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「中は涼しいわね。ちょっと黴くさい気もするけど」
彼女の言うように、トンネル内に足を進めると、炎天下だった外からぐっと体感温度は下がった。暑さと自転車の運転で疲弊していた僕は、この涼しさにほっと息をつく。
ミナミはマイペースにトンネル内を進んでいた。その足どりは軽やかで、まるでハイキングにでもやってきたかのようだった。
「ミナミさん。そう言えば、なにか依頼があってここに調査に来たって言ってましたよね」
「うん」
「それってどんな依頼だったんですか? 一応確認しておきたいんですけど」
「あれ、言ってなかったっけ?」
「はい。なにも」
「あら、そうだったかしら」
毎度のことながら、なんの説明もなく強引に連れて来られている僕である。少しはその辺りも気にしてもらいたいものだ。
僕が心の中で不満を噴出させていると、前を進んでいたミナミがふと足を止め、こちらを振り向いた。
「出るんだって」
その言葉の意味が一瞬理解できず、僕はきょとんとする。
「出る? 出るってなにが?」
「馬鹿ね。だから、もちろん出ると言ったらあれしかないでしょ」
察しの悪い僕に、ミナミは途端に冷たい視線を送りつけてくる。
「幽霊」
ユウレイ。
その言葉の意味が体に染み渡るとともに、ぞくり、と背筋に悪寒が走った。
「ゆ、幽霊?」
「そ。この元陶トンネルは以前からたびたびそういう噂が立つことで有名で、別名幽霊トンネルとも言われているところなんだけど、そんな霊的名所を我がオカ研に調査して欲しいって依頼がきたってわけ」
なるほど。確かに気にはなるところだ。
「で、でも、ただの噂なんですよね。幽霊なんてそんなのはきっとなにかの見間違いとかだと思うんですけど……」
「だから、見間違いかそうでないか、それを調査するんじゃない。なんのためにここまできたと思ってるのよ」
いや、ここまであなたを連れてきたのは僕ですけど。
「とにかく、ちゃんと記録係としての仕事は頼んだわよ。誠二くん」
「は、はい……」
運転手兼記録係兼雑用係にお世話係でもある下僕の僕は、しぶしぶミナミの指示に従うのであった。
「確か、依頼ではこの辺りに出るってことだったんだけど……」
「え……っ!?」
いきなりそう言われ、あやうく手にしていたハンディカムを取り落としそうになった。
「ちょっと! それ、この間お父さんから買って貰ったばかりなんだから、気を付けてよね! 落としたらただじゃおかないから」
ミナミに鋭く叱責され、冷や汗を流す僕。確かにまだ真新しいハンディカムは、その辺に落としでもしたら殺されそうな代物である。
心配だったら自分で撮影すればいいのに……。
「なにそのなにか言いたそうな顔は。いいのよ。文句があるなら遠慮なく言っても。まあ、その覚悟があるならの話だけど」
「い、いえ。なんでもありませんよ……」
僕の困り顔を見て満足したのか、ミナミは再びトンネルの中に目を向けた。そこはトンネルの中程、ちょうど中間に近いであろう辺りである。
いかにも不気味な雰囲気。なにかが出そうというのはなんとなくうなずける。
僕は気が進まないながらも、辺りを撮影するためにハンディカムを構えた。
「しっかり撮っておいてよ」
ミナミの命令に従い、RECボタンを押す。ハンディカムを顔の前に固定させたまま、ゆっくりと撮影を始めた。
最初にミナミを枠に捉えたあと、そのまま右回りにカメラをパンしていく。自分の視線とカメラワークが一体化する。次第に体が緊張感に包まれる。
視界に映るのは、薄暗いトンネル内の光景。ミナミのいる位置とは反対側にある電灯がレンズに映った。闇を照らす光の存在にほっとする。
と、そのとき電灯が急に暗くなった。そして、ふっとその明かりが消えた。
「……え……っ?」
心臓が脈打ち、どこからか震えが走る。
突然の闇。まるで何者かが邪魔な光を消したみたいに。
ナニモノカ?
それはなんだ?
僕はさらに激しさを増す鼓動の音に、体中が支配されていくような気がした。
呼吸が苦しい。
急速に周囲から音が消えていく。
嫌だ。
これ以上ここにいたくない。
この先にあるものを見たくない。
本能的な忌避反応。
良くないものが、近くに来ていることを、己の中のなにかが知らせていた。
「ミナミ……さん……!」
やっとのことでそれだけを口にしたあと、僕の意識は急激に遠のいていった。