2 そんなクエスト
「リメイク版のランジェリはVRゲームなんですよ」
かく言う斎藤さんの隣には、そのVR用のものと思しき巨大な装置がある。人1人が入れそうな大きなカプセル的形状のものが、何やら複雑な冷蔵庫くらいの大きさのコンピュータにつながってる感じ。
その冷蔵庫大のコンピュータをカタカタ弄りながら、斎藤さんは説明を続ける。
「VRの中でも特に弊社開発の最新技術を使った、五感全てを再現する驚愕のリアリティが売りでしてね」
「五感全て……」
言葉を繰り返しながら、ちょっと想像してみた。
ゲーム経歴がランジェリしかないオレの頭では、すぐにイメージが浮かばない。VRゲームって、一般的にはあの変なメガネかけてやるヤツ……の、はずだ。
五感ってことは……視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚。
それ全部? マジで?
「五感ってどうやって再現するんですか? その、今、斎藤さんが弄ってるソレ……入るんですか?」
斎藤さんがちらりとこちらを見た。得意げな表情で、メガネを押し上げる。
「はい、そうです。この『VR完全触感体験装置』に入ることで、全五感を再現し得る……ということですね」
「『VR完全触感体験装置』……?」
え、そんなこと出来るの? 現代の科学って、そんなに進んでるのか。
このカプセルがどういう仕組みになっているのかもオレには分からないが、それってまるでSF映画みたいじゃないか。
「ええ、そうですよね。驚きますよね。そりゃあもう、全身五感VRは我ら開発部隊の叡智の結晶ですから。大丈夫です、視覚聴覚のみならず嗅覚味覚も――もちろんウリの触覚だって、全身できっちり受け取ってもらいます」
「全身で……あの痛覚とかもですか?」
「もちろん感じますよ。微弱な静電気を肌に流すことで、様々な触感を再現できます」
くい、とメガネを上げながらこちらに向き直る。
子どもに説明するように、言葉を区切りながら、斎藤さんは貼り付いたような笑顔を浮かべた。
「良いですか? そもそも、触感……というのは、何で構成されているんだと思います?」
「えっ……」
「ええ、そうですね。肌触り、圧力、温度感覚、痛覚。その4つですね」
「……いや、オレ何も言ってないけど」
「その4つをどうやって再現するかが、今回のリメイクのキモだったんですよね。だっていくら売れたゲームでも、ただ焼き直すだけじゃ、一度プレイした人からすれば面白くないじゃないですか」
開発側がそんなこと言って良いのだろうか。
大体、オレはランジェリを、その「一度プレイした」後にも何度も楽しくプレイしてる。今回のリメイクだって、VRじゃなくてもきっと買っただろう。
斎藤さんはそんな反論を挟む間も与えず、熱のこもった表情で顔を近付けてきた。
「そこで今回私たちは『完全触感』に拘りました。静電刺激によって皮膚の受容体を刺激し、偽の感覚を神経に味わわせる……良いですか、『完・全・触・感』です。何もかもが現実と同じ感覚、それが大切なんです!」
「完全触感……」
「ええ。もちろん、安全のために痛覚の感知レベルは落としてあります。元は電気刺激ですから、装置から出た時に傷が残ったりなんかもしませんし」
「わ、分かった! 分かったけど――近い!」
話しながら、どんどん近付いてくる。目と鼻の先まで顔を近づけられて、思わず背を逸らした。
熱心過ぎて、お互いの距離は気になっていないらしい。キマった目でこちらを見ている。
「ここが今回のリメイクの最重要ポイントなんですよ……! だから! テストプレイヤには! 『完全触感』を十二分に味わって頂きたい! ここ、よろしいですか!?」
「え……は、はい……!」
勢いに負けて頷いた。
何だか最後は可否を尋ねる質問だったような気がするが……この流れで詰め寄られて、NOと言える日本人はいないと思う。
「お分かり頂けたなら僥倖。それでは早速テストプレイに移りましょう!」
「え……も、もう? 良く知らないですけど、テストプレイってデバッグ? ……とかそういうことするんじゃないんですか? オレ素人ですけど、何をテストすれば良いとかの説明は……」
「善は急げと言いますからね。それに、今までの応募者は全員が説明を聞いた後で断ってきて……今残っているテストプレイヤはあなたしかいないんですよね。変に説明して逃げられたくないですし」
「全員断ったって……」
何、それ。
この後の話に、何かよほど問題があるってことか?
あっ……さっきから触覚とか全身とか、あっあっあっ――まさかこれっていわゆるエッチな罠的な……?
一瞬ひいたが、すぐに考え直した。高校生男子を騙してそんなことしても何も良いことないしな。
オレの表情の変化を見ていた斎藤さんが、難しい顔をする。
「うーん、この感じだと、逆に説明しなくても身構えられちゃうんですかねぇ。難しいな」
「えっと……まあ、説明はして貰えるとこっちも安心できます……」
こわごわ答える。
斎藤さんは溜息をついて、肩を竦めた。
「いえ、まあそれなら説明しますけども。言ってしまえば単純なことですよ。テストプレイと言ってもストーリィはまだ実装されてません。こちらは『完全触感』についてのデータが欲しいだけなんですよ。だから、血湧き肉踊るような展開なしに世界をうろついて頂くことになるので、そういう時間を楽しめる人じゃないと難しい、という話です。簡易的な目的だけは用意してますが、やっぱりRPGの醍醐味はストーリィですからね。そこを承諾してくれる方が中々いなくて」
「……なるほど」
「でも、あなたは違いますよね、音瀬さん。何せあなたは旧版のランジェリを、ストーリィが完全に分かっているにも関わらず20回もクリアした経歴の持ち主だ。ランジェリに対する愛情は、ストーリィを越えてその世界に向かっている――違いますか?」
「や、まあ……はい」
そんなに熱苦しい言い方をされると悩ましいものはあるが……大枠では間違っていない。実際に、今の説明を聞いただけでは、特にやめようとは思わなかったし。
テストプレイは正規の商品ではない。だから、旧版のランジェリみたいな胸踊るストーリィはないってことか。まあ、そうすると、確かに1時間もプレイしてるとだれてしまう人もいるのかもしれないなぁ。
一番のウリだそうだから、『完全触感』とやらをテストしてほしい気持ちも良く分かるけど、ひたすら色んなものに触り続けろ、なんて目的なんだったら、うんざりする気持ちも分からなくもない。
――とは言え、斎藤さんの言うとおり、ランジェリの世界にいるだけで幸せになれるオレにとっては、そんなことは瑣末な問題でしかなかった。あの頃ぜひとも現実に手に入れたかったあのアイテムやこのアイテム、風景キャラクタ武具に料理の数々がリアルに感じられるなら、少々機械的作業の時間が長くても構わない。
「よろしいでしょうか?」
「特に問題はない……と思います」
「あなたならそう言ってくれると思ってましたよ」
笑顔を返されて、オレもまた笑顔で頷く。
うん、こういうのをアレだ、流行りの過ぎたビジネス用語でウィン・ウィンと言うんだろう。
「じゃあ、装置に入る前に、テストプレイヤであるあなたに、ランジェリの世界での便宜上の目的――ぶっちゃけて言ってしまえば設定してあるテスト項目をお伝えしますね」
「は、はい……」
びしっ、と人差し指を鼻先に突き付けられた。
こちらが何も答えられない内に、斎藤さんはとっても良い笑顔でのたまう。
「あなたの達成すべき目的は――ランジェリの世界で、現代さながらの下着を作りまくり、流行らせることです」
「……下着?」
「滑らかな肌触り、自然な穿き心地、目にも肌にも優しいそういうものを……作って作って作って作りまくり、全世界に広めてください!」
「下着?」
二度問い返したけれど、それ以上の説明はなかった。
目を白黒させている間に、形ばかりだから、とテストプレイヤ用の――万が一プレイヤに何かあっても責任は取りません、という――書類にサインをさせられ、追い立てられるように装置の中に入れられた。
いざとなってからの斎藤さんの手際は、良すぎるくらい良かった。
あれよあれよと眺めている間に、甲斐甲斐しく準備を整えコードを繋がれて――次に気付いた時には、オレは誰もいない草原に1人立っていた。