8 気付けば傍に
がたん、と身体が揺れて目が覚めた。
「……起きたか?」
ひどく心配そうな顔で、アルセイスが見下ろしている。
答えて起き上がろうとしたけれど、何故か頭が傾ぐ。思わず額に手を当てると、その手をそっと外して青い瞳が前髪越しに覗き込んできた。
金色の髪の向こうには、薄汚れた布の垂れ下がる天井がある。ゆらりゆらりと揺れる床は、どうやら何か乗り物
「大丈夫か? どこか痛いところは……」
「痛くはないけど、何だか頭がぐらついて――」
途端に、アルセイスが上から肩を抑え込んで来る。
瞼の上に手のひらを乗せられて、視界を閉ざされた。
「お、おいっ……!?」
「寝てろ。まだしばらくは起きなくて良い」
「んなこと言ったって、莉亜が――あれ、ここどこだ?」
確か、さっきまでラインライアの王宮の一画、勇者の祀られてる神殿にいたはず……あ、いや、その後、ジーズに無理やり転移されて、落ちたところにいたのが――
「あ」
「思い出したか。悪かったな、驚いてつい手が出てしまった。……あ、起きなくて良い。馬車で移動しているだけだから、まだ寝ていても大丈夫」
「馬車……?」
「痛かっただろ。手加減なしでぶん殴って、本当に悪かったな」
見えないので表情はよく分からないが、声がどこか落ち込んでいる。
「いや、あんたは悪くないでしょ! 悪いのはオレ――」
「――おっと」
慌てて起き上がると、目を見開いたアルが目の前にいた。
そのまま至近距離で見つめ合う。
そう言えば、再会した後はすぐに斎藤さんの昔話を聞くことになったから、こうして2人で面と向かうのは久しぶりかもしれない。
この距離から見てると、アルは相変わらず完璧だ。
真白の頬のやわらかそうなこと、黄金の髪の輝かしいこと。
瞬きを繰り返す瞳の青の深さまで、大好きなレスティそっくりの完璧な美少女。
ゲームでは――いや、エルフ達の森に伝わる話では、勇者と結ばれてその子を産んだらしい。だけど、魔王バアルが彼女のことを私の恋人と呼ぶのは――つまり、魔王が勇者に奪われたものは、名声だけじゃなかった……ってことなんだろうな。
じゃあ、やっぱオレがゲームで出会ったレスティを好きになったのは運命ってヤツなんだろうか。
つらつら考えていると、眉をひそめたアルセイスが顔を近づけてくる。
「レイヤ。お前、何を考えてる?」
「えっ……あっ、そうだ、アルセイス! この馬車、どこへ向かってるんだ!? オレ、まだラインライアから出てく訳に行かない、勇者が――莉亜がまだこの国にいるんだ!」
「……勇者スィリアが?」
声を潜めたアルにつられるように、オレも顔を近づける。
「ああ。オレが魔王の生まれ変わりなのと同じで、勇者もオレの妹に転生してこの世界に来てたんだ。今はラインライアで何か――世界を滅ぼすような何かを企んでる」
「世界を滅ぼす? 勇者が何故……?」
「分かんないけど、あいつをこのままにしとく訳にはいかない。放っておくととんでもないことやらかすヤツなんだ、昔から」
「お前の妹ってそういうアレなのか?」
「う、うん……割と何かそういうアレ……」
ふう、と吐いたため息がオレの鼻先をくすぐった。
ひそひそと話をしていたせいか、ふと気づけば、今にも触れそうな程の距離で会話をしている。
はっとして身を引こうとしたオレの襟首を、アルセイスが掴んで引いた。
「言いたいことはわかったが、止めたいと思うなら慎重に動くべきだ。ラインライアはどうもおかしい。トーマス――いや、鳥魔ジーズが関わっているのも分かったし、奴隷制を復活させた上、他国への侵略行為まで見られる。既にこれは国際問題だ」
「お、おう……」
「特に、王女を誘拐されたティルナノーグは黙っちゃいないだろう。この馬車は今、ティルナノーグへ向かってる」
「えっ……あ、そうなの?」
「そうだ。ヘルガとシトーが表で御者をしているが……」
「な、何で、その2人が……?」
ものすごく意外過ぎる組み合わせだ。
いや、アルとヘルガと斎藤さん、そしてオレ。この4人で二手に分かれると、結構どうやっても無理が出る気がする。アルはオレを斎藤さんと2人きりにはしないだろうし、さりとて斎藤さんと2人で御者をやる気もないだろう。斎藤さんに1人馬車の操舵を任せるわけにもいかないし、その辺り空気を読んだヘルガが手を上げてくれたに違いない。
「まずは、ティルナノーグへヘルガを送り届ける。アルフヘイムに連絡を取り、可能なら連携してラインライアへ攻め入りたいところだな」
「戦争……に、なるのか」
「ラインライアとは長い間国交が失せていたが、今の状況では向こうから攻め込んできているようなものだ。看過できるものではない」
きっぱりと言い切られて、一瞬悩んだ。
だけど、莉亜を止めようとするなら、それくらいの覚悟が必要なのかも知れない。だって、あいつは世界を滅ぼす、なんて言ってたんだから。
そもそも、あいつが会おうとしない以上、オレの方から会いに行く方法など皆無に等しいのだ。むしろ、ダニエルをぶっ飛ばして商会から抜け出してきた今の状況では、王族と接触しようとした段階で捕縛されそうな気がする。
最も有効な手は、多分――それを全てねじ伏せる力を手に入れることだ。
つまり、魔王バアルの記憶を完全に取り戻すこと。
取り戻して――その上で、今のレイヤを失わずにいること。
この世界に伝わる歴史は、斎藤さん曰く、嘘なのだと言う。
それが本当なのかどうかも――オレは自分で確かめなきゃいけない。
「ティルナノーグでは、ラインライアにいる勇者のことはひとまず伏せておこう。お前が魔王の生まれ変わりだという話も、シトーの話もだ」
「やっぱり疑われるかな?」
「疑いなんてレベルじゃない。勇者の偉業を否定することは各国の現王家の正統性を否定するに等しい。ティルナノーグ王には歓迎されないどころか、下手すれば讒訴に騒乱――犯罪者扱いだろうな」
分かっちゃいたけど頭が痛い。
オレは本当のオレを取り戻さなきゃいけないけど、世界はオレなんて望んじゃいない。周りはみんな莉亜が正しいと思ってて、オレは邪魔でしかない。
記憶のないオレ自身にも、こっちが絶対正しいなんて言えないし。
迷って視線を彷徨わせると、目の前で長い睫毛が伏せられた。
……そう、あんたはどうなんだろう?
勇者とレスティキ・ファの子孫で、元は男で、手にしていた聖槍リガルレイアを奪われたあんたは――やっぱりオレを恨んでるんじゃないだろうか?
ふ、とアルセイスの唇が息を漏らした。
「そのときは俺もまとめて処刑だ。一国の王子からよくぞ、堕ちるとこまで堕ちたものだな」
胸が詰まって、なんて答えれば良いのか分からなくなった。
毒を喰らわば皿までか、と笑う唇は間近にある。
不用意に何だか、今なら触れられる――なんて思った時には既に、自分の手の方が先に動いてた。
両手で掴んだアルセイスの肩は細かった。
不思議そうな青い瞳が目の前で見開かれて――
「――魔王さま、小休憩ですよー……」
――ばさ、と開いた幌の向こうから、斎藤さんがこちらを覗き込んで止まっていた。
「…………」
「…………」
「…………」
三者三様の沈黙から最初に復帰したのは、アルセイスだった。
無言のままオレの両手を振り払い、すとすと歩いて斎藤さんの横から幌を潜る。しばらくの後、外から声が聞こえてくる。
「……ヘルガ! 交替だ」
「交替? あなた、シトーと並んで御者席に座るなんて絶対嫌だって……」
「交替だ!」
幌の向こう側で聞こえる有無を言わせぬやり取りの間中、斎藤さんは恨めしそうにじっとオレを見つめているのだった。