6 潜入
「いいかい? 多少やなことあるくらいは我慢しなよ。暴れたらすぐに化けの皮が剥がれるぞ?」
「分かってる」
「奴隷ってのはこの機械を胸に埋め込んでるもんなんだ。だけど、あんたの場合は上に貼り付けてるだけだ。すぐ外れるようになってる分、調べられたらバレちまう」
「……分かってるって言ってるだろう」
上げた足に引っかかって捲り上がる裾を両手で直し、答えを返す。
エルフっぽくしよう、と言われて元のチュニックを身に付けたのだが、何故かホーズを穿くことを許されなかったのだ。おかげで、太腿の半ばから下は素肌のままになっている。革のブーツまでの空白が何だか頼りない。
「この方が奴隷らしいだろ」って言われても、そもそもアルフヘイムのエルフにホーズを穿かないなんて選択肢は……いや、そうでもないか。
いつぞや、森の中でレイヤを追い回していた時、同じ格好だったのを思い出した。
あの時は恥ずかしいなんて思いはなかったし、そもそも一刻も早くあのごちゃごちゃと穿き心地の悪い下着を脱ぎたくて仕方なかった。
それが今は……歩きながら、裾を下に引く。
恥ずかしい、とは少し違う。
とにかく何かが何となく嫌……この男にはレイヤの作った下着を見せたくない。そんな気持ちだ。
下を向いたところで、自分の胸元が目に入った。
四角形の金属の塊のようなものが、最近ようやく慣れてきた胸の膨らみに挟まるように乗っかっている。乗っかっているだけだ。魔術が問題なく使えるのも確認してある。
それを眺めてから、裾の付近――縛られた両手首に更に視線を下げた。
「ご不満かもしれないけどさ、それも強く引っ張れば千切れるから。用が済んだらおれが助けに行くつもりだけどさ、どうしても我慢ならなかったら自分で逃げな。ただ、あんま早く騒ぎ起こされると困るからさ、慎重に」
「しつこい。分かってると何度言えば良いんだ」
「だってさ、あんた、気が短いから」
「人族のやり方が目に余るのが悪いんだ。俺のせいじゃない」
「そういうとこだよなぁ」
ぽん、と剥き出しの二の腕を叩かれて引き寄せられる。
ざらついて体温の高い手のひらが引っかかって、ただのフリのはずなのに何故か背筋に悪寒が走った。
恐怖ではない。恐怖ではないはずだ、絶対に。
確かに武装は外してある。旅路の用心として、チュニックの下に身に付けていた小刀も没収された。
だが、魔術を使って逃げることは簡単だし、この縄だって簡単に切れる――いや、切れなかったとしても魔術が使える状態なら大した拘束ではない。
俺の身体は何一つ脅かされてはいない。はずだ。
だから、きっと武者震いというヤツだろう。
肩に乗ったままの手から顔を背けながら、頭の中でレイヤの名前を呼んでみた。特に理由もないのだが、何となくあのぽやっとした顔を思い出すと心が安定するような気がして。
一応、この潜入の最終的な目的でもある訳だから、そういう意味で目的を思い出して気持ちが高揚するのだろう、きっと。
「あー、そうそう。そういう顔しておきな。思ってたより演技うまいじゃん」
「……じゃない」
「え?」
「それ以上近付くと本気でぶん殴る」
「はいはい、ごめんって」
慌ててトーマスが手を離したところで、頭の中のレイヤに向けて宣言した。
良いか、俺がこれだけ苦労しているんだぞ。
きちんと無事でいなきゃただじゃおかないからな。
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「競りは初めてだって?」
「や、だってさ、こんな上物そうそう簡単に手に入るとは思わないじゃないか。偶然捕まえちゃって、おれもまあどうしようかと迷ってるとこでさ、こういう場所があるって聞いて……」
目つきの悪い中年の人族が、トーマスをじろじろと眺めている。警戒されているのだろう。あたふたする姿を横目で見るのに飽きて、周囲をぐるりと眺めた。
ひしめく人族達の前方にはスペースが出来、中央に踏み台が置かれている。
あそこで奴隷の競りが行われるのだろう。
ぐるりと視線を回すと、そのちょうど反対側に武器商が陣取っている。周囲を護衛で固めてはいるが、背後の木箱から時折取り出してみせる銃や銃弾は本物らしい。魔術を使って突っ込めば、1つや2つ掠め取って逃げるのは難しくなさそうだ。
周りを天幕で囲われてはいるが、近くにいる者には中の声も漏れ聞こえはするだろう。
だから、これは多分公然の秘密なのだ。王国権力層に見逃されている――もしくは、黙認されている。
銃も奴隷も規制はされている、だが――金さえあれば手に入れるのは難しくはない、そういうことだろう。
「……ってことで、紹介状はないけど、本人に問い合わせて貰えば分かるからさ。おれの身元を疑うのは分かるけど、ただ急いでるだけなんだよ。こんなの抱えて王都をうろうろするなんて、一介の行商人には危なっかしくって仕方ねぇ」
「まあ、確かに上物だがな」
どうやら例の口八丁で、トーマスがうまく押してるらしい。
中年男の視線が俺に移る。上から下まで値踏みされる視線はもう何度目か。
開き直って見下ろしてやると、苦笑が返された。
「こりゃ綺麗だが、躾のなってねぇ跳ねっ返りだな。競りに出せば値は下がるぞ」
「奴隷の躾なんて、おれにはそんな伝手はないよ。少々値切られようが、早々に手放して小金を手に入れられりゃそれで良い」
「欲のねぇこった」
中年男が指を伸ばしてくる。
俺は縛られた両手でその手を払い除け、正面から睨み付けた。
「薄汚い人族の分際で、俺に触れるな」
「ふん……まあ、これを連れて歩くよりは喋らねぇだけ金貨の方がマシかもな」
呆れた表情の一瞬後に、首元を掴まれて息が詰まる。
「……ぐっ!?」
「お高く止まりやがって。おりゃ人外の中でもエルフが一等嫌いだ。森の中でこそこそ隠れ住むしか能がねぇ癖に、偉そうにしてんじゃねぇ」
「お、おい! そりゃおれの商品だぞ!? 勝手に壊すな!」
トーマスが両手で俺の喉から人族の掌を引き剥がし、それでようやく呼吸が出来るようになった。咳き込む俺を見下ろして、中年男が顔を顰める。
「ふん、魔術さえ使えなきゃ弱っちぃ癖に」
「こら、痣がついちまったじゃねぇか! 人の商品にこんなことするなら――」
「――うるせぇよ。今のが参加料代わりだと思っとけ」
犬を追うように手を振られる。
トーマスは一瞬何か言いかけたが、黙って俺の肩を抱くと足早にその場を離れた。
密着してくる肌が気持ち悪い。
「……悪い、大丈夫か?」
他人には聞こえない抑えた声で、覗き込んでくる視線には確かに心配げな色が浮かんでいたが……その心配は何に向けたものなのか。案外、本気で自分の商品だと思っているのかも知れない。
「……どけろ。離せ」
「そりゃ無理だ。こんなとこで商品から離れる商人はいねぇ。もうしばらく……そうだな、競り人が出てくるまでくらいは大人しくしてろよ」
「じゃあ、せめてもう少し離れろ。気持ちが悪い……」
トーマスの手を肩から引き剥がして、ふらつく身体を何とか自分の足で支える。手を貸そうとしたトーマスの目を睨み付けると、肩を竦めて動きを止めた。
気持ちが悪い。何でこんなに胸がムカムカするんだ。
さっきの中年男やトーマスが人族だからか。
同じ人族であるレイヤの傍に寄った時は、こんな風には感じなかったのに。
むしろ、もっと近くにいたいとすら思っていたのに。
「あんたずいぶん神経質だなぁ。やっぱ、穢れた人族には触りたくないもんかね」
「お前が穢れているかどうかは知らないが、肌に触れられるのがとにかく不快だというだけだ。俺とお前は別に友人でも何でもないだろう」
「まあ、そうだが……あれか? 探してる『レイヤくん』とやらとは、そういう関係なのかね? 操を立ててる?」
「そっ……!? お前、馬鹿じゃないのか!?」
「――しっ、声が大きい!」
ぺし、と軽く頭を叩かれて、余計にヒートアップしかけたが、周りの目に気付いて声を抑えた。
恨めしい気持ちでトーマスを再度睨み付ける。
「……馬鹿なことを言い出すな。アレは俺にとっては……友人……には程遠いし、そうだな、弟とか、出来の悪い猟犬とか、何かそういうアレだ」
「……弟、ねぇ……」
こちらの弱みを握ったと思っているのか、ニヤニヤしている顔が腹立たしい。ああ、こんな時でなければ思い切りぶん殴ってやるものを。
「ま、どういう関係でも良いけどさ。打ち合わせ通り、あんたが競られてる間にしっかり聞き取り調査しておいてやるから、安心して」
「……それが終わったら、値を付けた相手に引き渡される前に逃げて良いってことだったな」
「うん、ちゃんと逃げれるように迎えに行ってやるからさ」
この言葉、どこまで信じて良いものやら。
全く信じられない気がしたので、とりあえずもう一度銃の在り処を確認しておいた。
競り人とやらにも、レイヤがここを通っていないか確認しておいた方が良さそうだ。商品の戯言にどこまで付き合ってくれるかは分からないが。
調子の良い笑顔を浮かべるトーマスを横目に、さっきの武器商へと視線を向けようとした瞬間――どん、とどこか遠くで何かが弾けたような音がした。
「……今のは?」
ざわめき始めた人族達に合わせて、俺も周囲を見渡す。
近くはない。だが……確実に王都の城壁の内側だ。
「ま、ま、落ち着きなよ。きっと大したことじゃない、気にせず演技を続けようじゃないか。ね、アルシアちゃん」
二の腕を掴まれて、咄嗟に払い除けようとする。
だが、両手で押したにも関わらずびくりとも動かぬその手に、驚愕で動きが止まった。
掴まれた手の強さに焦ってもがくが、緩みさえしない。
「大丈夫。別にあんたを本気で売っ払おうなんて思っちゃいない。約束通りひとくさりここで演技しててくれりゃ、最後には銃もやるし解放してやるさ。だから……しばらく大人しくしてな」
その目の色に、さすがに不穏なものを感じる。
この行商人の言う通り暴れずにいようなんて気持ちは失せた。
呪文を唱えるために息を吸う。
「【我、虚無を抉る透徹の】――っ!?」
氷矢の一撃に込めようとした魔力が、唱える端から零れ落ちるように抜けていく。驚愕と共に見上げた視線の先で、行商人がどこか優しげに笑った。
「な、暴れても怪我するだけだ、大人しくしてろ。この天幕はな、フェアリー族の作る特殊な糸にサラマンダーの魔術をかけてあってな。この内側にいる者は魔術を使うことは出来ない仕組みになってる」
「サラマンダーの魔術……!?」
サラマンダーは火山地帯に住む一族だ。
伝説の勇者の時代――千年の昔はいざ知らず、彼らは現在、他のどの種族ともほとんど断絶している。人里に降りてなどくるものか。
それだけに、どんな魔術を使うどんな種族なのかも詳しくは知られていない。その魔術を利用するとは、それこそどんな企みをもってしたものか。
売るつもりはない、と繰り返すこの行商人の言葉の何を信じれば良いのか、俺にももう分からない。
ただ一つ、アルフヘイムの外で、この千年を覆すような何かが進んでいるという事実だけ、混乱する頭に否応なく叩き込まれた。