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track:09 時弊報告 [mine]


 女学園の制服を着て家を出たものの、真面目に通学する気は微塵もなく、風上ふうじょうみねは退屈なカフェでノートを開いていた。

 めいの事件に関して、思いつく限りの犯人像と犯行の手口を書き綴っているうちに眠くなってしまい、木目のテーブルに顔を伏せる。

 先日の遣り取りで協力関係を結ぶことになった『offオフ・ theザ・ lightsライツ』のメンバーから、ここへ来る途中にメッセージを受信していた。交友関係の広いシュンとヨエルが人脈を酷使し、ロッカールームの男子生徒について調べてくれたらしい。

 該当者は棚岡たなおか弘輝ひろき。3年。フルート専攻。

 学年は同じだが、詺と接点はないようだ。詳しいことは会って本人に質問したい。


 上手く脱力できずにぼんやりしていると、聞き覚えのある声がフロアに響いた。確かめなくても詺の母親だとわかる。ランチの約束をしていたらしく、数人の女性と一緒だ。

 現在、つまらない店は3分の1ほどしか埋まっていない。いろいろと面倒なので、こちらに気づかれないよう注意を払いながら奥のテーブルを窺った。

 彼の母親は明るい色の洋服に身を包み、同席者と笑顔を交わし合っている。

 随分と楽しそうで、不安定な詺の存在を意識下で抹消したようにも見えた。社交性とは無縁の親しみにくい子どもを生んでしまったことを隠し続けているのかもしれない。

 サナトリウムの受付で訊いてみたが、やはり両親は一度も見舞いに来てくれていないようだ。

 生育環境のせいなのか、詺が周囲に強く助けを求めたり、人と馴れ合ったりしている姿を見たことがなかった。他者と距離を置きたがり、複雑な胸の裡を簡単には明かさない。そしていつも、向けられたナイフと槍を精神の檻に投げ込んで音楽の世界へ行ってしまう。


 家庭の問題で命を絶とうとしていたのではないかと一瞬考えたが、両親の不和が原因ということはなさそうだ。彼の父親は海外赴任で、母親は今も左手の薬指に綺麗な指輪をしている。

 不満やすれ違いがあるからといって、彼らが離れて暮らしている子どもを突然死に追い遣ろうとする理由も浮かんでこなかった。

 心を開かない詺が悪いわけではないし、愛せなかった両親が責められるべきとも思わない。しかし遺伝子の気紛れが、親子の間に無関心という氷壁を築いたのは確かだ。



 図書館で役立ちそうな本を借り、サナトリウムへ足を運んだ。

 詺は相変わらずの状態で、静かな部屋の心地よさに身を浸すような眠り方をしている。

 彼のパジャマの腕を掴んだとき、ベッド横のバスケットに血のついたティッシュペーパーが捨てられていることに気がついた。怪我はなさそうなので鼻血だろうか。

「詺。もしかして誰も来ない時間に起きてるの?」

 そうだけど、などと返事があるはずもなく、望みを持ちたがっている自分を突き放す。

 久しぶりに、詺とふたりきりで話がしたかった。彼の深い洞察と考察は、危うい社会を生き抜くための有力な知識であり、親密な対話は日々の苦しみを分け合う儀式でもあった。

「わたしはいつも、あなたの目で見た『風上峰』がどういう人間なのかを知りたかった。……歌にしてくれてもいいけど、恥ずかしいから歌詞にわたしの名前を入れないって約束して。タイトルにイニシャルを使うのもだめよ」

 静寂の中、不意に受信したメッセージを読む。件の棚岡が無断欠席をしているらしい。級友や講師も本人と連絡が取れず、フルート専攻のクラスで軽いざわめきが拡がっているとのことだ。そして棚岡がかつて、『加矢間かやまのようなゴートにはなりたくない』とサークル仲間に打ち明けた話の詳細が書かれている。

 棚岡はどこへ行ったのだろう。彼は犯人ではなく、覗いてはいけない秘密に触れて別の誰かに殺されたのか。



 緊張が解けた手で詺の髪を撫でながら、彼と行った街の楽器店を回想していた。

 あれは中等部2年の頃だ。少しなら弾けるというので、遊びのつもりで店に展示してあった試奏用のギターを詺に持たせた。

 ぎこちない扱いから予感はしたけれど、やはり特別な演奏とは程遠く、ピアノを弾いているときには絶対に見られない指の戸惑いが可笑しかった。

 緩く開いたTシャツの襟が肩の方にずれて、白い素肌を分断するように載っていたギターの黒いストラップ。

「愛を探してるバンドマンみたいで素敵だったのに」

 自分たちの過去が存在していたことを証明する術はなく、慣れないギターを弾いている彼の姿は思い出の中にしか残せなかった。

「本当に死ぬつもりなの……? それならわたしも」

 込み上げてくる涙の気配を察し、詺の人差し指を右の目頭に押し当てた。

 左はもう感情を抑えられない。

「あなたの怒った顔が好きだった。人間の裏側を誰よりもよく知っていたから」

 風に煽られた前髪が、彼の無気力な目元を覆い隠そうとする。

 どう生きても傷を負い、悲愴の瓦礫を抱えていく運命だ。

 零度の涙が詺の指を伝い落ちて、暗い袖口の奥に終わりを見つけた。

「わたしたちは初めから、この世界と調和できるように造られてない。でも、わたしは、あなたが生まれてきてくれたことだけが……」



                                 track:09 end.

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