19 【かつて】、どこかで
膝を突いた私の身体から、何もかも失われていく。
身体を巡る熱い血潮が。膨れ上がる膨大な魔力が。私を私たらしめている全てが。
「なぜだ」
問うた言葉に、答えはなかった。
ただ、鼻を鳴らすような音がした。
血溜まりに沈む身体を、闇に落ちる瞳を見開いて、必死に見上げる。
暗い視界の中、輝く八対の瞳が、私を見下ろしている。
人族、マーメイド、フェアリィ、エルフ、ドワーフ、サラマンダー、エンジェル……そして、魔族。
なぜだ、ともう一度口にする前に、唇が動かなくなった。
夜更け、眠りに落ちるように自然に。
閉じていく瞼の向こうで、近付いてきた人族の男が、一際鮮やかに笑みを浮かべた。
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「――っわ!?」
声が出た。びっくりした。
声が出たことにびっくりして、身体が動いたことに二度びっくりした。
それから一拍置いて、身体が動いたことにびっくりした自分にびっくりした。動くのが当たり前なのに。
『はい、おかえりなさーい』
「おい、生きてるか!?」
飛び起きた耳元で莉亜の声が聞こえる。
重なるように、アルが隣から叫ぶ声も。
何だか変な夢を見ていたような気がしたけれど、どうやらそんなに時間が経ってるワケじゃないらしい。アルの手がオレを掴んで揺さぶっている。
オレ、何してたんだっけ。
何か、横腹に鱗を食らって――
「……どういうことじゃ?」
横から聞こえた声に、はっと顔を上げた。
見れば、海魔レヴィが警戒をあらわにオレを睨んでいる。
「さきほど貴様は、わらわの目の前におったであろ? いつの間にそちらに移動したのじゃ?」
「……へ?」
そう言えばオレは、レヴィの正面から突っ込んで腹を裂かれたはずだった。アルやルシアの位置からしても、オレの覚えてる直前までの立ち位置からずれてる。
「あれ?」
『大丈夫よ、お兄。あたしの魔術だから心配しないで』
「莉亜……」
耳元の声に少しだけ安堵したのは多分、表面だけでもオレに優しくしてくれるひとが、もう他にいないからだ……。
使われたのは、空間転移の魔術――【転移】だろうか?
こんな至近距離でも使える魔術だっけ……?
『さ、お兄、さっさとやっちゃうよ』
「やっちゃう?」
『あんなやつ倒しちゃう……のはちょっと難しいかもだけど、追い返すくらいは出来るでしょ』
何言ってんだ、お前。中ボスだぞ?
今までのやられっぷり見てれば分かるだろ。
あの斎藤さんですら、歯が立たなかったんだぞ? オレなんか囮くらいにしかなれない。
斎藤さんの名前をちらりと思い出した途端、少しばかり寂しい気持ちになった。何だかんだで世話になったのは確かだから、アレが彼の最期かと思うと、やっぱりちょっと……。
とは言え、今は悼む気持ちよりも優先すべきものがあった。
「オレが囮になって、それでアルが助かるなら――おい、アル! あんた、今の間にどっか行け!」
「誰が! お前こそ――」
「――半死半生の状態のあなたは邪魔だって言ってるんですよ、レスティキ・ファ」
『わっ……しぶといんだから』
ぞわり、と地面が揺れたように見えた。
どこからともなく響いた声に、そびえ立つ蛇体が身体を震わせる。
「――なんじゃ、今のは」
「さあ、何でしょうね? あなたが下敷きにしているものですよ」
弾かれるように足元を見たレヴィの尾の下から、黒い影が流れ出た。慌てて後ずさったオレ達の前で、影はうねりながら立ち上がる。
噴水のように内側から波打つ黒い物体は、やがて見慣れた黒いスーツに変わった。
地面の上に転がっていたメガネを拾い上げ、怠そうに耳に引っ掛ける。
「……斎藤さん」
「私の最大のウリは執念深いところですから。切られて踏まれて潰されて……それでも復活するのが私です。世界の果てまでお付き合いしますよ、レヴィ」
「いらぬわ……! 貴様のそーゆーところがどーしても性に合わぬ!」
『どーうかーん!』
聞こえないと思って茶々を入れている莉亜は良いとして、海魔レヴィも割と本気で嫌がっている様子だ。
ちょっとだけ傷ついた顔を見せた斎藤さんは、それでもすぐに笑顔に戻ってこちらを振り向いた。
「さあ、音瀬さん。お願いします」
「お願いって……」
「今、ご覧になってたでしょう? 私だけじゃ全くもって敵わないので」
「だからって、レイヤに何が出来るって言うんだ」
オレを庇うように前に立つアルセイスを、斎藤さんは嫌な顔でチラ見する。
「だから、あなたは邪魔だって言いませんでしたっけ――セット、全詠唱破棄――」
「――やめろ!」
魔術の気配に、慌ててアルセイスの身体を押しのけ、前に出る。
『そうそう、やれば出来るじゃない、お兄。こいつと共闘なんてとんでもないけど、今回ばかりは仕方ないわ』
「レイヤ! お前、何も出来ない癖に――」
非難するアルの声は黙殺した。
苛立った様子でこちらへ踏み込んで来ようとした足が、ぴたりと止まる。
オレとの間を遮るように、幾筋もの水柱が真上から地面へ降り注ぐ。
「――【水竜の法衣】!」
詠唱破棄で斎藤さんの放った『属性:川』系統の魔術は、焔を避ける為によく使われる。こうして、その滝のような水量によって、誰かの動きを止めることにも使えるけど。
「――くそっ!?」
『ごめんね、レスティ。あなたの肩持ちたいけど、ちょっと今回は黙ってた方が良さそう。お兄には、自分に何が出来るか分かってもらわないとね』
滝の隙間から、アルセイスがオレを睨み付けている。
「レイヤ! お前な――」
『さ、お兄。それを拾って』
「それ?」
『足元の、だよ』
言われて下を見れば、さっきアルが落とした聖槍リガルレイアがそこにあった。
オレの視線を追いかけて、アルが叫ぶ。
「バカ! お前がそれを拾ってどうする! お前には――」
――勇者じゃないオレには、使えるワケがない。
神によってもたらされた聖武具。持ち主たる種族の他に使えるのは勇者だけだ。
だけど、莉亜はそんなことお構いなしに、それを使えと言う。
『だいじょぶだいじょぶ、真の勇者であるこの莉亜ちゃんが付いてるからね。心配しないで。ね、お兄』
優しい声に騙されそうになる一方で、そんなのは嘘だとオレのどこかが叫んだ。
知っている。知っているんだ。
でも。
「では、音瀬さん。参りましょうか」
拾い上げたリガルレイアを小脇に抱えたオレに向け、斎藤さんが笑いかけてくる。
上げた視線の向こうには、不機嫌な表情の海魔レヴィが立っていた。




