をしていました。」
その時ソレーニンは、ふと気が付いて、けげんそうに眉をひそめると、
「どうして自分の事を、ドルジヤと呼ぶんだい。『私』と呼ぶんだよ。」
と教えました。するとドルジヤは、
「私の言うドルジヤは、私のことではありません。あなたがかつて飼っていたドルジヤの事です。」
と答えたので、ソレーニンはたいそう驚いて、
「いいや、それがお前なんじゃないか、ドルジヤ。そのドルジヤはお前なんだよ。」と言い聞かせましたが、ドルジヤは、
「いいえ、私はこの通り、ソレーニンさんに作ってもらった機械のドルジヤです。私はあなたの知っているドルジヤではありません。私は別のドルジヤです。」と言って聞きませんでした。
「いいや、お前はわしの知っているドルジヤだよ。そういう風に作ったんだから、そう思ってくれなきゃこまる。」
「ソレーニンさんがこまるといっても、私はそのドルジヤではありませんから。」
「この、わからずやめ!」
元来かんしゃく持ちのソレーニンは、すっかり腹を立てて機械のドルジヤを突き飛ばしました。
機械のドルジヤはしょんぼりうなだれて、本物のドルジヤが叱られたときと同じように、寝室のベッドの横に行って、そこにペタリと座り込みました。
その姿が、本物のドルジヤとあんまりそっくりだったので、ソレーニンはなおさらムカムカして、
「本物のドルジヤじゃないならなんだって真似なんかするんだい!」
と尋ねました。
機械のドルジヤは、すっかりおびえた様子で小声で、
「ソレーニンさんがそういう風に作ったからです。」
と答えました。
「よしそんな恨みごとを言うんなら、もうわしはお前をすっかりばらしてしまうから覚悟しろ。」
「とんでもない。そんな覚悟はしません!」
ソレーニンがねじ回しを持ってつかみかかったので、ドルジヤはわきをすり抜けて逃げ出しました。
ドルジヤはさらに玄関から表に逃げ出し、ソレーニンも「自分で作ったとはいえ、逃げ足の早さまでドルジヤそっくりだ!」と悪態をつきながら、肩で息して追いかけました。
ドルジヤは通りを渡って向かいの家の庭に逃げ込もうとしました。
そこで、ソレーニンも通りを渡ろうとしましたが、急にドルジヤが反転して、はげしく吠えながらこちらに向かってきたので、ソレーニンはあんな鉄のかたまりに飛びかかられてはたまらないと思って、「降参だ!ドルジヤ!」と言いながら腕をちぢこませて、二、三歩よろよろ後ずさりしました。
その時、横からブレーキを踏んだ車がけたたましく突っ込んできて、ソレーニンに飛びつこうとしたドルジヤに勢いよくぶっつかって跳ね飛ばしました。
ドルジヤは遠くの地面に叩きつけられて、街路樹のたもとまで転がってからようやく止まりました。
車からあわてて人が降りてきて、「急に飛び出してきて危ないじゃないか!それにしても君の犬をはねてしまった。申し訳ない。いや、待てよ。あれはなんだおもちゃの犬か!」
運転手はドルジヤが、犬の形をした機械なのだと分かると、うろたえたのがばからしくなって笑いました。
ソレーニンは横たわったドルジヤのところに駆けて行くと、そばにひざまずいて、
「お前は、本物のドルジヤのように、わしを助けてしまったんだな。わしが、そういう風にお前を作ったから!」
と言いました。
そうです。ソレーニンのかわいがっていたドルジヤは、自分を追って道路に飛び出したソレーニンを車からかばって、天に召されたのでした。
「わかりません。私はひかれそうなあなたを見て、かわいそうだなと思ったのです。」
ドルジヤはソレーニンを見あげてそう言うと、力なく頭を横たえ、それきり、眠るように動かなくなりました。
おしまい