8 非友好的な心当たり
ちょうどバアルが戻ってきたとき、オレとアルセイスは抱き合ったまま転がっていた――らしい。
らしい、と伝聞調なのは、オレ自身はいつの間にか寝てたのでどういう状態だったのか知らないからだ。後からバアルが顔を赤くしつつ説明してくれたところによるとそうだった、という話。
ともかく、そんな感じで寝ころんでたオレたちを叩き起こしたのは、バアルだった。
「――こんな朝っぱらから破廉恥だぞ」
突然真上から呆れた声が降ってきて、はっと目を開けた。
乱暴に揺さぶられたところで、ようやく朝が来たことに気付いたオレは身を起こした。
「ふむ……魔族には破廉恥という語彙があるんだな」
「あるに決まってるだろう、レス――アルセイス。あなたはもう少しこう……恥じらいとかそういうものを持った方がいいのではないか」
「俺にもあるさ、睦まじい恋人たちの間に割り入るのは恥だ、くらいの概念は」
寝ぼけまなこのままそんなことを呟けるアルセイスはやっぱり大物だと思う。
オレの方はもう、恥ずかしいというかいたたまれないというか、顔を赤くしたバアルと目を合わせることもできずにいる。
が、そんな妙な照れも、ヘルガとベヒィマが勇者スィリアに囚われていることを思い出すと吹っ飛んだ。
俄然、立ち上がろうとしたオレの肩を、バアルが掴んで地べたにもう一度座らせる。
「荷馬車を返しがてら、街の出店で朝食を買ってきた。まずは腹ごしらえしよう」
「いや、だって朝飯なんて悠長に食ってる場合じゃ……」
「さっきまで寝落ちしておった癖に、今更なにを言うか。……あの二人は無事だ。この距離ゆえに微かだがベヒィマの気配が感じられる。だから、一分一秒を争う必要はない」
「無事? 気配があると言っても、生きていれば無事というものでもないだろう」
アルセイスは冷ややかに問いかける。
こういう時、オレが口に出すのを躊躇するようなことも、アルは言葉にしてしまう。多分、問わないことで起こる問題の方を良く知っているから。
アルとオレに交互に視線を向け、バアルは自嘲じみた笑いを浮かべた。
「まあ、気配で多少は状況がわかるというのもあるが……それより、ジーズは私のことをよく知っている。ベヒィマが無事である限り、彼女を取り戻すために私が戻ってくるだろうと信じているはずだ。これを、信頼と呼ぶのは愚かかもしれないが」
「つまり、あんたもヘルガとベヒィマを救いに行くつもりってことだな」
「そうだ……だからこそ、考えなしに突っ込むのは先ほどの二の舞だと言っている」
まったくもって正論だ。さっきオレもそれを考えたばかりな訳だし。
オレは頷き、それからバアルに従って腰を下ろした。
「そうだな……じゃ、飯食いながら、この後の作戦を立てようか」
「既に何か考えがあるのだな。聞こうじゃないか」
バアルは軽く頷いてから、ふと目を逸らした。どうやら、オレの腰にしがみついたままのアルセイスを視界から外すための動きらしい。
「それはそうと、私がいるときくらいは気を遣って、もう少し離れて座ってくれ。さすがの私も、目の前でレスティを寝盗られているような状況はそうそう耐えられん」
「俺はお前のレスティキ・ファとは違うと、何度言えば分かるんだ」
ぼやきつつも、アルはオレからわずかに距離をとる。
口では冷たいことを言っていても、気遣いはしてくれるようだ。
バアルは黙って片手に抱えたパンを渡してくれた。
パンにかぶりつく。揚げパンみたいなやつだけど、まだあったかくて、飲み込むと胃の辺りがほかほかしてきた。
オレの隣に腰を下ろしたバアルと、アルもそれぞれにパンを口にし始めたのを見計らって、オレは口の中のものを飲み込み、説明を始めた。
「バアルの言う通り、昨晩と同じく正面からじゃ、またあの魔術封じにやられて終わりだ。どんな術か知らないけど、今オレたちが持ってる情報じゃあれを打ち破ることはできない。ただ、ジーズはあの中でも魔術が使えてるんだ。何か突破口が……魔術封じがあっても魔術を使う方法があると思うんだ」
「そのあたりを調べてから対決せねば、先ほどの二の舞だな。……だが、搦め手から進もうにも、私たちが【転移】で向かえるのは王宮のあの場所だけだ。隙を狙って忍び込むなら、ジーズたちはあの部屋の警戒を緩めることはあるまい」
「……普通に裏から入ってみたらどうだ?」
ぽつりと呟いたのはアルセイスだった。
オレは再び頷いて、バアルに視線を向ける。
「オレも、それを言おうとしてたんだ。魔術で入れないなら、それ以外で――普通に歩いて入っていくしかない」
「いや、それはそうだが……だが、王宮だぞ。どちらかと言えば、【転移】で入ってくる相手の方が少ないのだ。王宮の出入り口には警備が配置されているはずだ」
「多分、斎藤さんもどっからか入る方法を探してるんだと思う。だからあんなところで……オレたちを助けてくれたんだ。一度内側に入り込んでしまえば、この身体がその場所を覚えれば、次はそこから挑戦できる」
斎藤さんの名前が出た途端、バアルは嫌そうに顔を顰めた。多分、オレもおんなじような顔をしてると思う。あの人、自分は全然正しくない癖に、人には正しいことを言ってくるから本当に腹が立つ。
――つまり、あの人がオレを詰るときは、正しいんだ。
力がないなら、引っ込んでろ。
その通りだ。勝てるだけの確信もなしに、動いちゃいけない。
助けに行くなら、確実を期すべきだ。
「王宮にこっそり引き入れてくれるだけの力を持つ人に、少し心当たりがある」
「心当たり?」
「ダニエル――えっと、アルは知らないな。けど、バアル、あんたは分かるだろ?」
「そう言えば、うっすらと記憶にあるな……」
もとはと言えば、あの時が覚醒の瞬間だった。
最初にラインライアに連れてこられた時、奴隷として閉じ込められ、毎日せこせこぱんつを作っていた日々。その時の、あのいけ好かない商人の名前だ。
「最後は確か――えっと、アルセイスに化けた斎藤さんにめたくそにやられてほっぽられてたんだけど、死んじゃいないと思うんだ」
「俺に化けた?」
アルが眉を顰めている。オレは慌てて片手を上げた。
「まあ、それはもうだいぶ前の話だから。ほら、あんたがジーズと一緒にラインライアにオレを迎えに来てくれた時のこと」
「……あいつら、本当にそっくりだな。どっちも本性を隠して忍び込んでた訳か」
そう言われれば、ジーズの方はトーマスなんて名乗って人族に化けてたし、斎藤さんはアルに化けてダニエルのとこに忍び込んできてたしで、やってることがよく似てる。
バアルがため息をついて、首を振った。
「ジーズは昔から、シトーの後ろをついて回ってたからな。本人が自覚しているかどうかは知らぬが、今の口調も昔のシトーそっくりだ。千年の間に少しばかりひねくれているようだが、根本的な部分ではごまかしようがないのだろう」
「根性悪いとこばっか似なくてもいいと思うんだけどな」
「シトーの良いところなど、そうそうないのだ。仕方あるまい」
ばさっと叩き切ったバアルは、最後のパンの欠片を飲み込んでから、改めて口を開いた。
「それで? ダニエル某は、確か玲也に対してけして友好的とは言い難かったと思うが。それを、どうやって使って王宮に忍び込むつもりだ」
「あの人、王族との繋がりを再三ちらつかせてたからさ、多分、王宮に出入りすることが多いんだと思う」
「それはそうかもしれないが、どんな取引を持ち掛けるのだ。あの人物に、協力を取り付けるのは難しいと思うぞ」
本人を知ってるバアルからすれば、当然の疑問だろう。
オレもよく知っている訳ではないが、ダニエルという男は権力第一志向のはずだ。ラインライアの王族や勇者と称される莉亜の意向を無視して、オレたちに与するなんてこと、よほどでなければあり得ない。
オレは肩をすくめて、笑って見せた。
「そもそもさ、あいつ莉亜と繋がりがあるんだ。一番最初にオレが莉亜と再会したのは、ダニエルの館だったんだから」
「ならば、どうやって――」
「協力なんてしてもらわなくていい。ただ、ダニエルが王宮に呼ばれた時、こっそりその一団に紛れ込めば、正門から堂々と中に入ることができるだろ?」
「こっそり?」
アルセイスがつまらなそうな顔で尋ねてくる。逃げたり隠れたりが好きじゃない人なのだ。
オレは空になった両手を払いつつ、立ち上がる。
「あー……正確に言うと、ダニエルを脅して、一団の中に匿って貰おうってことだよ」
「――そうこなくちゃな」
ほら、こうなると途端に楽しそうなんだから。
ぱっと立ち上がったアルセイスを見上げて、バアルの目が懐かしそうに細められる。
レスティキ・ファを重ねているのだと分かってはいたけれど、オレは何も言わずにただバアルの前に手を差し出した。
バアルの孤独はよく分かってる。
ここにはもう、あの時と同じままの人は誰もいない。複製と呼ばれるバアル自身を含めても。
だけど――だからこそ、オレにできるのは連れて行くことだけだ。
千年前じゃなく、今の世界を。