9 【かなた】の底
心臓を貫いたのは、男の握る刃だった。
鈍く光る銀の光に添って顔を上げると、黒い瞳と目が合った。
「……まさか、お前が……」
その視線にためらいの色がないことが、何よりも私を驚かせた。
剣で貫かれたことより、討手がこの男だったことよりも。
痛みはさしたるものではなかった。
魔の王の力は、この程度のことでは消えぬ。
一度、瞼を閉じて、再び開く。
無表情を保つ男に向け、尋ねた。
「彼女は……レスティは無事なのか?」
男の瞳に、動揺の色が走った。
そこで私は、確信したのだ。
操られている訳ではない、ということを。
崩壊のきっかけを作ったのは、例の男だ。
そこは誤りないだろう。
かけがえのない友だと、私と理想を共有する男だと思っていたのだが。
しかし――彼の持つ魅了の力は、この男には及んでいないらしい。
この男は、自らの意思で私を裏切ったということになる。
レスティのように、奴に意識を封じられている訳ではない。
ならば。
「なるほど、お前たち2人が共謀した、ということか。レスティまで巻き込んで」
黒い瞳が揺れた。
だが、それも一瞬。
すぐに剣を掴む拳に、力が戻る。
「魔王さま。あなたは、この世界にいてはいけないのです……!」
絞り出すような声に、しかし私は応えるつもりはなかった。
私の力は無限である。
神の羽根がある限り、私は――こんなところでは死なぬ!
「こんなもので、私を倒したつもりか?」
貫かれた先から再生する胸元が、異物を押し出そうとしている。
そのうねりを指先に感じたのか、男の表情が曇った。
私は、裏切られた哀しみと敗北を知らぬ喜びを共に携え、刃に手を添える。
これが抜けてしまえば、次は私の攻撃の番だ。
そのことを知っているはずの男に、無駄と知りつつ何故このようなことをしたのか問い質そうとして――瞬間、羽根の折れる音が城の中に響いた。
「今のは――!?」
「ええ、魔王さま……これで、終わりです」
「お前――」
傷を塞ごうとしていた力が霧散する。
膝から力が抜けた。
男に縋るように、傾いだ身体を立て直そうとしたが――指先一つかけることもできず、そのままずるずると床へ落ちた。
己の身体とともに崩れていく天井を見上げ、ふと息を吐く。
そうか。
ここにこの男が来たのは、このためか。
つまり、羽根の元には、奴がいるのだろう。
友としてあったとき、戯れに興じた遊戯盤を思い出す。
あの時は私の圧勝だったが、今度は全くの逆ということか。
私の駒だったはずの七種族は、いつの間にか全て反転されていた。
もう、手元には誰も残っておらず、我が城を囲むのは翻意を持つうねりのみ。
絶望の中、膝を突いた視界の先で、広間の扉が開いた。
瓦礫を踏み越え、近付いてくる人族の男は、背後にそれぞれの種族の代表を従えていた――
●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
「――おはようございます」
「ふぃふ……?」
起き抜けのベッドの脇、表情に乏しい少女の顔を見付けて、オレは目を擦った。
七色に輝く不思議な色の髪をきっちりと結い上げ、春の花のような薄桃色の瞳でじっとこちらを見下ろしている。
整った美貌と言い、感情を見せない瞳と言い、どこか冷たい印象すら受ける。
緩みの多いやわらかそうなワンピース様の服を纏っているが、似合わぬでかい荷物袋が腰に提がっていた。
その背中に透き通る羽がちらちらと見えて、オレは慌てて身体を起こす。
「――フェアリー族か!」
旧版ランジェリでも出てくる、魔族以外の7種族の一つ。一般に「妖精」と言えば、手のひらくらいのサイズを想像すると思うが、ランジェリでは人族とほぼ同じくらいの大きさだった。
ビジュアルの表現力と、戦闘力バランスの都合でそうなってるんだと思ってたんだけど……どうやら斉藤さんが参考にしたホンモノがそういうサイズだったらしい。
あえて言うなら、人族よりちょっと小柄かも知れないけれど。
寝起きから、テンションが一気に上がる。
昨日の夜のアレコレとかは、もう全部どっか端っこに避けておくことにした。
今のオレに出来るのは、何とかここから出る方法を考えることと、ぱんつ作りの腕を上げることだけだ。
飛び起きたオレを警戒したのか、フェアリーの少女が一歩後退る。
トンボのような透明な羽がふるふると震えていた。
羽があるのと全体に色が淡いこと以外は、まるっきり人族と同じだ。
「あ、驚かせてごめん。あの……君は?」
ランジェリファンのオレとしては、初めて見た本物のその羽に触ってみたかったけど、普通そういうのって初対面でいきなり触るものではないだろう。
無意識に上がった両手を所在なくわきわき動かしつつ、尋ねてみた。
「……ヘルガ。仕立て屋。あなたの裁縫を手伝いに来た」
抑揚の少ない、息の多い声で答える。
よく耳を澄まさなければ聞き取れないような、宙に紛れていく声。
何とか聞き留めたオレは、片手をシャツの腹で拭ってから差し出した。
「ヘルガ、ありがとう。オレは――」
「――レイヤ、もう聞いてる」
桃色の瞳がオレの手を一瞥し、一瞥だけですぐに視線を外した。
「実験の結果は出た。あなたの縫ったアレには、不思議な力がある。全く同じものを私が作っても、同じ効果は出せなかった」
「そっか……」
ルシアのときと同じだ。
ぱんつの力は、オレにしか引き出せない。
ヘルガと名乗ったフェアリーは、かすかに眉を寄せて囁いた。
「時間が惜しい。あなたの作っているところを見せて」
「え? ……あ、ああ」
突然の話に面食らったけど、すぐに気を取り直して頷き返す。
なるほど、作ってるとこに何か秘密があるんじゃないかってことだな。
微妙な表情をしてるのは、その辺の理由を図りかねてるからだろうか。
でも、工程に秘密があるワケでもない。
二つ返事で頷いたオレは、すぐにいつも肌身離さず持ってる裁縫道具を取り出して、裁ち終わってるぱんつ用の布を縫い始めた。
仕立て屋に色々教われ、とあの嫌な紳士は言っていた。
あいつの為にっていうのは癪だけど、これで今までよりもすごいぱんつを作れるようになるなら、まあ、マイナスとプラス足し合わせてまだマイナスが残るってくらいだろう。いや、結局マイナスなんだけども。
問題は、作ったぱんつが本当にただ単に上流階級のミナサマのお飾りになるだけなのかってことだよなぁ。
まさか、エルフ達の森アルフヘイムに迷惑かけるようなことに使われなきゃ良いんだが。
黙々と無言で縫うオレを、ヘルガもまた黙って眺める。
小一時間ほど縫い続け、出来上がったものをヘルガに渡してから肩を回した。
目測で、ヘルガのサイズにも合うだろう短パン型のぱんつ。腹側で結ぶリボンは装飾でもあり前後の区別を付けるための実用目的でもある。
アルのぱんつを縫い足す時に、ただの紐じゃなくリボンなら可愛いんじゃないかと言われて、それでリボンを外側で結ぶように作ることにしたのだ。
完成したものを満足そうに穿いてみせるアルセイスの姿に、色々と複雑なものを感じた記憶も、今は遠く感じるけれど。
ああ、あいつ今頃どうしてるかな……。
「なるほど」
渡されたぱんつをさっと眺めた後に、ヘルガはその冷たい視線をこちらに向けた。
「全然、なってない」
「な……!?」
突然ダメ出しされて言葉もないオレを睨めつけ、透明な羽を震わせる。
「そもそも、何故いきなり縫い始めた? しつけさえせずに、そんなまち針程度でズレないと思ってる? 最初と最後で縫い目の大きさが2mmも違っているのに直す気はない? こんなリボン一つで飾ったつもり? 何故そんなに手が遅いの? 本当にやる気あるの?」
今までの無表情は何だったのかという勢いで捲し立てられて、言い返すセリフも思いつかない。
口をぱくぱくしている内に、ヘルガは鼻先でふん、と笑って言葉を続けた。
「少々すごいものを作れるって言っても、所詮人族。フェアリーの実力、黙って見てなさい」
細い腰に随分ごつい荷物袋をつけていると思っていたけれど、一瞬で開かれたその袋の口から、柔らかい布地と折り畳まれた定規が取り出された。続いて、ペンシル、糸と針が何種類か。
手際の良さに目を見張るオレに構わず、ヘルガの手は休みなく動き、オレと同じ1時間程の間に愛らしいフリルとリボンで飾られたぱんつを一枚仕立て上げた。
太腿周りは贅沢にフリルが囲み、同時に布に余裕を持たせていることでどんな風に足を動かしても突っ張ることは少なそうだ。
腰で留めるためのリボンは、背中から腹まで回る間に何度も表と裏を繰り返しくぐっていて、まるで刺繍のように腹周りを彩っている。
「……おお、すげぇ。可愛い」
思わず口から滑り出た賛辞を聞いて、ヘルガは再び眉を顰め、オレの方にぱんつを投げつけてきた。
「おっおい!?」
「あなたの最初のハードルはソレ。デザインから起こすわけでもなし、それくらい作れるようにならなきゃ、旦那様の満足するような腕にはならない」
「オレが、こ、これを……」
正直、これに比べれば今までオレが縫ってきたぱんつは月とすっぽん。
布を切って真っ直ぐ縫っただけのシロモノと言っても良い。
彼我の差を考えると、頭がくらくらする。
「あ、あの、ヘルガ、さん……」
「人族の指がフェアリーに比べて鈍いのは承知している。だけど、あなたの出来なさは予想を遥かに超えてる。悪いけど、才能なんか全然ないしどんだけやっても無駄だと思うけど、私もこれが旦那様に言いつけられた仕事だから仕方なくやるわ」
滔々と言い放たれて、心はもうどん底まで沈んだ。
何だこれ。「旦那様」とやらのためにぱんつ作ることすら嫌で仕方ないのに、何でここまで言われて、オレ、やらなきゃいけないんだ……。




