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track:08 dead pixel [joel]


 ヨエル・フランシス・サーリは船室の窓を開け、海沿いの街を観察した。

 屋上でそよぐシーツの群れ。囁くように揺れる草花。グラフィックと相対する景色。

 遂に風上ふうじょうみねからオファーが届いたので、隠れ家っぽさが気に入っている廃船レストランに招待してみた。

 緊張をはぐらかすように歌を口ずさんでいると、細いドアから本人が姿を見せた。

 彼女は案内役のウェイターに礼を言い、微笑みながらテーブルに近づいてくる。

 緩んでいた表情と姿勢を整えて加矢間かやまめいの幼馴染を迎えた。

「お招きいただきましてありがとうございます。風上峰です」

 淡いグリーンのワンピースに白いカーディガン。畏まった店だと思ったのか、髪がシックに纏められていて清潔な装いだ。

「はじめまして。ヨエルです。仲間から聞いていましたが、お綺麗な方で驚きました」

「待って。褒めすぎよ。反応に困るわ」


 ほどよく打ち解けた空気で奥の席を勧め、テーブルに着く。

「……メイは今」

 雑談の後にするつもりだったが、話を始める前に安否だけでも確かめたかった。

「タイムトラベラーみたいに眠ってるけど大丈夫よ。一応生きてるから」

「そう。よかった」

 笑顔になれなかったのはたぶん、風上峰の声に悲観的なニュアンスが潜んでいたからだ。胸の痛みを無効化するように注文を済ませ、彼女に向き直った。

「『offオフ・ theザ・ lightsライツ』はそれぞれに皆、メイを必要としてた。彼の死を望んでるメンバーはいないと思う。信じて貰えないかもしれないけど……」

「わたしも同じ考えよ。疑ってない」

 敏感に悪意を読み取り、嫌いな人間を遠ざけようとする詺が、服毒した当日もグループに在籍していたことから、彼女はメンバーが原因ではないと推理したらしい。

「遺書はなかったのよね?」

 L館の中を4人で探したが発見されていないと伝えた。誰かが保身のために持ち去ったとは思えない。それ以前に、犯人が身近な人物だとしたら、目につくところに手紙を残すのは危険だ。詺の性格ではあり得ない。

「何日か待ったけどわたし宛にも届かなかった。でも、本人の意思で死のうとしてたならあるはずなの。そういう約束だったから」

 ようやく今、加矢間詺と風上峰の関係性を理解できた気がした。

「おそらく詺は遺書を書いてない」

 つまりそれは、誰かに殺されかけたことを意味しているのか。


 事件当日の記憶を辿り、部外者が彼の部屋に出入りできたかをシミュレートする。

「センサーを切ってどこかの窓を割らなければL館に侵入するのは無理だ」

 セキュリティに隙はなかった。施錠を解けるのは、登録した指紋とカードキーの両方が揃っている『off the lights』のメンバーと、海外に帰省しているルーシィ先生の6人。

 やはり外部からの接近は不可能に思える。窓は1枚も割れていなかった。


 靄に覆われた休止符が、解答すべき問いを作り出す。

 自殺の動機。

 なぜ遺書がないのか。

 メンバーに打ち明けなかった理由は。

 公演日の早朝に決行した訳。

 毒の入手経路。

 詺が幼馴染の峰にさえ相談しておらず、ふたりの約束事も反故にしたというのは不自然だ。犯人に口止めされていたとしたら納得できなくはないが、手を下さずに人を殺すことは現実的に可能なのか。

「この間、見学したいと言ってアーブル音楽院に潜入したの。詺のロッカーも見てきた」

 彼が作曲科の生徒から嫌がらせを受けていたことは知っている。学内で偶然それらしい場面に出くわしてしまった。切れ長の目に怒りを滲ませながらも、表情を動かさずに歩いていく詺の横顔が脳裏に焼きついていて、無言で見送った自分を責めたくなる。

 風上峰は次に、メガネを掛けた男子生徒について訊ねてきた。

 その人物がカメラを手にしていたという情報があり、携帯用のPCにフォトサークルの画像を映して彼女に見せた。

「この中にいる?」

 エントランスでの集合写真に部員が約20名。

 席を立って身を乗り出した峰が、固く唇を閉じて画面を覗き込む。

「前列の左から3番め……。別人かしら。メガネしか憶えていなくて……」

 彼女が指した男子生徒を拡大し、適当なフレーム画像と合成する。

「これでどう?」

 峰は息を呑み、確信した面持ちで頷いた。

 L館の仲間とオンラインで話し合った結果、騒動の元凶かもしれない人物を、風上峰と『off the lights』の4人で探すことになった。詺だけでなく自分のためにも、このまま終わりにしたくない。


 短い沈黙の後、無垢な好奇心を感じ取って彼女の瞳を見つめ返す。

「失礼だったら申し訳ないけど、その髪、カラーリングしてるの?」

 肩に届く程度の蜜っぽいブロンドを、ひと束摘んで光に晒す。

「生まれたときからずっとこの色。派手すぎる?」

 風上峰はやわらかく笑って首を横に振った。

「グループの中で詺と一番親しくしていたのはあなた?」

 この段階になって初めて、彼女が詺から何も聞かされていないことを知った。

「ごめんなさい。違ったかしら」峰は華奢な指でシュガーポットに触れる。「詺とはしばらく会ってなかったの。『off the ligths』の活動はライブの告知で気づいた」

 彼女も相当に複雑そうなので、すれ違いを修復するための時間が通常より長く必要だったのかもしれない。

「メイと仲がよかったのはボクだと思う。学年も同じだし、相談事は彼に持ち掛けることが多かったかな。……気難しいけど独特の感性を持ってて、出来上がった曲を聴くと彼の大切にしてるものがよくわかったよ」



 風上峰を駅まで送り、海辺の路を当て所なく歩いた。夕陽に染まった潮風が袖の隙間から吹き込んでくる。

 子どもの頃、大聖堂のパイプオルガンを弾きたくて鍵盤を習い始めた。

 音楽好きな両親の期待に応えようと努力もしてきたけれど、中等部から密かに熱を注いでいるCGアートをやめられない。

 モノトーンの処理施設。謎めいた果樹園。偽りでしか成り立たない風景。

 その制作過程と完成したピクチャーを動画サイトに載せている。そこで知り合った2学年上のユーザーをリスペクトしていたが、彼はコードを引き抜くように命を断った。残されたメッセージは、『無音の部屋に佇んでいると、鏡に映った誰かが、踊りながら右手をミキサーに突っ込もうとする』。

 そして自分には、『ハマりすぎるなよ』と素っ気ないコメントを寄越してきた。アートに憑りつかれてひとりになるなと言いたかったのだろう。

 忠告は有り難いが、この先も音楽をやめるつもりはない。

 いつかの朝、連日の徹夜作業で忘れていた課題を、詺が何も言わずに手伝ってくれたことがあった。音楽とアート。ジャンルは違うけれど、あのとき確かに、もの創りへのこだわりとプライドを互いの中に認め合えた。

 彼は作詞、自分はグラフィックの仕上げに傾倒し、一睡もせずにライブを終えた日を思い出して寂しくなる。

 あれが純粋な自殺でないとすれば、詺を陥れた者を絶対に許さない。


 帰路の途中、深刻なインスピレーションが浮かんだ。

 夜の水槽でピアノを弾く加矢間詺と、楽譜に落書きをする風上峰。

 やがて演奏の手を止めた詺は疲れ果てた涙を拭い、峰のあたたかい腕に縋りつくようにして眠りに就いた。

 大人びた態度で矢を受け止め、冷静なふりをしていても、人は傷ついた心を隠しきれない。



                                 track:08 end.


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