21 幾度呼んでも
「下がれ、レイヤ。【聖光翼刃斬】で一掃してやる」
アルに肩を押され、オレは一歩後ずさる。
莉亜はその様子を見ながら、斎藤さんを睨みつけた。
「ぼうっとしてないで、あんたも働きなさいよ。あたしの役に立つんでしょ」
「ええ、そうです。もちろん。はい、魔王さまのために……」
立ち上がろうとしては、バランスを崩して膝をつく。
その足掻く姿を見て、莉亜はわざとらしくため息をついた。
「愚かな男だ」
オレと斎藤さんの間に、バアルがするりと身をねじ込んだ。斎藤さんからオレを守る立ち位置だ。
莉亜に向けて挑発の視線を投げた。
「さて、本物とやら、ジーズは来ないぞ」
「……あんたがあいつに勝てる訳ない」
「なにを根拠に言うのだろうな。魔術封じが理由とすれば、お粗末なものだが」
「一度解除できたからって調子に乗らないでよね! そんなのどうせ偶然に――」
「さて、偶然だと思うなら、お前の記憶を疑うことになるな」
「なんですって……?」
バアルは、わざとらしく不思議そうな顔で、アルセイスの方を見た。
「レスティキ・ファ。君はこの輪廻の始まり、女神に造られた日のことをおぼえているかね?」
「俺はレスティキ・ファではないし、だから造られた日のことなんかおぼえていない。そんなことより勇者が来るぞ!」
現実に即して、アルは聖槍を構えて突っ込んでいった。
スィリアが聖剣でそれを受け止める。耳障りな金属の擦れる音が響いた。
その姿から視線を外し、バアルは再び莉亜に視線を戻す。
「彼女はどうやらおぼえていないようだが、君はどうかね?」
「なんのことよ」
「私はおぼえている。正確には、私自身でなく、私の本物が造られたときの記憶を持っている、と言うべきだが」
「それがどうしたの。自慢のつもり?」
「私には不思議でならない。ここまで言ってもまだ君が気付かないなんて。女神に造られた日、私は水槽の中で目覚めた。水槽の内側では私の魔術は封じられていた。女神曰く、水槽の中で暴れては怪我をするから、とね。水槽を出されてから魔術封じの解除方法を教わったのさ。私の他の魔族はみな、私が解除したのだからおぼえていなくてもおかしくないが」
莉亜の目が徐々に理解の色を帯びて、見開かれる。
そして、バアルの言いたいことは、オレにももう分かっていた。
「私の記憶を持つがこちら側についていることを知っていて、なぜ君は魔術封じなんて方法を使ったんだ? 君が私の複製元の本物の魔王だと言うなら、私にどんな記憶を複製したか、自分でもわかりきっているだろうに」
千年前の魔王が生まれた日の記憶を複製のバアルに与えたことを知っているなら、魔術封じをバアルが解けることも分かっているはずだ。
それなのに、莉亜はそんなこと少しも想定している様子はなかった。
むしろ、知っているはずなどないと言いたげなくらいだ。
なら――どんな記憶を与えたかを知らないのならば。
「君は、本物の魔王なんかじゃない。どこからかそのアダマンティンの欠片を手に入れただけの、女神の関係者、というだけだ」
言い返そうとしてか、莉亜の唇が震える。
驚愕と怯えで言葉の出ない彼女に、遠くから勇者スィリアが叱咤の声を投げた。
「リア! 君がなにものであろうと女神からその知識と業を与えられたことは変わらないだろう! 怯むな、魔術を使え!」
「うるさいのよ、あたしに命令しないで!」
鋭く言い返す。だが、スィリアの声で自分を取り戻したらしい。
莉亜はオレたちの方を向いて片手を掲げた。
「そうよ、女神からすべてを与えられたあたしには関係ない――セット、全詠唱破棄【神の国は】――」
オレとバアルはタイミングを合わせ、二重のシールドを張る。
「――セット、全詠唱破棄【極限防壁】!」
「――【終わることなし】!」
合わせた声の通り重なったシールドが、吹き上がる光を妨げた。
その隙間から、苦しげな表情の莉亜が光を維持しながら負け惜しみを口にするのが見える。
「三対二だからなに? ちょっと防げたからって、連発すれば――」
その背後に、黒い影がゆらりと蠢いた。
「――四対二、ですよね?」
「えっ……」
振り向いた莉亜の後ろには、ぼろぼろの斎藤さんが黄金に輝く斧を振りかぶっていた。
自ら光を放つその武器は――あのときドワーフの山から持ち出された聖斧グランティタン。
「――【霊峰の炎に閉じよ! 最終奥義喝破豪切断】」
「いやああぁぁっ!?」
なんの防御も避けることもできず、莉亜はまともに脇腹から聖斧の一撃を食らった。
背中側まで貫かれた虚ろから、血と臓物の混ざったしぶきが吹き出す。逆流する血を口から吐き出して、どさりと床に身体を落とした。
「――てめぇ、斎藤ぉ!」
まだ発動したままのシールドを内側から蹴り破り、オレはすぐさま莉亜のもとへ駆け寄る。
治まりかけの莉亜の魔術が肌に刺さって細かな傷を作ったが、そんなことはどうでもよかった。
膝を突き抱き上げる。垂れ落ちる内臓の失われた身体は、ひどく軽い。
聖武具の一撃で胴を両断されずに済んだのは、女神の加護というやつのおかげか。
だが、目の焦点が定まっていない。このままでは死を迎えるだろうことは一目でわかった。
「莉亜……!」
「お兄、の……ばか。あたし、敵、なのに……」
「そんなことあるかっ! 待て、今助けるから――」
オレたちの正面に、斎藤さん――淫魔シトーは頬を血に濡らし立っている。
漠とした瞳はどこか遠くを見ていた。
「ああ、千年かけてもまだ私の前に姿を現してくれないなんて、いったいどちらへ行ってしまわれたのか……」
「ふざけんな、斎藤! お前、莉亜になんてこと」
「あの方を詐称するなんて万死に値する。ええ、一万回死んでもまだ許されません」
魂を抜かれたような目が、オレを見て徐々に焦点を結ぶ。
ぶん殴ってやりたかったが、それよりも莉亜の手当の方が先だ。
「――セット、全詠唱破棄【再生】!」
唱えた魔術は治癒系の最上位の呪文だ。
それでも、強大な一撃で吹き飛ばされた腹を戻すにはこんなものでは足りない。
青ざめた莉亜の頬にふと影が落ちる。
見上げれば、シトーからオレたちを守るようにバアルが背中を見せていた。
「シトー。何度言っても、貴様は変わらないのか」
「……いいえ、いいえ。これこそが本当はなすべきことでした。私は変わったのです。千年前とは違います。私はもう二度と魔王さまの意思に背くことはありません。あの方が死ねと言うなら死にましょう。殺せと言うなら女神でも殺します。なのに……」
込み上げる嗚咽を噛み殺し、シトーは床に膝を突く。
「なのに、あの方は一度も答えてくださらない! 千年もの間、慣れぬ異界で苦境にあったのはあの方も同じはず。なのに一言たりとも俺に助けを求めはしなかった。呼んでくだされば――俺の名を呼びさえすれば、どこからでも間違いなく駆け付けたのに!」
「お前に助けを求めれば、こうなるとわかっているからだ、シトー」
溢れだした血が、バアルの足を、そしてシトーの膝を濡らす。
ずしゃり、と重い音がした。
シトーが聖斧グランティタンを取り落とした音だと、目の前に落ちた斧の影で理解した。
茫然とした様子で血だまりを見つめていたシトーが、唐突に顔をあげる。
同時に、バアルが片手を掲げて叫んだ。
「――セット、全詠唱破棄【転移】!」
どちらが先か。
暗闇の中に足元から沈んだバアルか、浮かび上がった扉に全身を投じたシトーか。
二人はともに【世界の裏側】に姿を消した。
残ったのは、瀕死の莉亜とオレだけ。
「……お兄、ごめ、んね」
「謝るなよ。謝りたいのは、オレだ……」
莉亜がオレとの対決を避けてることなんて、ずっとわかってた。
なんとかオレを関わらせないように。
偉そうな言葉で、冷たい態度で、何も知らせないことで必死に伝えてた。
わかってたんだ。それでも助けるって決めたのはオレなのに、どうして――
「母、さん……あ、たしが失敗したこと……知ったら、きっと、お兄に……」
「いいから! そんなのどうでもいい! お前が何者だろうが、どんなことしてようが、オレは――」
冷えていく身体を必死に抱きしめて、ふと思い出した。
バアルの記憶をアルに渡したときのことを。
「莉亜。オレが助けてやる。たとえお前が、どんな姿になっても」
呟いた唇を伝って、熱い涙がぽたりと落ちる。
莉亜の頬を濡らす涙と混じって、すぐに分からなくなった。
「……たし、死んでも……母さん、泣かな、い……だろ、な……」
血と涙でぐしゃぐしゃの顔が、一瞬、ひどくゆがんだ。
すぐに、その口元から力が抜けていく――その瞬間に。
オレの魂は、莉亜の中へと両手を伸ばしていた。
その魂を掬い上げ、もう一度オレのもとへ引き寄せるために。