4 【古】の魔族達
魔族には親はいない。
子もいない。
ただ一人で生まれ、孤独に生きる。
あたしもそうだった。いいえ、そうなるはずだった。
誰に庇護される必要もない。
自分に出来ること、なすべきことは生まれた時から知っていた。
だから――いらなかったのよ、魔族に王なんて。
最初から最後まで、本当は。
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ベヒィマの声が脳裏に響く。
唇を動かす必要もなく、ただそこにあるように。
【世界の裏側】で、私はそのすべてを同時に手にし、自由に閲覧できる。
頁をめくる必要も、見たい記憶を選ぶ必要もない。
全てが私の管理の下にあるが故に。
暗闇の中、泣きじゃくるベヒィマの姿が分かるのは、見えると言うより感じ取っているのだろう。この闇は、私の腕であり私の身体であるから。
あちらの私が流れて来たものに気を取られ我を失いそうになっていたのは、この魔術が未だ私のものだからだろう。
ここは【世界の裏側】であり、私の内側であり、どこにでもありどこにもない場所。
私を端末して記憶を貯蔵する記録庫だ。
そのことを、私は知っている。
何故ならば、魔族とは――
暗闇にしゃがみ込んだベヒィマの向こうで、風が吹いている。
赤茶けた砂と岩山、谷底を流れる川。荒れ果てた土地。
ベヒィマはいつの間にかあの頃の――出会った頃のような分厚い羊毛のマントを纏っていた。淑女然とした黒いドレスは既にない。頬も髪も泥に汚して、ただ座り込んでいる。
ああ、思い出す。
初めて彼女に会った日のことを。
風に吹き散る砂礫の先を、呆然と見詰める黒い瞳。
今よりも痩せ骨の浮き出ていた両手が、地面に爪を立てた。
薄茶けたその手元に、影が差し込む。
ゆっくりと上げた少女の瞳に映ったのは――あの日の私の影だった。
荒れ地の風に長い黒髪を揺らしながら、私が言う。
『君が、ベヒィマか?』
『……あんたは?』
割れた唇がゆっくりと動いて、枯れた音で尋ね返した。
私は微かに頬を緩めて、己が胸を指す。
『私は魔王――魔王バアルと言う。魔族の長にしてその民に関する傅く者。同胞を束ねよと女神に命じられた者だ』
『……へえ』
無感動な答えの後に、しばし沈黙が落ちた。
私もまたそのまま口を閉じ、ベヒィマの見つめる彼方へと視線を向ける。
魔族の証たる黒い瞳、黒い髪。並ぶ2人のうち、ベヒィマの髪は土埃と泥で多少艶を失ってはいたが、それでもすべての光を吸い込むような深い色を隠せはしない。
『あんたが本当に王だと言うなら――』
ぽつり、とベヒィマが口にした。
『――あたしは何故ずっと一人でいなければならないのか、教えてちょうだい』
その答えを、私は知っている。
そして勿論、あの頃の私も。本当は、ベヒィマ自身も。
――我ら魔族は、女神より、世界を見張る管理者として生み出された故に。
だが、私はそれを口にはしなかった。
代わりに、何もかも失ってまた一人に戻った少女に、手を差し伸べた。
『私と行こう、同胞よ。もう一人孤独に耐える必要はない。後から生まれた友を次々と見送り――』
私の目が、少女の手元をちらりと掠めた。
濡れた手元。乾いた頬に残る涙の跡。
『――再会を待ち続ける必要はもうない。我ら皆、同じ生命を持つ者なれば』
『女神さまはお命じになったのでしょ……』
『あまりにも長き生命を、ただ命令のみに捧げることは不可能だ。我らもまた女神とは別の一個の存在。彼女の言うがままに生き続けることはもう出来ないのだ』
じゃり、と小石を踏みしめた音が響く。
立ち上がるか細い少女の影が一つ、差し出された私の手を取った。
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ここは【世界の裏側】である故に。
とうに起こり、終わった記憶もまた貯蔵されている。
シトーの言を信じるならば、千年も前に私はこの世界を一度去ったらしい。
ならば、今見た記憶はそれよりも更に百年は前。まだ魔族三将軍もおらぬ頃。
女神へと反旗を翻す、その初めの内。
ああ、そうだ。
何故忘れていたのだろう、私は――女神を、倒そうとしたのだ。
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嘘だった。
全部、嘘だったのよ。
魔王さまには出来なかった。
本当は、あたしだって分かってた。
創造主に逆らうなんて不可能だって。
あたし達はそういう風に作られた。
ただ一人でも、監視の任務を果たせるように。
監視者同士が寄り集まって、反乱の策を練るなんて滑稽だわ。
滑稽でしょう。滑稽よ。
だけど、嬉しかったの。
死神すら迎えに来ないあたしを、迎えに来てくれた人がいるってことが。
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時折走るベヒィマの声を聞きながら、我が王城のあるゲエンナにて、共に過ごした時間を思い出す。
ジーズ、ベヒィマ、そしてレヴィ。
魔族三将軍の率いる不死の兵、その錚々たる行軍。
前に立つ私の隣には、朋友たる人族の男。
後ろに控える片腕の臣下。
そして、誰よりも愛しき我が――
【レイヤ――!】
ちょうど思い浮かべたその人が、私ではない私の名を呼ぶ声がした。
ぐらり、と【世界の裏側】が揺らぐ。
まずい。
あちらの私には、この場所は御せまい。
ここは私の管理する貯蔵庫であるが故に。
呼ぶな、と告げた声は彼女の耳には届かなかったのだろう。
二度、三度と外側から、涼やかな声で揺さぶられる。
私の中で押し込められていたもう一人が、目覚めようとしている。
揺れる世界に堪えながら、ふと顔を上げた。
丁度、漠とした様でこちらを見ていたベヒィマと、視線が絡む。
ああ、そうか。
お前が、ティルナノーグの姫君を狙っているとすれば、それは――
【――出て来い、レイヤ!!】
私の胸を割きもう一人が羽化する前に、私はベヒィマを連れ【世界の裏側】から浮上した。
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漆黒の水たまりが、足音でぽちゃりと音を立てた。
暗闇が、オレと、オレの腕の中の女の子を置き去りにして、地面に吸い込まれ消えていく。
「――レイヤっ!」
背後から突然呼ばれて振り返った途端、金色の塊が胸元に飛び込んで来た。
「――お前っ……無事なんだな!?」
「アル……?」
ぎゅうぎゅうに抱き締められて、背中から肩から腰まで、ケガがないことを確かめるように撫でまわされる。忙しなく動く両手が、最後にオレの胸元から首を這い上がり、頬を挟んだ。
強制的に上げさせられた顔の、まさに目の前で、潤んだ青い瞳がオレを見ている。
「あ、アル……あの」
何でオレを呼んじゃったんだ、なんて責められる様子じゃなかった。
震える唇は青ざめて今にも決壊しそうで、こんな表情前にして、下手なことを口にする勇気はない。
何を答えるべきかも分からなくて黙っていたら、オレの身体がどこも失われてないことにようやく安堵したのか、アルセイスが深い息をついた。その吐息が思い切りオレの前髪を持ち上げて――そこで、ようやく近過ぎる距離を認識したらしい。
近寄ってきた時と同じくらい早く、身体ごと跳び下がってく。
距離が空いたとこで、オレの腕の中でぐったりしてる女の子の――地魔ベヒィマの存在に青い瞳が向けられた。
「――お前! それ、そいつは――」
「あ、大丈夫。今は気を失ってるみたいだから。無理矢理引き摺り込んで引き上げたのが良くなかったんだろうな。それより、鳥魔ジーズの方は――」
「――ここだよ、お兄ちゃん。すわ3対1かと思ったけどさ、アルシアちゃんが必死であんたのこと探し始めてくれたから助かったよ。あんたら、お互いの姿が見えないだけで動揺するなんて、随分とお熱いことだなぁ」
斎藤さんの向こうから、抑えた笑い声が聞こえた。
だいぶやり合ったのだろう、服装はボロっちくなっているが、まだやる気ではあるらしい。
「レイヤ! 大丈夫!?」
ジーズを挟むように、幹を影にして立っていたヘルガが、オレの姿を見て周囲を警戒しながら声をかけてきた。
片手でそれに応えつつ、視線はジーズから外さない。
「助かってる間に逃げれば良かったのに。あんたはどうするんだ。ベヒィマはここ、オレはこうして戻ってきて、アルだっている。3対1どころか4対1になってるんだけど」
「いやぁ、むしろ、ベヒィマをそっちに取られたまま逃げる訳にはいかねぇしさ」
にやり、とジーズが唇を歪めた。
「――鳥魔ってのは、別に伊達や酔狂でつけられたあだ名じゃねぇんだぜ」
ゲームのことを思い出し、咄嗟に空を見上げる。
目に入ったのは、巨大な翼が滑空しこちらへ向かってくる影だった。




