17 勇者の神殿
シャーロット姫の部屋で、オレたち四人は最後に向き合った。
「絶対に、無事に戻ってくること。特にバアルな」
「大丈夫だと言っているのに」
「俺もレイヤの言葉に賛成だ。ジーズの魔術封じが一番気にかかるだけに」
オレとアルに口々に言われて、バアルはうんざりした様子で苦笑した。
「いや、多分……原理は分かった、と思う。そう言っただろう、私は」
「多分とか思うとかじゃ心配なんだよ」
「ならば、ここで言い切っておこうか。ジーズは任せろ。むざむざそちらに向かわせて、あなた方を危険にさらすような真似はしない」
「俺が心配なのはそういうことじゃない」
顔をしかめて口をとがらせるアルの表情に、バアルの笑みがますます深くなる。
「可愛い言葉はそれくらいにしてくれ。他人のものであることが惜しくなる」
「お前は――!」
「何やら分からぬが、私が寝ているうちに仲直りしたようじゃな。よしよし。仲良きことはうつくしきかな」
シャーロットののほほんとした言葉に、掴みかかりかけたアルセイスは大人しく手を下ろし、バアルはその隙に踵を返した。
「私とて、ジーズなぞと差し違えるつもりはない。正直……片付けねばならぬものがもう一人いるのでな」
背中越しに手を振り去っていく姿を見送ってから、シャーロットはオレの方へ向き直った。
「では、私もユスちゃんと合流しよう。ベヒィマとヘルガという少女たちは任せろ。同じ女同士、すぐに仲良くなれるぞ」
「少女と言うか……まあ、見た目は少女だな」
オレの呟きは聞こえてはいないらしい。
再び例の抜け道を開き、分かれ道で機嫌よく手を振った。
深夜の内緒がシャーロットの気分を盛り上げているのもあるだろうが、単にユスティーナに会えるのが楽しいのかもしれない。
弾む足音が遠ざかっていくのを聞いてから、オレたちは抜け道をシャーロットとは逆――勇者の神殿の方へと歩きだした。
「離れるなよ、レイヤ」
「分かってる。あんたもな」
しばらく、黙って真っ暗な抜け道を進んだ。二の腕辺りに、アルセイスの腕がずっとかかってる。
夜目でもこれだけ近ければ、アルの表情が浮かないのはだいたい分かる。さすがに黙っていられずに、声をかけた。
「……バアルのことが気になる?」
「誰が」
すぐに返ってきた言葉は、アルの本音じゃない。歩きながらじっと見つめていると、諦めたようにため息をつく音がした。
「心配くらいするだろう。仲間なんだから」
「あんた、バアルに対してだけは素直じゃないよね。わざとだろうけど」
「お前がシトーに対しては反抗的なのとさして変わりがないんじゃないか?」
「いやいやいやいやいや、オレのは違うでしょ!?」
あれはマジで腹を立ててるんだよ。だって無茶苦茶なんだもん、あの人。
……まあ、感情はいろいろ複雑って話でもあるけどさ。
「言っておくが、お前の妹もたいがい無茶だからな? 世界を一つ壊そうなんて、自分が生まれ育った世界でないにしろ……」
「莉亜だろ? 確かにあいつのやってることは無茶だけど……お兄ちゃんだからな。あいつが無茶するなら、オレが止めなきゃならないんだ。あんただって、弟がやっちゃいかんことをやろうとしたら、止めるだろう」
「ああ……まあ、そうかもな」
アルセイスに弟がいて良かった。話が早い。
まあ、もしかしたら、下の子も兄を見ながら同じこと考えてるのかもしれないが、残念ながら上に兄弟がいないオレには永遠に分からない感情なのだろう。
ふと、アルの手がオレの腕から離れる。立ち止まった気配を感じて、オレもまた足を止めた。
「どうした?」
「……じゃあ、確認しておくが」
一呼吸ののち、アルセイスは真剣な声で問うてくる。
「お前の妹が、もしも正しかったらどうする?」
「えっ、なに?」
「リアが――女神の思惑が正しいのだとしたら、お前はどうするんだ」
とっさに答えられず、オレは動きを止めた。
アルは落ち着いた声で、淡々と言葉を続ける。
「バアルの言っていた通りだ。複製のシステムはもう正常に機能していない。千年前ですら異常が目だっていたものが、今でもまだなんとか子を作ることができてるだけマシだろう。種族間の対立はますます激しくなり、千年前にはなんとかあった交流も、今回のことが起こって俺たちが動くまではほとんど途絶えていた。この世界は、行き詰まっているんだ」
とん、とアルセイスが一歩近寄ってきた。
オレの胸元に手を当て、首をかしげる。
「創造主自身が見捨てた世界を、なぜおまえは救おうとする?」
「なぜって――」
頭の中を底からさらって理由を探す。
莉亜に手を汚させたくない?
世界を壊すなんてどう考えても悪行だ?
いや、そうじゃなくて――そうじゃなくて、つまり――
「――作った人がどう思おうが、あんたはこの世界で生きてるじゃないか、アルセイス」
触れた手を掴んで、引き寄せる。まっすぐに見つめてくる目を、正面から見返して。
「親がもういらないって言ったからって、子どもは死ななきゃいけないのか? 必要とされない命は壊されてもいいのか? そうじゃない、とオレは思う」
アルセイスの瞳が闇の中できらりと光って、そして瞼を伏せた。
「……そうだな。お前はそういう奴だった」
「理解しては貰えないかもだけど」
「いや、よく分かるよ。もしかすると、お前以上にな」
ぽん、とアルはオレの肩を叩く。
そしてそのまま抱き着くように喉元に顔を伏せてしまった。
「えっ、ちょ――」
「――たんだ、俺も。この身体の俺はいらないから」
「な、なに? 聞こえないんだけど」
「これが終わったら結婚しようって言ったんだ」
「ああ、なるほど。結婚ね――ぅえ!?」
慌てて聞き返したが、アルは何のてらいもなく微笑んで、まっすぐにオレを見上げてくる。
「今の俺には特にしがらみはないし、お前もこれが終わったらこの世界にいる理由はないんだろ?」
「いや、そりゃ……な、ないけど……」
「だから。何か約束が必要だと思って。世界じゃなくて、俺とお前の間に」
言ってることはよく分からなかったけど、言いたいことはなんとなく分かった。
女神の作った運命を破棄しても残る、強い約束が必要なんだって。
「いやいやいやいや、待てよ、アルセイス! だからってあんたそんな、一生のこと軽々しく……」
「軽々しく決めた訳じゃない。結婚しないか、レイヤ」
照れるオレの制止なんて、聞いちゃいない。
間近からじっと見つめてくるこの目に、オレが勝てたことなんてそもそも一度もありゃしないんだ。
オレの答えを待って注がれる視線に、ついにオレは顔を背けた。
「その……えっと、つまり……考えておきます」
ヘタレと言うなかれ。
普通の高校生男子が迫られるような決断じゃないのだ、結婚は。
とは言え、それを理由に「無理だ」とは言えない辺り、かなり押し負けてるんだけど。
アルは一瞬眉をひそめたけど、すぐに真面目な顔に戻って頷いた。
「ま、今はこれくらいで許しておくか。弟のこともあるしな」
「弟?」
「さしたる問題じゃないが、あれに、手伝ってやると言ってしまったからな。よく考えたら、その行く末も見届けずに俺だけどこかで勝手に幸せになる訳にはいかないな。まあ……別にそれでもいいような気もするが」
「いや、そりゃいかんでしょ。ちゃんと手伝ってあげなよ」
妹持ちとしては、聞き捨てならない言葉だ。
たしなめると、顔を上げたアルは苦笑して頷いた。
「ああ、そうだな。約束は守らなきゃいけない。お前もだぞ」
「うっ……か、考えておくってば」
「よろしい」
満足げ笑ったアルが、最初と同じようにオレの腕に手を絡めた。いや、さっきよりもすごい密着してるような気もするけど。
恥ずかしいわ歩きにくいわでできたら離れてほしいんだけど――でも、どうもそれを口にする気にはなれなかった。
隣に並んだアルの表情は見えないけど、なんとなく、雰囲気で。
●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
オレたちは、真っ暗な抜け道をまっすぐに進んだ。
頭の中に入った地図に従って、勇者の神殿へ――莉亜のいる方へ。
寄り道も迷いもせず辿り着いたそこは、以前見た通りの清々しいほどに静寂に満ちた、だだっ広い空間だった。
真っ白な床に真っ白な天井。その間をつなぐように真っ白な柱が並ぶ。
壁際に生えた柱のちょうど真後ろに、抜け穴の出口は繋がっていた。オレたちは柱の陰に隠れたまま、神殿の中央をうかがう。
人影が二つ。
真ん中に置かれた長椅子に座っているのは、ツインテールの少女――莉亜だ。
呼びかけようと身じろぎした途端、袖を引かれて思いとどまる。視線を追うと、アルセイスの目の先には莉亜につき従うように立つ男――勇者スィリアの姿があった。
アルセイスが軽く息を吐く。
「結果的には、バアルを一人で行かせて正解だったな。こちらで二対一になると、お前には勝ち目がない」
「ひどいな。元はアレがオレの身体だったんだぞ」
今見ても、勇者スィリアの義体には懐かしい傷がいくつもあるはずだ。
元はオレの――そして、その更におおもとはスィリアのものだった身体。
自分が動かしていた身体を、こうして遠くから眺めるというのは、どうも不思議な感覚ではある。
「で、どうする。奇襲をかけるか? お前の妹は別にしても、あの勇者を無力化しないことには――」
「――ねえ、お兄、そこにいるんでしょ?」
アルが囁く声を押しとどめるように、莉亜の声が響く。
オレはぎゅっと拳を握り、柱の後ろから飛び出した。