23 解釈違い
待ってくれ。なんだそれ。
そんなこと、考えたこともなかった。
母さんは魔王バアルで、父親は……待て。
いや、待てって。違う。そんな訳がない。
だって、オレとあの人、何一つ似てないじゃないか。
髪の色と目の色がぎりぎり似てるかってくらいで、そんな……絶対に認めたくない。
まさかオレの父親が――血縁上の、肉体上の、ただ血がつながってるだけの父親が、あの時を超えたストーカー野郎だなんてこと。
――レイ、ヤ。
誰かに呼ばれた気がして、ふと上を見上げた。
ぽつりと呟かれたような、そっと袖を引かれたような。
だけど、その続きは聞こえてこない。
オレは向き直り、また一つ莉亜の欠片を拾った。
オレの知っている顔。知らない顔。
あれも、これも、ぜんぶ拾ってやりたい。知らなかった妹のことを。
腕の中いっぱいに莉亜を抱えて、それなのにまだ莉亜の魂には届かない。
こんなにもたくさんの年月を、言葉を、重ねておきながら。
なにもかも、お前の一番奥にあるものじゃないのなら――じゃあ、お前にはなにがあるんだ。
――レイヤ!?
再び、誰かがオレを呼んだ。
悲鳴のような声。
響いた声にはっと顔を上げた途端、オレの腰に誰かがしがみついた。
――お兄……!
振り向けば、泣き顔の莉亜が立っていた。
自分から抱き着いてきた癖に、オレを突き放して逃げ去ろうとする。
――あたしを呼ばないで。
――愛されないのは、もう嫌なの。
望みの満たされなかったその魂。
オレが、ともう一度手を伸ばした。
今度は、掴むためじゃない。
抱き寄せて、引き上げるために。
誰が愛さなくても、オレがお前を愛してる。
そのままの、今のままの、我がままで嘘つきで、泣き虫で寂しがり屋のお前を。
――レイヤ……。
頭上から、か細い声がする。
莉亜の細い肩を抱きしめた途端、身体が上に引き寄せられた。
上から降り注ぐ光が、妙に眩しい。
オレは目を眇め、見つけた莉亜を全部連れて上昇する――
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目を開いた時には、冷たくなった莉亜の身体に伏せていた。
ゆっくりと身を起こす。手の中に黒い欠片を握っていた。
莉亜の持っていたアダマンティンの大鎌――その欠片だ。
思わず手に力が入る。瞬間、欠片がどくりと脈打った。
「……莉亜?」
声をかけてみたけど、返事はない。
欠片はただの欠片だ。だけど――いや、確かにここに莉亜がいると信じられる。
握った欠片をぎゅっと胸元に引き寄せた。
「……レイ、ヤ……!」
前方からオレを呼ぶ声がして、顔を上げた。
その瞬間、頬を掠めて刃が床を貫いた。
ぎぃん、と鈍い音が響く。慌てて後ろに下がったオレを、聖剣を携えた勇者スィリアがつまらなそうに眺めた。
「ふうん、己の危機には反応する訳だ。仲間の呼びかけには応えないというのに」
「お前……いきなり切りつけてくるって卑怯だろうが!」
「戦いの最中に、身体をこちらへ置いたまま【世界の裏側】に潜る方が非常識なのだよ。そんなことをすれば残された者がどうなるか、まともな者なら想像して然るべきだというのにね」
「……残された者?」
そう言えば、スィリアと対峙していたアルセイスは無事なのだろうか?
あの時は、莉亜をこのまま死なせてはいけないって、それだけでまっすぐに追いかけてしまった。莉亜の魂を掴んですぐに戻ってくるつもりだったが――
辺りを見回すと、さっきと同じ神殿――だが、柱はへし折れ、床のクレーターはいくつも増え、がたがたのひどい有様だった。
焼け焦げた床を辿っていくと、奥の方に、飛び散った赤い血だまりがある。
ひゅっと息を呑んだ。
「……イヤ、レ、イヤ……」
力なくオレを呼ぶ声。血まみれの虹色の髪、半ばで断ち切られた羽。
血だまりに沈んでいたのは、変わり果てたヘルガの身体だった。
「――ヘルガ!?」
「レイ、ヤ……ごめ、んね……」
近づく前に、その首はゆっくりと項垂れ、そしてそのまま動かなくなった。
慌てて駆け寄ろうとしたけれど、背後に気配を感じて咄嗟に振り向く。
タイミング良く振り下ろされた聖剣の刃が、肩先を切り裂いて宙を舞った。
「ちっ……往生際の悪い」
「ヘルガの怪我は、お前の仕業か!?」
まだ、気を失っただけかもしれない。たとえ、その胸元に聖槍リガルレイアが刺さっていたとしても。
オレは怒りと憎しみを込めてスィリアを睨みつけた。
今ならまだ間に合う。だから、早くこいつを倒してヘルガを助けに行くんだ。
その意思を目に込めたつもりなのに、スィリアはなんとも言えない表情でオレを見返した。
「あなたはどうも理解できていないようだが、今更私に抗っても無駄だよ。既にあなた方は敗北している」
「どういう意味だ」
「生きて立っているのは、もうあなただけということだ」
「なんだって!?」
スィリアの言葉で、周囲を見回す。
血まみれのヘルガに寄り添うように、床に倒れ伏しているのはベヒィマだ。その背中に突き刺さっているのは聖銛トリクロティオの鋭い刃先。ベヒィマの小さな身体はぴくりとも動かない。
彼女たちを助けに向かったのは、シャーロットとユスティーナ。小さなレディたちは互いに互いを庇うように抱き合って、その姿のまま壁に張り付けにされていた。聖弓フロイグリントの矢が幾本も刺さり、心臓を貫いている。
足元に、ユスティーナの抱えていたサラマンダーの聖武具、聖兜ゴルゴニクスが転がっていた。
「ベヒィマ……シャーロット、ユスティーナ!」
走り寄ろうとして、ふと、ここにないはずの聖武具があることに気付いた。
聖弓フロイグリントはヘルガが、妖精の川辺へ置いてきたはず。
そして、聖銛トリクロティオは人魚の海底の海魔レヴィが――
思い当たった瞬間に、ごとん、と足が何か大きなものに引っかかった。
ゆっくりと見下ろした視線の先に、大きな石のような丸い――
「……れ、レヴィ……?」
名前を呼んでも、見開かれた瞳は、ちらりとも動かなかった。
蛇体に繋がる大きな身体、その首から先が聖斧グランティタンに断ち切られ、石ころのように転がっている。
こつん、と近づいてきた足音が背後で大きなため息をついた。
「あなたは、自分が思っているよりも深く長く眠っていたのだよ。いえ、私はてっきり死んだのだと思っていたのだけれど」
「長くって……」
「魂だけで【世界の裏側】に潜っている間、仮死状態だったのでしょうね。まったく、そうと知っていれば一番最初に息の根を止めておいたのに」
「待てよ。オレがいない間、いったい――」
「簡単なことです。海魔レヴィは――ああ、魔族三将ともあろう者が愚かとしか言いようがない。私たちを裏切ってあなたにつくなど。そして、あなた方の危機を知り聖武具を持って駆け付けるなど。他の者たちと一網打尽になるだけだというのに」
「聖武具を持って……」
確かに、レヴィならば、ここにはなかった聖武具も持ってくることが出来ただろう。
勇者スィリアが構えている聖剣アドロイガルと、聖鎧クロノソリティル。
レヴィの首元に刺さった聖斧グランティタン。
シャーロットとユスティーナの足元に落ちた聖弓フロイグリントと聖兜ゴルゴニクス。
ベヒィマを貫いている聖銛トリクロティオ。
そして、ヘルガの胸に刺さったままの聖槍リガルレイア。
「――アルセイスは、どこだ!」
思わず掴みかかったオレを、スィリアはすいと首を動かすだけで簡単に避けた。
床を穿つひときわ大きなクレーターを眺めながら、ため息を吐く。
「無念です。彼女も同じように仕留ておければ、こんな無用な問答はしなくて済んだはずなのに」
はっと希望の光が見えたような気がした。勢い込んでオレはスィリアをまっすぐ見つめる。
「じゃ、じゃあ。アルセイスは――」
「彼女の身体は【天上の神なる栄光】により、塵も残さず消滅してしまったのでね。申し訳ないが、死体というものが存在しないのさ」
「……う、そだ」
「そう思いたければご随意に。だが、あなたなら分かるでしょう。彼女が逃げるなど――命より大事にしているものを二つとも置いて逃げるなど、彼女がするはずがないということを」
アルセイスが命より大事にしているもの。
一つは聖槍リガルレイア。もう一つは――
どさり、と重いものが落ちた音がした。
いや、落ちたのはオレの身体だ。床にへたり込んだ足に、力が入らない。
立ち上がろうという気すら起きなかった。
ただ、床に開いた大穴を見つめて、名前を呟くだけだ。
アル。アルセイス。
無事に違いない、どこかで無事に生きてるはずだ。
そう思い込もうとする頭の片隅で、冷静な方のオレは確かに理解していた。
――あいつが、守るべきものを置いて一人逃げるなんて、そんなことある訳ないって。