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身代わり息女は錬金術師  作者: 彩子
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001

 いつも自宅までの通勤路として使っている繁華街の細い裏通り。

 駅と自宅を繋ぐ近道であるそこを通った時、強い風が吹いた。

 突風に髪が巻き上げられ、視界を遮るように顔にぶつかるそれが目に入らないよう、思わず目を瞑る。

 瞬間、ガッと頭のてっぺんに強い衝撃があり、カシャンと何か陶器が割れるような音を聞いたのを最後に共に私の意識は途切れた。

 多分、この世界では永遠に。



* * *



「ねえメリア、まだ?」

「もう少しですよリアナお嬢様」

「ううん、もうすごくいいにおいがするのね」

「そうですね。きっと甘いですよ」

「たのしみね!」


 使用人用の厨房の端、じりじりと熱を放つオーブンの前で、柔らかく波打った明るい金髪の、人形のように可愛らしい幼女が私に顔を寄せ、その涅色くりいろの目を楽しそうに細めながらきゃっきゃと話しかけてきた。

 幼女はの名前はフロリアナ・ディ・モンテ。

 私が住むこの島を治めるモンテ子爵の一人娘であり、妖精種の血を継ぐ貴族の生まれで、父方の血がどことなく感じられる顔つきと母譲りの髪と目の色が特徴的な美少女だ。

 貴族基準でもそこそこ高い魔力もあって、御年五歳にして既に将来有望である。

 さすが私の宝物だ。

 そして私ことアメーリア・シルヴェストリはその乳姉妹にあたる。

 当時初産の疲労で体調を壊した奥様は乳の出が少々悪く、足りない分を補い、空腹の夜泣きに対応する為に半年ほど前に私を出産して育児の為に休養中だったメイド、つまり私の母に白羽の矢が立った。幸い当時の私は離乳食をもりもり食べ始めた頃で、二人の幼児は母の乳で十分に賄え、私もお嬢様も恙なくすくすくと成長した。

 現在、私はお嬢様とこっそり社会勉強にかこつけたおやつ作りの最中だ。

 庭のグリの木の実を収穫して食べられるように加工し、お嬢様からお茶に入れるハチミツを横流しして貰い、お小遣いで手に入れた少量の小麦粉と卵と油を繋ぎに作ったクッキー種を一口大に分けてオーブンに放り込み、あとは焼きあがるのを待つばかり。

 オーブンの前で砂時計を見つめながら動かなくなったお嬢様相手に、今日のおさらいとして勉強だ。


「さて、とりあえずこれで、グリの実を食べられるようにする方法は分かりましたか?」

「うん! でもおいしいのはたいへんなのね。カラをむいたり、すりつぶしたり、みずであらったり、すごくたいへん!」

「はい、大変なんですよ。大変ですから、粉屋さんではグリの実の殻を剥く仕事がいつでもあります。百個殻を剥いたら、銅貨を一枚貰えます。銅貨一枚あればパンが買えます。町で決まった仕事が無くて困っている人はこの仕事をしてパンを買います」


 グリの木はこの地域ではよく育ち、潮風にも強く、栄養価もそれなりに高い種子を沢山実らせるという神からの恵みのような樹木だ。種子は灰汁が多いために生食は出来ないが、油を取ったりゼリーにしたりパンやクラッカーに混ぜて一緒に焼いたり、加工してオートミールやペーストに混ぜて食されたりと、その恩恵は小麦の生産地が少ないこの国にとって非常に大きい。

 しかし、種子の形状は地球で言うところのクヌギの実そのもので、渋皮こそ無いものの加食部分は殻に覆われている。

 味も灰汁抜きの過程でほぼ無くなっている為正直分かりにくいが、かろうじて甘みの少ない栗のような風味を感じるので恐らく近似種と言っていいだろう。

 なので当然加食部分を取り出す為には帽子と殻を剥がさなければならない。

 灰汁抜きの為にすり潰す必要があるので栗のように無傷で取り出す必要が無い事だけは助かるが、割るまでは機械でどうにかなっても、殻を混入させずに取り出すような機構はまだ発明されていない為、機械や専用のペンチで真っ二つに割った後は人力で穿り出して殻と実を選別するのが一番手っ取り早く安上がりな方法だった。

 ちなみにグリの実の加工仕事はこの国の中では大抵失職者や浮浪者、孤児院などの弱者を救済するセーフティネット的な仕事としてのポジションを得ている為、中身を取り出す機械の開発は余程の事が無い限りは進まないだろうと私は予測している。


「グリの実百個は銅貨一枚パン一つと同じ価値。これは初代国王様が決められてからずっと変わらない決まり事です」


 物価がどれだけ変わろうとも、必ずグリの実百個に銅貨一枚の価値を付ける事。

 必ず銅貨一枚で買える銅貨十枚分――100ガラム以上の重さのパンを一種類は作る事。

 時代によってグリの実百個の解釈や取り扱う店が変わったり、パンの品質が良くも悪くも変わったりしても、必ずそれだけは守られている。

 勿論、理由なく続いているわけではない。


「この国のはじまり、アールヴからグリの木の苗を貰った時にした約束だそうですよ」


 この世界には人間の他に言葉を話せる存在として竜が居るが、大昔にはそれ以外にもアールヴやドワーフといった、妖精種と言われる人種が存在したらしい。

 魔術を巧みに操るそれらの種族は人間との交配が可能であった事から、自分の血族に魔法を使わせる為、高い魔力を持った血を取り入れる為にと人間の国は競うように積極的な異種婚姻政策を取り、あちらの種族が繁殖力の低さ故に絶対数が少なかった事からあっという間に混血が進み、数百年前に純血種が絶え、今では伝説の存在となっている。

 かく言う私も先祖返りの魔法剣士としてそこそこ名を馳せた父方の祖父の血がよく出たらしく、お嬢様には一歩……いや二歩ほど劣るものの魔力はそれなりに高い。貴族は魔力の高さと妖精種の血が濃さがステータスでもある為、生半可な庶民は魔力では選りすぐりの血を持つ貴族に勝てないのは当然だからそこは気にしていない。

 だが戦士として生きてきた血筋の為か、父も私も割と耳は良かった。


「アールヴとのやくそく! すてき!」

「ええ、素敵ですね。それに約束を守るのはとても良い事です。王様もきっと良い人ですよ」


 個人的にはアールヴとの古の契約の存在とそれを守り続けているという伝統は、この国はアールヴが生きていた時代から存在していてアールヴとも平和的に融和した国なんだぞという箔付けとしての価値こそ重要なんだろうと思っているが、時代で柔軟に解釈を変えようとも伝統を守り続けるという姿勢は立派だし、国のはじまりと貨幣価値基準の制定を伝えるこの伝承が素敵だというのはお嬢様と同意見だ。


「リアちゃんはお嬢様に勉強を教えるのが上手だねえ」


 くすくすと、私たちのやり取りを横目に見ていたコックのおじさんが笑う。


「副料理長さま、今日はオーブンを使う許可をくださってありがとうございます」


 小さな屋敷とはいえ使用人は両手両足の指程度の人数は居るし、料理に使う施設の都合もある。

 パンを焼く為のオーブンを私用で日中に使わせろという要望に、使用人用の厨房を預かっている副料理長が快く応じてくれなければ、この計画は立てられなかった。

 私がぺこりと頭を下げると、お嬢様もぺこりと真似をした。可愛い。


「いやいやなんの、リアちゃんが料理の下ごしらえを手伝ってくれたから、焼く時間を空けられたのさ。お嬢様も、私に礼を言う必要はないですよ。頭を上げてください」


 事前にグリの実クッキーを焼きたい事を伝えて予定の日のメニューをそれに合わせて調整し、無理を言ったお詫びにと朝早くから頑張って野菜の皮むきを手伝ったりして料理する場所を開けたのだ。


「材料はリアちゃん達が用意したものだし、薪がちょっと減った分も、リアちゃんが魔法で数回窯を焼いてくれたからむしろ浮いたくらいさ」


 あんな方法あるんだねえ、と感心される。

 この世界には魔法が存在するが、魔法でちょっと火を熾す程度の事は多くの人が出来ても、強い魔法を使ったり、ずっと魔法を放出し続けるのは酷く魔力を使う為難しい。

 なので知っていたとしても普通の平民である副料理長には無理だっただろうが、魔法で直接窯の中を熱くなるほど焼いて、窯が温まるまでの時間と薪を減らすというのは、副料理長には無い発想だったようだ。


「野営とかをする時に、魔法で焼いた石を鉄板の代わりにしてお肉を焼いたり、早くお湯を沸かせる為に鍋の中に入れたとおじい様から聞いた事があったのです。それと、オーブンの残り火で作る料理があると本で読んだので、魔法で生まれた熱をそのまま他に移せるなら、窯を魔法でそうしたら薪が節約できるんじゃないかって思ったんです」

「なるほど合わせ技か。『疾風はやての騎士』の教えはこんな所でも役に立つんだねえ」


 疾風の騎士はおじい様の二つ名だ。

 名前の由来は大昔の諸島統一時の風魔法による大活躍からで、五歳にして既に何度も当時の自慢話を聞かされている。

 屋敷の書庫には子爵家の方々が購入した色んな本があった。私が読んだ料理本はおそらく、何代か前の奥様あたりが買ったのだろう。

 お嬢様と一緒に絵本を読む為に書庫に入った際に見付けたそれが、今回の計画の発端である。


 私は転生者だ。前世は地球の日本人。

 物心ついた頃から――と言ってもぼんやりしていた思考と記憶がしっかり安定してきたのは二歳を超えたあたりなのでまだ三年程度しか経っていないが――この小さな島で暮らしていたが、最近やっとの事でどうやらこの世界が現役で剣が活躍し魔法が飛び交うファンタジーな世界である事や、私がそこに転生した事を理解し、受け入れ終わったところだ。

 お嬢様の乳姉妹という立場は、私が状況を把握するのにとても役立った。

 何しろ家の中しか歩き回れないような小さな幼児でも字をきちんと学べる機会があるのだ。

 この世界では魔物と呼ばれる生物が居たりして、その辺から取れる特殊な素材もあって中世ヨーロッパよりは紙やインクの材料がありふてれいるが、ちゃんと学んだり本を手に入れるとなると私の年齢では難易度がやや高い。

 満七歳の『童子節』を迎えれば私個人で学べる機会は各段に増えるのだろうが、それまで待っていられなかった。

 お嬢様は貴族なので七歳までに家庭教師で基礎を学ぶ。その為お嬢様にくっついている事で私も一緒に教師のちゃんとした教えを受けて言葉を覚え、旦那様たちや使用人の会話で単語を覚え、お嬢様に買い与えられた絵本を一緒に読ませて貰う事で文字を覚え、お嬢様がおねむの時間に書庫に潜り込んで難しい綴りの単語も発音に聞き覚えが無いか記憶を探ったり、前後の文章から意味を類推したりして、ある程度問題なく文章を読めるようになった。

 この国の言葉がアルファベット的なもので構成されていたのは助かったと言える。

 日本語の漢字に相当するようなものがあったらお手上げだっただろう。


 そんな私だが、庶民だった前世では当然何でも知っていたわけではないし、こっちで仕入れた知識も勿論ある。

 応用するという発想は前世の意識の賜物ではあるが、今回のおやつ計画の基礎はこちらの知識と言えるだろう。


「レシピ本があるなら読んでみたいなあ。知らない料理が載ってるみたいだし、俺も旦那様に申し出てみようかな」

「美味しい料理の献立が増えるのは嬉しいので、ぜひお願いします」


 旦那様達の料理を作る本館の料理長ともう一人の副料理長は本土から来た人なので料理本のレシピはもう知っているかもしれないが、この島育ちのこっちの副料理長はまだまだ勉強中だそうで、この島の郷土料理と料理長が教えてくれた料理以外のレパートリーが少ない。

 使用人用の厨房の料理長はもう一人の副料理長とこの人が一か月交代で受け持っているので、レシピ本の料理をあちらの副料理長が知っていればいつか食べられるかもしれないが、こちらの副料理長が作れるに越したことはないだろう。

 私の今後の食生活の充実の為にも、成長を応援するばかりである。


「あっ、メリア! すな! すながぜんぶおちたわ!」


 会話をしている間に砂時計が落ち切ったらしい。

 嬉し気にこちらを振り向くお嬢様に私も微笑み返し、副料理長にオーブンから鉄板を取り出してくれるよう頼んだ。




 グリの実クッキーは初めて作ったにしては上出来な味で、秘密の勉強会はご相伴に預かった副料理長の申し出によってレシピの更なる改良が決定して好評で終了した。


 ……と、ここで終わっていればいい話だったのだが、クッキーを食べすぎた事で夕食の入らなくなったお嬢様が病気ではないかと騒がれ、慌てて副料理長がゲロった事で諸々がバレ、父から計画の主犯の私に騒ぎの元凶としてゲンコツが降った。

 あまりの痛みに、また転生するのではないかと思った。

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