7 新しい道具
結局、その後は碌な会話もなく、王都まで着いた。
オレとアルが1週間かけたのと同じくらいの道のりを、蒸気自動車は1日で走り切ったワケだ。
まさか、自動車を「怖い」と思う日が来るとは思わなかった。
このくらいのスピード、元の世界なら当たり前どころかもっと早く移動だって出来るのに。
自動車、鉄道、飛行機。
この世界にもそういうものがあるんだろうか。
旧版のゲームで使った乗り物はせいぜい馬車と船……あ、それに飛竜か。
斎藤さんが千年前のこの世界をモデルに作ったゲームなんだから、千年あれば科学の進歩なんて当たり前なのかも知れないけど……。
「降りろ」
小さい方に引きずるように自動車を降ろされて、すぐに目の前の建物へ連れ込まれた。
自動車の窓から眺めたのと、降りた時に一瞬見回しただけだったけど、周りの街並みは、オレの知ってるランジェリとは似ても似つかない様子になっていた。
四角い箱を並べたようなビル街。
工場の屋根から突き出す煙突。
行き交う蒸気自動車から吐き出され、辺りを漂う黒煙。
今までいたエルフ達の――アルフヘイムの森が全く以前の雰囲気のままだったから、他の場所もそうなんだと思ってしまっていた。
全然違う。
オレの知ってるランジェリじゃない。
ここに来て初めて、世界を怖いと思った。
オレの知らない場所があるってことが。
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連れ込まれた館――と言うか、真新しいビルの中で、オレだけ椅子に座らされた。
別に、気を遣ってのことじゃないのはすぐに分かる。
足首と椅子の肘掛を鎖で繋がれた。逃がさないためだろう。
小気味良さそうにニヤニヤ笑う小さい方と、呆れた顔でそれを見ているでっぷりの方に間を挟まれているのは車中と変わらない。
「……で、オレはここでエライヒトとやらに会えば良いワケ?」
気合入れ直して、わざと小さい方に話しかける。
小さい方はぐっと顔を近付けて、オレの襟首を掴んだ。
「てめぇ、ちょっとばかり変わったものが作れるからって、自分は安全だとでも思ってんじゃねぇか? あ? 手さえ無事なら、足から下はなくなっちまっても問題ねぇんだぞ?」
「じゃあそうしろよ。あんたにそれを決める権利があるならな」
「こんの……!」
殴りかかってくる拳は予想出来てたけど、さすがに顔を背けるのを我慢は出来なかった。
両目をぎゅっと閉じて衝撃を待つ。
だけど、いつまでも当たらない感触に恐る恐る目を開けると、小さい方の腕を後ろから掴んでいるスーツの袖が視界に入った。
「こらこら。何のためにここまで苦労して連れてきてくれたんだい? 待ってた僕の身にもなってくれよ」
響いたのは若い男の声。
冗談めいた言葉だったけれど、部屋の温度が一気に5度ほど下がったような気がした。
小さい方の肩越しに、でっぷりが顔を引きつらせているのも見える。
「あ、わ、若さま……!」
小さい方が、慌てて腕を引き頭を下げた。
それでようやく、小さい方の向こうに立つ男の姿がはっきり見えた。
見た目はオレより上、斎藤さんよりはたぶん下、くらいの年だろうか。
身体のラインにぴったりフィットしたスリーピースのスーツは薄く紫がかったグレー。青いチーフと同色のネクタイに、濃いめのハットとステッキときた。
元の世界でもお目にかかったことのないような、完璧な紳士だ。
機嫌が良さそうに笑う紳士を前に、小さい方は卑屈に手を揉み頭を下げ続ける。
「すみません、その……えらく態度がでけぇので、若さまに会わせる前にちょっと躾を、と思いまして……」
「ああ、僕を思ってのことだったんだね。なかなか優秀だな、君は。その先回りな考え方は悪くないよ」
褒めてる……としか言いようがない言葉なのに、気温はガンガン下がってってる感じがする。
紳士はオレを見てるワケですらないのに、肩が震えそうになって困惑した。
「やー、僕の利害を客観的に見て、自分で判断できるとはすごいね。君にはそんな素晴らしい頭脳があったんだなぁ」
「あ、あの若さま、出過ぎたマネをして、その……」
「若さま、そいつにはおれがよく言い聞かせておきますんで、どうかその辺で……」
小さい方だけでなく、不穏な空気を感じたでっぷりまでが紳士を止めにかかる。
紳士は微笑んだまま、何の気負いもなしにジャケットの胸元に右手を入れた。抜かれた手のひらには、小さな銃が乗っかっていた。
「え……?」
声を出したのは、誰だったんだろう。
小さい方か、でっぷりか。
さもなくば、オレ自身だったのかも知れない。
声が消えた時には、紳士の笑顔も消えていた。
ぷしゅ、と気の抜けた音が2回。
何の音かも分からない内に、両隣に立ってた小さい方とでっぷりの身体がぐらりと揺れ――そのまま、床に落ちた。
見下ろせば、額の真ん中に真っ赤な穴を開けて、目を見開いたままこと切れた男達の死体。
オレの頭は状況を理解していないのに、身体の方が先に反応した。
「うわあああああっ!?」
勢いよく限界まで吸い込まれた空気が、悲鳴とともに口から吐き出される。
反射的に立ち上がろうとして、足首の鎖が引っかかって正面からこけそうになった。
「おっと、危ないよ。気を付けて」
紳士の胸元に力強く支えられて、顔を上げる。
元通りの笑顔を見て――吐き気がこみあげてきた。
「おいおい、失礼な子だなぁ、君は。人の顔見て、そんな顔するもんじゃないよ」
こめかみに固いものを突き付けられ、それでようやく、さっきの破裂音が銃声だと気付いた。
オレの頭に当たってるのは、小さく見えても銃口なんだって。
この距離で、ノーモーションで人を殺す武器。
それに比べれば、オレの使う中途半端な魔術なんて何の役にも立たない。
まるで、オレが――私が――かつて撃たれた……かつて?
……何だか頭がぐらんぐらんして気持ちが悪い。
とりとめのない言葉が浮かんでくる気がする。
「うっ……何で、殺し……仲間だったんじゃ……?」
嘔吐感をごまかすために口元を抑えながら尋ねる。
笑顔を浮かべたままの紳士は、首を傾げて答えた。
「使えない道具を捨てて、新しい道具を買うなんて誰でもやっていることでしょう? だって、道具なんて無限にあるんだから」
「そんな……! 人間は道具なんかじゃ――」
「――道具だよ。全部、僕の道具だ」
少し銃口を押されただけなのに、オレの口はもう動かなかった。
道具なんかじゃないって言いたいのに。
お前の思うままの世界じゃないって。
だけど、この男の指先一つで、オレもこの床の死体みたいに……!
こみ上げて来たのは、もう吐き気じゃなかった。
勝手にだらだら流れてくる涙を、拭う余裕すらなかった。
呆れたように、紳士が肩を竦める。
「――で、君はどんな道具なのかな、泣き虫少年。報告では、何だか新しいものが作れるってことらしいけど」
髪を掴まれ、顔を上げさせられる。
全くどこにも歪みのない、完璧な微笑みが目の前にあった。
「さあ、君が役に立つ道具かどうか、見せてくれ」
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旧版ランジェリの勇者は、何一つ恐れなかった。
並みいる魔族に果敢に戦いを挑み、時に人々から迫害されても正義を貫いた。
出来ると思ってたんだ。
勇者じゃなくても、オレにだって正義はあるって。
命を投げ出して何かを守れるって。
愚かにも。
ああ、莉亜が言ったとおりだ。
……やっぱり、オレは勇者なんかじゃないらしい。