3 常識と覚悟
「やはり、関所から逃げたヤツらだったか」
抜いた剣を油断なく構えながら、兵士の1人が吐き捨てるように声をあげた。
オレも腰に佩いたナイフの柄に手を置いて、牽制も含めて周りを見回す。1、2、3……7人。沈黙の中で交わされる視線から推測すると、今、口を開いたヤツがリーダのようだけど。
「レイヤ、後ろに回らせるなよ。それに後ろの2人、弓を持ってるから気を付けろ」
「【力場の鎖】なら、オレも唱えられる」
「そうか、じゃあ俺の手が塞がってるときは頼む」
さっきアルが矢を落とすのに使った【力場の鎖】は、指定した範囲に下向きの力を発生させ、あらゆるものを地面に引き付ける魔術だ。
弓兵・歩兵・騎兵に対する効果は絶大で、ゲームのランジェリでは、相手のターンを1ターン無駄にさせるくらいの力があった。矢なら落ちるし、戦士は足止めされる。効かないのは魔術士くらいか。ターン制RPGであるランジェリにとっては、1ターンの差で息の根が止まることだって少なくない。惜しむらくは効果時間が持続しないので、引き止められるのは1ターンの間だけであること。
この辺りの設定はこちらの世界そのままだったようで、アルが唱えた【力場の鎖】の効果は既に消えている。
こちらの会話が聞こえているのかいないのか、兵士達のリーダが周りに指示を出した。
「人間の方は素人だ、放っておいて良い。エルフの女だけ警戒しろ」
ずいぶんな評価だ。
確かにオレはド素人の異世界人だけど魔術は使える。そんなに見くびられると、さすがにちょっと腹が立つぞ。
アルは一応、護身のための剣を身に着けている。今も抜いてはいるけれど、まだ構えていない。今までの様子からしても魔術をメインに戦うスタイルみたいだから、様子を見ているのだろう。
……とか思ってたら、一瞬後に剣を抜いたアルが、素早い踏み込みでリーダに向かって剣を突き出した。
「援護だ、援護しろ!」
「【汝の勇を掲げよ 彼方此方へ淀みなく及ぼせ】」
リーダの叫びに、慌てて弓兵が矢を番えた。だけど、その時には、突っ込みながら唱えていたアルセイスの呪文が完成している。
リーダの横を一度すり抜け、その背中を狙ってアルの剣が繰り出された。
「――射て!」
「――【力場の鎖】!」
自分の背後に発生させた力場で、矢は力を失って落ちる。
リーダを援護しようと駆け込んできた兵士も、地面に足をとられて一瞬、身動きできなくなった。
瞬きの間でガラリと変わった状況に、オレは指一本うごかせず、頭だけが何とかついていけているような状況だ。さすが、先頭に立って一軍を指揮するエルフの元王子……。
突き込まれた剣を弾きながら、リーダが叫んだ。
「お綺麗な顔をして、かなり場慣れしているらしいな、このエルフめ!」
「数を相手にするのは得意なんだ」
ぎん、と弾いた剣の下を掻い潜って、アルセイスはリーダの喉元に刃を突き付けた。そのまま背後に周り、後ろの兵士達に見せつけるように、リーダの背を軽く反らせる。
「ぐぅ……」
「さて、落ち着いたところで聞いておきたいんだが」
【力場の鎖】の効果の切れた時には、既に大勢は決していた。落ち着いたのはあんただけだ、という言葉は、辛うじて誰も口にしなかった。
悔しそうな表情のリーダを脅して剣を手放させ、油断なく周りの兵士達を見回したアルは、無表情で問う。
「長い間、俺達が人族と対立し続けていることは認識している。まさか勝手に関所を作っているとは思わなかったが、それもまあ、今までの経緯から有り得るだろう。だが――」
ぐ、と剣を握る拳に力が入った。
「――お前ら、正規の兵士じゃないな。さっき関所にいたヤツらと装備が違う」
言われて、オレの前に立つ兵士達を眺めて見た。
鎧や兜のカタチは同じように見える。国から支給されたお仕着せだろう。
だけど、そう言われて見ると、サビが浮いてたり妙に古かったり、手入れが悪いような……。
「横流し品だろう、磨けばもう少しマシになると思うが」
リーダの首元を見下ろして、アルセイスが指摘する。兵士達は誰も否定しない。
その沈黙に畳み掛けるように、アルは言葉を続けた。
「お前らが正規兵じゃないなら尋ねておきたい。ここしばらく周辺のエルフ達から『人族が狩りをしている』という訴えが上がっていてな」
「『狩り』……って……」
思わず呟いたオレを、アルセイスの青い瞳がちらりと見た。
「俺達じゃない、人族がそう言っているんだ。まさか俺達も、戦争ですらなく、獣のように追い立てられるとは思ってもいなかったが」
「そんな」
「ラインライアの王都へ出した使いが、近頃戻ってすら来ないのも同じ理由なんだろうな。こうやって狩り立てられたエルフはどこへ行くんだ? 奴隷か? この行いはお前らの国では合法なのか? エルフは」
兵士達の間に静かなざわめきが広がる。
その怯えに近い空気で、ようやくオレも気付いた。
……この人達、身に覚えがあるんだ。
アルは皮肉げに、そして少しだけ悲しそうに唇を歪めた。
「ラインライアの王都へ出した使いが近頃戻ってすら来ないのも、同じ理由だな? 魔術に長けたエルフをどうやって下している? 正規兵はどこからどこまで関わってるんだ? 狩られた仲間はどこへ行った!?」
「――知りたいか?」
尋ねたのは、アルに首根っこを掴まれたままのリーダだった。
睨み付けたアルに刃を寄せられても、怯んだ様子を見せずに笑う。
「知りたけりゃ一緒に来い。全部分かるぞ。なあ、お前ら。教えてやれ――!」
「――おう!」
リーダの呼びかけに、兵士達が答えた。
彼らが動くより前に、アルは無表情でリーダの喉を抉った。オレが止める間もなく、赤い血が噴き出す。
その血柱を回り込んで、アルセイスは次の兵士へと迫っている。
「アル、そんな……」
すぐに、アルセイスから一番手近にいた兵士が、心臓辺りを突かれて膝をつく。
目の前でボロ屑のように落ちるニンゲンの姿を見向きもせず、アルセイスは駆け回る。
しぶく血のしずくが、ぴちゃりと頬を打った。
思わずアルを止めそうになる手を、反対の手でとどめる。
振られる刃は本物で、辺りを漂う鉄の匂いは生々しい。
戦いは初めてじゃない。クラーケンだって、海魔レヴィだって、攻撃するのは全然気にならなかった。同じ生き物だって思ってないとは言わないけど……今まできっと、理解してなかった。
だけど、だけど――今、目の前で死んでるのは、オレと同じニンゲンだ。
自分で思っていた以上に、そのことに心が動かされた。
敵だと分かっていても、思わず止めたくなるほどに。
ふと、アルセイスの背後で何かが光った気がした。
兵士の一人がその手にしている黒い鉄の塊は――銃によく似た形をしていた。
慌ててアルにタックルをくらわせる。
「……なっ!? レイヤ――」
押し倒すようにアルを覆った瞬間に、兵士の銃が不思議な光を放った。
「この野良エルフが! これでも喰らえ!」
「レイヤ――このバカ!」
アルを庇って真正面から光を受けた。レーザー銃みたいなものなんだろうか。ここがオレの知ってる元の世界なら、「そういう玩具もあるよな」と思うのかも知れない。
物理的な衝撃はない。だけど当たった瞬間に頭の中身が吹っ飛んだようで、一瞬、何も考えられなくなった。
瞬きを一つ。
周りには、死体が転がっている。
睨み付けてくる銃口の向こうの視線はギラギラと、憎しみで濁ってる。
視線をおろすと、オレの下敷きになってるアルセイスが見えた。うまく庇えたみたいだ。藻掻いてはいるけど。
その身体を起こしてやらなきゃ、って足を踏み出して――そこで、オレの意識は途切れた。