9 腐っても魔王
ラインライアの街中では、オレやバアルの姿は目立たない。
元から、人族は黒髪黒目が一般的。オレもバアルも異世界人と魔族なんていう本来はこの世界の人族とは別の存在だけど、見た目ではそんなことバレやしない。
たまに、奴隷として使われているドワーフやエルフらしき種族と出会うと、ぎょっとされることはある。たぶん、魔力量が感じられるからだろう。
まあ、オレもバアルもいろんな意味でニセモノだから、ジーズや斎藤さんなんて本物の魔族とは程遠い。ぎょっとはされるが、それですぐに人族から遠巻きにされるようなことはない。
もともと奴隷たちがその主に本心から忠実なことはほとんどない。
そして、魔力を感じ得ない人族にとっては、オレたちなんてそこらの通行人と違いなんてないのだ。
顔を隠してすらいないが、そもそもオレたちの顔を知っているのはジーズやスィリア、莉亜なんていう一握りの人たちだけ。
そいつらが王宮を空けて街中に出てくる訳もないだろうから、まあ街を歩いている間は逃げ隠れする必要はなさそうだ。
ということで、人込みの中を、平々凡々な顔を晒したまま、オレは堂々と歩いているのだった。
大通りは王都の中心だけあって、人が多い。その上、眼帯やら全身甲冑やら、果ては仮面で顔を隠してるような訳ありげな人物もうろうろしてて、そういう人たちに紛れればオレなんかいたって普通。まったくもって、周囲の耳目を集める気配はない。
とは言え、オレ以外の二人はそこまで自由にする訳にもいかないのだ。
オレの脇にくっつくようにして、髪を黒く染めたアルセイスがぼそりと呟く。
「……何度来ても、人込みは鬱陶しいな」
平凡なオレが誰にも注目されずに歩けている一方、いつかのように髪を染めて耳を隠したアルセイスは、不用意に人の視線を浴びて苛立っている。
仕方ない。髪の色を変えたところで、顔立ちは変わらない。美人なんだから、そりゃあ目立つ。許されるならオレもじっとアルの顔だけ見てたい。
対して、反対側を歩いているバアルは、目深にフードを被っていた。
どちらかと言えば、バアル本人を知っているだろう誰かへの対策じゃない。莉亜の顔を知っている人間が市井にいたら困る。ダニエルのところに莉亜が来ていたくらいだから、割と知っている人は多いんじゃないかと思うのだ。
バアルと莉亜は、身内であるオレから見ても、妙に似ている。同じ女神が造ったからなんだってことだと思うけど。
まあ、本人を直接知ってる人は、オレも雰囲気が似てるなんて言うけど、個人的にはどこが似てるのかひざ詰めで問い詰めたい。
いや、どっちも結構な美少女だぞ。妹のことそういう風に言うのはちょっとアレなんだけど。
とにかく、その美少女の片方は、もう片方と勘違いされないためにこうしてフードを被っているのだった。
本当はアルも顔を隠したかったらしいが、さすがにちょっと怪しすぎる。口元しか見えない美女美少女を両側に従える平凡男なんて、ラインライアですら目立つだろう。
って訳で、オレに頼み込まれて、苛立ちつつも顔をさらして歩いているのだった。
「……で、そのダニエルとやらの館はまだか」
「もうちょい歩けば出るよ。そんな怒るなって」
「お前は視線に鈍いから平気なんだろうが、こうもちらちら見られると、危機察知が遅れるんだ。ただの下心であっても、これだけ大量にあれば殺気も紛れる……これだから人族は嫌なんだ」
深々とため息をついているので、よほど嫌らしい。宥めつつ歩いていると、ちょうど前方に目的の館の姿が見えてきた。
あそこから逃走するときは、斎藤さんと二人で結構あちこち壊してきちゃったんだけど、どうやら無事に(?)今も商いを営んでいるらしい。
まっとうで善良な商人をもめ事に巻き込むのは気が引けるが、あの人はまったくもってまっとうでも善良でもないので、利用するのに何のためらいも持たなくて済むのはありがたい。
オレは店先を指さして二人を振り返った。
「確かあれだよ。えっと……バアルはおぼえてるよな?」
「半覚醒状態だったから、自分の記憶としての認識は薄いが。玲也と私の記憶はほぼ共有しているから、やはりあそこで間違いないだろうな」
「……で、どうするんだ?」
アルが指先をぽきぽき鳴らしながらオレを見返してくる。
いや、もうそれ、どうするか気持ちが決まってる人のアレなんだけど。
「殴り込みじゃないんだから、ちょっと落ち着いて」
「お前をひどい目に合わせた奴なんだろう? 殴り返して何が悪い」
「いや、それを否定するつもりはないけど……別に意趣返しが目的じゃないんだから、当初の目的を果たせる手段でいこうぜ」
「つまり?」
「……横からこっそりかっさらって、ぶん殴って脅す」
「理解した」
アルセイスが、道中で手配した剣に手を置きながら答える。王宮に投げてきた剣の代わりに買ったものだ。
いやいや、まだ武器に手をかけちゃダメだろ。それは話が早すぎる。
やる気満々な前傾姿勢を、バアルが横から手を出して抑える。ありがたい。
「まずは私が【転移】で攫ってこよう」
「そうか、そうだな。人目につかない方がいいはずだ」
訂正。バアルも別に抑えてなかった。
オレたちを追い越して店の前をうろついた後、すっと路地に入り込んだバアルは、そこから店先に視線を向けて見張っている。どうやら【転移】のための足跡をつけたらしい。
待つことしばらく。
客の見送りでダニエルが店の前に出てきたところを、バアルは足もとから闇の中へ引きずり込んだ。周りの目がすべてダニエルから逸れた瞬間を見計らい、音もたてずに。
数秒後、裏路地に隠れて店先を眺めてたオレとアルセイスの傍に、ぽっかりと黒い闇が開く。
中から浮き上がってきたバアルは、気を失ったダニエルの身体を片手に抱え、オレたちに微笑みかけた。
「……さ、行こうか」
いやいやいや、あんた手際よすぎるだろ。
あんた何者なんだよ! ……あ、魔王か。なるほど。
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王都の端の方の安宿で、掴まえた男を椅子に縛り付けたまま待つ。
日が傾きだしたころ、ようやくダニエルが身じろぎして頭を上げた。
「うっ……こ、ここは?」
「気が付いたか、ダニエル」
「お前は……?」
目をしばたかせながら、正面に立つオレを見上げてくる。
記憶を辿ってさまよってた瞳が、徐々に焦点を結んでく。
「おま――あ、あの時の!? あっ、あっ、わ、今更僕に何の用だ、まさかあの時の復讐なんて……」
その目にあからさまな恐怖の色を見て、当のオレは――即座にやる気を失った。
こういうの苦手だ。オレだって今更ダニエルには恨みもないし、どうしてやりたい気持ちもない。
だって、今なら明らかにオレの方が強いんだって、こうして面と向かえば分かってしまう。
弱いものいじめじみてて、どうにも気分が悪い。
思わず目を逸らしたオレを見て、横からアルセイスがぐっと手を引いた。
「気が進まないなら、俺がやろう」
「アル――」
「――淫魔シトー!? おま、あっ、あなたさままで!? いやっ、その、あ、あれから僕は心を入れ替えてまっとうな商売をしておりまして、どうか命だけはお助けを……!」
「誰がシトーだ?」
困惑するアルの肩を、今度はバアルが叩いた。
「やはりこういう悪役めいた仕事は私の役割だろう、淫魔シトー」
「誰がシトーだ!」
言い返すアルを脇にのけ、バアルはにこりと笑った。
「安心しろ、ダニエル商会の会長殿。お前が以前にも増して裏に潜るような形で悪事を続けていることは、既に裏がとれている」
「やっ、そ、そんなことは……」
「館で働かせていた奴隷たちの内、例の騒ぎで逃げ出せなかった者たちは、どうやら地下へ移したらしいな?」
「なっ、なぜそれを!」
「なぜそれを?」
ダニエルの怯えた声と、オレの声が重なった。
バアルはオレだけに向けて、「勘だ」と小さな声で答える。もともと、何千年も人とエルフを見守ってきた魔王の記憶を持つだけに、ダニエルみたいなヤツなら何をするか予想がつくのかも。
「まあ、落ち着け。私たちは何も、お前の罪を暴きに来たのではない。単に、こちらの魔王閣下に相応の詫びをしろと求めに来ただけだ」
「おい、バアル」
「ま、魔王――やはり、お前が魔王だったのか……!」
打ち合わせてない役割を負わされて、思わず止めようとする。が、ダニエルの反応の方が早かった。
「ちょ、やはりって何なの!?」
「僕たちを欺いて勇者さまを名乗り、淫魔シトーを従える者など魔王以外にはいない! 何が目的だ!?」
「何って……」
バアルが微笑んでオレに言葉を譲る。
あとはひたすら圧力をかけろ、ということだろう。
ここまでお膳立てされてしまうと、苦手とか言ってる場合じゃない。
「お、オレの目的が何だって、あんたに関係あるか? あんたが選べるのは、オレの言うことを聞くか、それともし、し、死ぬかだ」
途中で噛んだ。ちょっと照れるけど、アルセイスが「まあ及第点」みたいな顔で見てるので、言うべきことは言えてるらしい。
バアルにぐいぐい背中を押されながら、オレは仕方なくダニエルに向き直った。