5 レスティの遺したもの
アルフヘイムの森に、ちぃちぃぴよぴよと鳥が鳴く爽やかな朝。
オレに割り当てられた宮殿の寝室はそれはもうふかふかの素晴らしいベッドで、朝までぐっすり眠れました。
誰の邪魔も入らない宮殿の端っこも端っこ。朝が来てからも誰一人廊下の前すら通らないという徹底ぶり。あえてこの部屋なのは隔離されてるからじゃなかろうか。
そんな部屋まで朝一に迎えに来たのはアルセイスだった。
ノックの音にベッドから這い出て、寝ぼけ眼で扉を開けたらオレの大好きな完璧な美少女顔が目の前にあるとか、心臓に悪いから止めて欲しい。
慌てて1回引っ込んで、昨夜覚えたばかりの身体を綺麗にする呪文で顔を洗い、身支度を整えたところで、部屋から連れ出された。
到着したのは宮殿の大食堂。
アルフヘイム王家の人々や客人が食事をする場所……というのは昨日までに教えて貰っていたけれど、まあだだっ広い。多分お客が多くても良いように、ってことなんだろうけど……さっきまで寝てたベッドが30個くらい並べられるんじゃないかってくらい広い。
そんな場所にどーんと置かれた細工の細かいテーブルの前、向かい合って座ってるのが現在の状況です。
おはようございます。
アルセイスはゆったりと椅子に腰掛けて、落ち着いた様子で木の実の味がもろにするパンのような固い何かをかじっている。向かい側でまったく同じモノをかじりながら、その……野性味溢れるというか、木の実っぽい香ばしさはあるけど、とにかく固い。不味いとは言わないけど、固い。元の世界のふんわり柔らかパンが恋しい。
「さて、身体を綺麗にする呪文も教えたし、部屋のベッドの使い方も教えたし、食堂の使い方も教えたし……」
指折りながら教わったことを数え上げられる。確かに、教わらなきゃどれもできないことではあるんだけど、改めてそんな逐一教わったみたいに言われると何となく反発したくなるということもまたあるワケで。
若干の苛立ちとともに、うっかりセクハラまがいの答えを返した。
「オレもあんたのために、穿き替え用のぱんつも作ったんだけどな……」
言ってから、これはマズいと気が付いた。全く恩に着せられるようなことじゃない。たとえオレが魔術不足による疲労や、気遣いをもって対応していたとしても。
一瞬、吹き出した冷たい空気を浴びて、沈黙が場を支配する。
アルだけじゃない。即座にオレも口を閉じたので、しばし鳥の声だけが食堂にこだました。
間を置いて、やはり謝るべきかと顔を上げた途端、冷たい青い瞳と目が合った。表情を消したまま、アルセイスがそっと呟く。
「ぱんつのことだが」
「は、はい……いやあの、そんなつもりではなく、何か調子乗ってごめ――」
「――これ、もしかして俺達の穿いている下穿を短くすれば良いモノが完成するんじゃないだろうか?」
「ごめんなさ――はい?」
謝りかけてた言葉が口の中で散らばって、思わず聞きなおす。
そんなオレの様子に頓着せず、アルはものすごく良いことを思いついた様子で身を乗り出す。
「つまりな、例えば今俺が穿いてるこれ――は、ルシアのを借りてるだけだからアウトとしても、これと同じ形で新しくルシアに下穿を作って貰って、それをこの太ももの上辺りでちょんぎれば、馴染みもあって動きやすいすごいぱんつが出来るんじゃないか?」
言われてみれば、確かに。
その形だと、元の世界で言うトランクスとかボクサータイプのぱんつっぽくなりそう。
そもそも、魔力を上げるための練習は別として、アルが穿く分についてはオレが下手くそな腕をふるって縫わなくても良いのかもしれない。
今現在この世界に既にある下穿――元の世界で言うタイツみたいなヤツなら、作り方は確立されてる存在だ。それを短くするだけなら、比較的簡単に作れるんじゃないだろうか。
「……それ、良いかも」
「じゃあ、それは午後だな。レスティキ・ファの遺した書を見せてやるから、その後でルシアに尋ねてみよう」
席を立つアルセイスの後を、ひっそりと追った。
どうやら、さっき真顔になってたのは、別に怒ってたワケじゃなくて、ただ考えていただけのようだ。ちょっと安心した。
だけどこの人、沸点超えたときの反応が派手なので、どこが地雷なのかは早めに知っておきたい気持ちがする。
いつか、そういうのちゃんと聞いてみなきゃ。
オレのやったことを十分に贖うことができたら、そのときには。
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「これがレスティの遺した文書か」
「魔王の討伐にあたって色々と思うところがあったらしい。千年前の文字だから、現代の一般人がすらすら読むのは難しいが……読めるか?」
食堂を出た後、巨大な図書館に案内された。
天井近くにある窓は小さく、光が絞られていて中は薄暗い。
オレの背丈より倍以上高い書棚がずらりと並び、その中にはぎっしりと本が詰め込まれている。
黴と埃の匂い――図書館の匂いだ。
そして、目的の文書は、図書館の一番奥、ガラスケースの中に一つだけしまわれていた。
古びてボロボロになっているが、大事にされていることがはっきりと分かる。
アルから渡されたその書付は、一冊の書物にまとめられていた。
中の用紙に比べて外側の装丁は新しいから、レスティが書いたものを後の世のエルフ達が書物の形にまとめたんじゃないだろうか。傷んではいたけれど、動物の皮で作られたもののようだ。
そう言えば旧版ランジェリでも羊皮紙が出てきてたなぁなどと思いつつ、皮の表面を撫でる。
文字を見れば、オレの使ってる言葉とは少し違う。何となく分かる文字もあるが、読めない文字も多い。
「オレが読むのは、ちょっと難しいかも」
「そうだろうと思った。俺が読んでやるから返せ」
差し出された手に素直に文書を戻そうとして、一瞬手が止まった。読めないにしても、これこそ憧れのレスティが書いたものだと思うと……いやいや、ちゃんと返さなきゃ。これはエルフ達にとっても大事なモノだし、そもそもいくら憧れの人の手蹟とは言え、ただの文字に興奮する程、オレは変態じゃない。
「手を離せ」
「……え? あ、ごめん」
うっかり指に力が入ってるらしい。いやいやいや、返すのがイヤなんてワケじゃないんだ、決して。ただちょっとほら、指に力が入ってるだけで。
許される範囲で書付を引っ張りながら、アルが眉をひそめた。
「保存の魔術がかかっているからな、劣化は抑えられているが……あんまり無闇に力を入れると破れるぞ。保存の魔術も万能じゃない」
「それは困る」
いつまでもレスティの筆跡から離れたがらない指を意識的にコントロールして、手を離した。オレの手のひらから離れていく独特のしなやかな固さが恋しい……。
切ないオレの視線をきっぱりと無視して、アルは手元の書付に目を落とす。
「じゃあ読んでやるけど……千年前のアルフヘイムの森の天気や、今日の服装に関する服飾的拘りや、レンガ作りの家の長所とか、そういう部分は飛ばして良いよな?」
「そんなことも書いてあるの?」
「日記とは言わないが、雑記的な日常の書付と俺達のような子孫に宛てた遺言の部分が入り混じってるんだ」
ページを開いたアルは、文章の一部を指差した。
「ここに、例の予言が書いてある」
「予言……ああ」
あれだ。斎藤さんが爆笑してたヤツ。
末裔のアルセイスは勇者と結婚しろってヤツだ。
「『千年の後、古の淫欲を操る魔王の力再び高まり、勇者の魂、森に現れん。その暁、我が裔は勇者と契り、伴に歩むべし』――お前と契るつもりはないが、勇者を守るのは俺の役目だ」
「いや……あっ、はい」
「お前という勇者が現れた今、王子としての役割よりも、勇者を守ることを優先するべきなのは、火を見るより明らかだ。そうだろう?」
「ありがとうございます……」
他には何も言えず、ひたすらレスティの書いた文字だけを見つめる。
その態度をどう取ったのか、アルセイスが指を動かして別の箇所を指す。
「『魔王の魂は淫欲とともに常闇に沈みき。我が想い、我が力、魔王とともに眠らせん。我が裔よ、其の代においてこそ我が悲願を成就すべし』」
「ん?」
古めかしい言い方だから、すぐには理解できなかった。
古典の授業を思い返しながら、必死に現代語訳する。
「魔王の魂は淫欲と一緒に封印されました。(だから、)私の想いと力も魔王と一緒に眠らせます。私の子孫よ、あなたの時代では今度こそ私の悲願を達成してください」……って感じで合ってるだろうか。
うーん、この文脈で悲願って何だ。
……あれ? 今、何か変な感じがしたぞ。
いや、そもそもオレの使ってる言葉って……?
こほん、とアルセイスが軽く咳払いをした音で、思考が途切れた。顔を上げると、オレの方を見ないままアルセイスが語りだす。
「ちなみに」
「おう」
「祖レスティキ・ファは勇者を心より敬愛し、彼の子を身ごもった。その子孫が俺に当たる訳だが」
「お、おう」
「その……魔王が封印される前の世界では、今となっては想像もつかないような方法でその……子どもを宿していたと、これは書付の他の部分に書かれているんだが」
心なしか、アルセイスの頬が赤みがかっているような気がする。
そのもじもじしている様子を見ながら、ふと斎藤さんが言っていたことを思い出した。
昨日の夜に慌てたのと同じ、ぱんつがないことによる彼我の世界の違い――その1つ。
つまり、生殖の差。
「あ、え、えっと……その、逆にさ」
「何だよ……」
「あんた達はどうやってその……子どもを、あの……えっと……作る、の?」
聞いた途端に、アルセイスの顔が――いや、襟口から覗いてる鎖骨から額まで全部がぶわっと赤くなった。
それを見ると、オレだって何か……その、聞いちゃいけないことを聞いたような。
「俺達は……子どもを……あっいや、あのだから、そもそもまず好き合うところから始まって、その。男と女が……」
「あっ……はい」
「あの、密室――いや、窓くらいは多少開いてても良いんだけど、とにかくふ、2人きりでその、抱き合って……」
「は、はい……」
「共に祈りながら、くっ……口づけ……をすると、できる……」
ここまで何とか言い切った後、アルセイスは手元の書物に顔を伏せた。
「もう勘弁してくれ……」
それ、大事な本じゃないのかなんて聞く間もなく、そのまましゃがみ込んで動かなくなる。
どうもこれ以上のことは聞けはしなさそうだ。具体的な――キスをするとそれで受胎するのか、キスだけで子どもが目の前に現れるのかとか、そういうことは。
……何と言うか、ものすごいレイティング低い性事情。
下着が脱げない、淫欲が封印されてるっていうのは、思ってた以上に元の世界と違いがありそう。
アルが物凄い反応するから、どんなことするのかと思ってたけど……キスか。期待して損した、とは言わないけど、その……話の内容より、びっくりする程恥ずかしがるアルセイスの姿にドキドキしたような気が……しなくもなくもなくもなく……。
いや、中身は男でも外見はレスティだからさ。これは仕方ない。そう、仕方ないんだ。
問題は、この書を遺したレスティ自体は、淫欲が封印される前の男女の関わりというものを知っていた、という事実で。
そんで……この文脈で、レスティの悲願っていうのは、勇者と共にいることと言うよりは、その……淫欲を封印される前の男女の睦み合い――つまり、あのその……オレの世界で言う性的な行為のことを言うんじゃないかというような……えっとその、だから。
――結論。
このことは、しばらく考えないことにする。
都合の良いことにアルセイスも含めエルフ達は、淫欲があった頃の子作りというのがどんなことなのか、ってのよく分かってないらしい。知らなければ「予言を実行しろ」とアルセイスが外から責められることもないだろう、多分。
結婚するつもりはないって言ってた辺り、これはアルセイスにとっても知らない方が良い情報だと思うんだ。
だって、ほら。
もしもアルセイスが知ったりしたら――今度こそオレ、口封じに消されるかもしんない……。




