18 ごめんねの理由
再びクラーケンの触手に締め上げられたアルセイスが、必死にもがく。
オレは慌てて足元のゼルスィ――……だった死体が握っている剣に手を伸ばした。重くてうまく持ち上がらない。
「おい、ヤバいヤバい、さすがにヤバいぞ! アルが――」
『待って、お兄。非力なお兄じゃ助けらんないよ。それより、アルセイスに【聖光翼刃斬】使えって言ってあげて』
「はあ!?」
聖槍リガルレイアの最終奥義たる【聖光翼刃斬】は、女の身体じゃ使えないって設定なんだろ? そんなことより折角オレも魔術を使えることがわかったんだし、何か使って見た方が良いんじゃないか。
問い質そうとしたけれど、冷たい声で「いいからあたしの言うこと聞きなさい、バカ兄」なんていつもの調子で詰られた。オレほどじゃないにしても、莉亜もこのランジェリを何度かプレイしている。リガルレイアの設定くらいはわかってるだろう。
それでも何か考えがあるってことなんだろうけど、果たしてオレの言葉をアルが信じてくれるだろうか。迷ってる暇も確認のしようもなく、とりあえずそのままを口にした。
「おい、アル! 【聖光翼刃斬】使え!」
言った途端、はっとした表情で斎藤さんがこちらを見た。
「……やはり、勇者の記憶自体はあるんですね」
唇を歪めて独り言のように呟いている。
だけど、オレには何のことやら……だって、千年前の勇者の記憶――旧版ランジェリのデータなんて、あの頃プレイしたヤツなら皆知ってるはずだ。ゲームの中で公開されていた情報なら。
アルの視線がちらりとこちらを見る。
【聖光翼刃斬】を使えって言ってるのは莉亜だ、とまでは教えなかった。何だか情けなさ過ぎて。これじゃまるで、オレがゲームキャラで莉亜がプレイヤみたいだ。
いや、それを言うならもしかしたら最初から。斎藤さんの指示通りに起こしたあれやこれや全て……?
絡まれながら槍を刺そうと四苦八苦していたアルは、オレの言葉を聞いて一瞬動きを止めてから、心を決めたようにクラーケンを睨み付けた。
「――【其は青藍の刻限に佇立する万有の先導者】――っ!」
「ぐふっ……聖槍リガルレイアの担い手よ、己の身体のことすら忘れたか?」
「うるさいっ! アレが本当に淫魔シトーなら、話は大体読めてきた――要するにそういうことなんだろうが!」
「……何?」
「かつて喪われた『下着』を解放して、魔王の力を取り戻そうとする者ども――お前らの目的は、魔王の復活だろう!」
思い当たることがなかったらしく、きょとんとするクラーケンを横目に、斎藤さんと莉亜は口々に感想を述べている。
「おお、まさか千年も経っているのに、喪われた『下着』を知る者がいるとは」
『やだ。あんなにしっかり封印したのに、まだ知ってる子がいたんだ。レスティの仕業かしら』
「……祖レスティキ・ファより代々引き継がれた伝承の通りだ、『千年の後、古の淫欲を操る魔王の力再び高まり、勇者の魂、森に現れん――』」
「むしろ隠そうとするかと思いましたが……あの女、よくもそんな予言を延々と伝えてきたものですね」
『こういうことが起こったからには、言い伝えておいて良かったのかもだけど……』
お互いに声は聞こえていないはず――いや、莉亜には斎藤さんの声は聞こえてるのかも知れない――だけど、まるで掛け合いのようにタイミング良く言葉が続いている。
2人の声を無視して、アルは服の肩口で頬を拭い、改めて声を張り上げた。
「『――その暁、我が裔は勇者と契り、伴に歩むべし』――お前、ばーちゃんのばーちゃんのばーちゃんに、千年前から結婚相手を指名された男の身になってみろ!」
「何ですか、その予言――レスティキ・ファのヤツ、侮れないことをすると思ったら、ただのバカじゃないですか、あはははは!」
『レスティったら、何でそんな言い伝えを遺したのかと思ったら……末裔でも良いから、勇者とまた結ばれたいってそう思ったのね……うふふふふ』
斎藤さんと莉亜の(多分全く違う理由での)笑い声がユニゾンで響く中、正面から詰め寄られたクラーケンが、思わずといった様子で反論した。
「……ちょっと待て! そ、それは我々のせいなのか? 貴様の祖先とやらの問題じゃないのか!?」
「魔王の復活を目論むなら、どちらにせよお前はアルフヘイムの敵だ。――加えて俺は、予言を成立させようとするヤツに個人的に恨みがあるってだけだ! 【永劫の腕に抱け! ――最終奥義聖光翼刃斬】!」
「お、おい、貴様、それどっちかって言うと後者の方が――ぎゃあああああ!」
八つ当たりじみた詠唱の結果、生まれた光の奔流が、花びらのように舞いながらクラーケンを切り刻んでいく。青い刃が軟体に食い込んで微塵に散らばり――光が消えた後には、びくびく動くミンチと変な液体に塗れ、ぬらぬらしているアルだけが残っていた。
声をかけようと息を吸った途端――身を翻してこちらへ踏み込んできたアルセイスが、オレの鼻先にリガルレイアの穂先を突きつけた。
「――近寄るな、レイヤ」
「あ、アル……」
「『古の淫欲』――すなわち下着を解放する程の――【下着解放】の力を持つ人族」
「……え、いやそれは」
「――お前が、勇者なんだな?」
「いやあのだから、えっと……」
これはゲームで、と言おうとした。
ゲームだ。ただの。そうだろう?
斎藤さんが指示した通りにしただけだ。
昔からあれだけ遊び倒したラン・ジェ・リのリメイク版。現代技術を最大限に利用した高度なVRだ。
オレの足元の頭を失った死体も。
目前でてらてら光る刃も、その向こうからオレを射抜く青い瞳も。
アルの身体に纏わりついた、生き物の成れの果ても。
喪われた命も、向けられた怒りも、今までのオレの行為も。
全部ニセモノだ。データを弄っただけだ。
こんなのは全部、復元可能な、ただの――。
ゆっくりと後ろを振り返る。
斎藤さんと目が合って、にこりと微笑まれた。
つりこまれるように、オレも引きつった唇で笑い返す。
「斎藤さん。あの……これ、ただのゲームですよね?」
「もちろん」
笑顔のまま答えが返ってくる。
安堵で肩から力が抜けた瞬間に、言葉が続いた。
「――もちろん、ゲームな訳がないじゃないですか」
「……え?」
『バカ兄、まだそんな風に思ってたの……ダメだよ。現実見てよ』
莉亜の声が、冷たく耳元に突きつけられた。
現実って何だっけ……?
捻っていた首を戻すと、怒りを通り越して絶望を湛えた青い眼が視界に入る。
「――俺は伝承を実現させようとするヤツらが心から嫌いだが、こうして俺の身体を作り変えてまで添おうと言うなら、お前が、魔王の復活を食い止める勇者なんだな!? お前に従うことで、アルフヘイムの平和は保たれ――我が一族の安寧は保たれるんだな! ……ゼルスィのような犠牲者は、もう出さなくて済むようになるんだろうな……!」
問い詰められて、ようやく何を求められているのか、分かったような気はした。
だけど――いや、でも。
待って。だって。
オレ、そんなの何にも考えてない。
世界なんてそんな重いもの、背負ったつもり、ない。
ただ言われるままに……アルバイトで。斎藤さんが言うからそのとおりに。雇い主の指示には従わないと。これはテストプレイで、ただのVRゲームで。だから――だから。
この世界の中で、オレが自分で決めたことなんてひとっつもなくて――!
言葉にならないままにぐるぐる回る思考に、耳元から優しい声がした。
『……ねえ、お兄。そんなに悩まなくても大丈夫だよ』
「り、莉亜……」
そう、「大丈夫」って、「これはゲームだから」と言ってくれ。
さっきの言葉は嘘だって。
データさえ戻せば、全部なかったことになるって。
『あのね、お兄は勇者なんかじゃないの』
「は?」
『勇者なのはね、あたしなの。お兄は、シトーに間違えられただけなの。ごめんね』
――オレが欲しいのは、そんな言葉じゃない。