5 転移門の行き先
まず、魔王の力で人魚の海底まで、海魔レヴィに戦端は三週間後に開かれる、という話を伝えに行く。
それから、エルフの森まで、同じくバアルの【転移】で移動し、アルフヘイム王に状況報告。
そして最後に、妖精の草原にベヒィマの力で立ち寄り、ヘルガが王様に報告する――と、ちょくちょく休みつつではあっても、それぞれぶっ続けで【転移】を使うのはなかなかに大変な仕事だった。
オレが元の勇者の義体に入ってた時なら、ちょっと頑張れば一日で全部回れたかも知れない。ほぼ大陸を西から東に横断することになるんだけど。
それなのに、今のオレ――音瀬玲也の身体では、二つの意味でそんなことは不可能だ。
一つ、スィリアの身体に溢れるほど溜まってた魔力はあくまでスィリアのもので、今のオレにはそんな無限の使い方は出来ないってこと。
もう一つ、音瀬玲也の魂はともかく、身体の方はずっと向こうの世界の病院に転がってただけで、どこにも移動してないこと。
【転移】は、自分の行ったことのある場所へ、自分自身の経験を辿って道を繋げてくれる魔術だ。
したがって、オレの身体が行ったことのない場所には、行きようがない。
オレ達が慌てて斎藤さんを追わなかったのも、それが理由だ。
斎藤さんは、ラインライアの王都に踏み込んだ経験はあるが、王宮や莉亜の居場所には多分まだ足を踏み入れたりはしていない。
だから、例えば、突然ラインライアの王宮の中に斎藤さんが転移して、莉亜の婚約相手を暗殺する――なんてことは出来ない。はずだ。多分。
人格的には信用してないが、出来ないことはできないので、その点についてはやってないと考えていいだろう、とこれはバアルとオレ、アルセイスの間で一致した意見だ。
もちろん、あの斎藤さんのことだ。今頃はなんとか王宮に入り込もうとしているだろう。あいつは以前、アルセイスに化けてオレ(というかバアル)を助けに来たことがあったので、長期間放っておける訳ではない。早めにラインライアを目指す必要がある。
そんなこんなで、各国の王に状況を伝え進軍を依頼し終え、いざラインライアへ向かおうとしたとき、オレはマズいことに気付いた。
「――げ」
「どうした、玲也?」
「いやあの、ヤバいな……そのさ、ラインライアに行ったことあるひと、こん中にいたっけ?」
オレの問いかけに、ヘルガとアルがさっさと手を上げる。
が、彼女たちにはあんまり関係ない話なのだ。
「あの、経験について訊きたい訳じゃなくて……いや、経験が重要なんだけど」
「何を言ってるんだ、お前は」
「その、【転移】を使うにはさ、この身体が、転移先に行ったことがあるんじゃなきゃいけないじゃないか。よく考えたら、オレもバアルも、今の身体じゃラインライアには行ったことがないんだよな」
アルに向かって言い訳がましく説明していると、バアルが困ったように首を傾げた。
「ああ……確かにそうだな。人魚の海底に向かったときと同じだ。私のこの身体は、ドワーフの山で再設計されたものだから、【転移】でラインライアに跳ぶことは不可能だ」
「だよなぁ。オレも同じなんだ。ラインライアに行ったことがあるのは勇者スィリアの身体だから……」
これじゃ、斎藤さんばかりじゃなく、オレたちも【転移】で一気に莉亜のいる王宮に向かうことはできない。
そもそも前に莉亜と対峙したときは、ラインライアの王宮から、多分、鳥魔ジーズの【転移】で、王宮内にある勇者の神殿とやらに移動させられたので、正直なところ正面から入ったとしても行き方が分からないのだ。
悩んでいるオレたちの前で、おずおずと小さな手が上がる。
「あの、あたし、ラインライアの王宮にいたことがあるけど……」
「ベヒィマ! そうか、あんたはもともと莉亜の傍にいたんだもんな――」
「――けど、あたし、ラインライアの魔王さまの居場所はよく分かんないからね! 魔王さまはあんまりあたしのこと呼んでくれなくて、いつもジーズ経由で指示を貰うばっかだったから……」
どうやら、ベヒィマも、オレたちを莉亜のところへ直通で連れてくことはできないらしい。
しばし無言で聞いていたアルセイスが、すっと手を上げた。
「だがそういう話をすると、そもそもお前がこちらの世界に戻ってきたのは、あれはどういう原理なんだ。あれも【転移】だろう?」
「あ、あれはさ……」
「ああ、それは私から説明した方がいいだろう。あれはこちらに私がいたのが良かったのだ」
どうにもうまく言葉にできないオレの代わりに、バアルがアルに優しく声をかけた。
「私と玲也は、長い間一つの身体を分け合っていたからな。互いが互いの半身のようなもの。経験を辿る代わりに、半身がいる場所へと【転移】が道を繋げたのだ」
「……俺以外の相手がレイヤの半身を名乗るのは少しばかり引っかかるものがあるが、まあ、状況は理解した。だが、それならばレイヤと身体を一つにしていた勇者スィリアも、半身と呼べるんじゃないか?」
「そもそもずっと眠っていた彼が、私と玲也の関係ほど強い絆を結んでいるとは思えないのだが……いや、それ以外にも、半身がいるだけでは駄目だということだよ、レス――アルセイス。私が玲也を呼び、そして玲也もこちらへ戻りたいと願っていたからこそ、手繰り寄せられたのだ。スィリアは間違いなく玲也のことも私のことも呼ぼうとはしていない」
アルが確かめるようにオレを見たから、オレは慌てて頷き返した。
バアルの言うことは間違ってない。向こうの世界にいたとき、バアルがオレを呼んでくれたようなあの感覚を、今はまったく感じない。
まあ、あの機械勇者からすると、オレを呼ぶ理由なんか全くないのだから、当然のことだろうけど。
「そうなると、やはりベヒィマに頼るしかないか」
「いいけど……あの、期待しないでね? あたしが皆を連れてけるのは王宮の端っこの、あたしの部屋だけだから」
「それだと、何の警戒もせずに王宮に出るのは危ないからさ、街の方に出るのはどうだ?」
「無理無理! あたしの移動は全部ジーズに任せてたから、あたし……その、あんまり【転移】うまくないのよ。魔王さまみたいに近距離を移動できるような精度はないし、魔力もシトーやジーズに比べたらそこまである訳じゃないし」
ベヒィマがしょんぼりし始めたのを見て、ヘルガがオレを責めるような目で睨み付けた。
「ご、ごめん、ベヒィマ! 【転移】で移動できるだけ儲けものだってのに、余計なこと言って……」
「ううん、余計なんかじゃないわ。ただ、自分がどんだけジーズにいいように引っ張り回されてたのか、今更ながらに反省してるだけ」
どんどん落ち込むベヒィマの頭を、バアルがぽんと優しく叩く。
「つまり、他に選択肢などないのだ。であれば、悩むこともなくラインライアの王宮へ跳べばいいということだな」
「そうね。そこから勇者の神殿っていうのを探せばいいんだから」
バアルとヘルガに口々に勇気づけられ、ベヒィマが徐々にやる気を取り戻してきた。
その間に、オレとアルは顔を見合わせ、小声で簡単に打ち合わせる。
「……アルはどう思う?」
「あの男――ジーズがそのように仕向けたということなら、間違いなくこれから跳ぶ場所は警戒されているだろうな。勢いでそのまま強行突破するか、一旦街まで引くか……」
「強行突破っても、事情も何にも知らないラインライアの兵士をめちゃくちゃ巻き込んで、どことも知れない勇者の神殿目指すって無理筋過ぎるだろ。一度中に入り込めば、今度はオレやバアルも【転移】で跳べるようになるわけだし、そうすれば戦術は広がる」
「そうだな、やはり一度引いた方が賢いか」
ベヒィマを慰めているバアルやヘルガはこの会話には参加していないが、想像はしているはずだ。
そもそもジーズが、ベヒィマに王宮の一画しかいさせなかったのは、こういう可能性を想定してのことだとしか思えない。
【転移】で跳んだ瞬間に、誰かが待伏せしているはずだ。
ベヒィマがようやく気を取り直して顔を上げたときには、オレもアルも口を閉じていた。
「……じゃ、じゃあ、王宮の中に出ていいわね?」
「いいよ、頼んだ」
オレが頷くと、ベヒィマは少し笑って、それからオレとバアルの手を取って目を閉じた。
「【虚空の門の守り手よ 鍵持つ獣の名を問い ここに扉を開け 転移】」
ベヒィマの転移門が頭上の空に黒い穴を開く。
ゆっくりと降りて来たその暗闇に視界を閉ざされ、オレ達の意識は深い闇の中に沈んだ。
耳の裏で、とぷん、と【世界の裏側】が揺れる音がする。
滞在時間は一瞬、すぐに浮上してきた感覚は、瞼を刺激する明るさと、激しい敵意を察知する。
「――レイヤ!」
「おう!」
アルに名前を呼ばれるより先に、手を手繰ってベヒィマの身体を抱え、横に跳んだ。
さっきまでオレのいた足元を、鋭い氷の槍が貫く。
ひとまず状況を把握しようと辺りを見回すと、思ってたより狭い部屋の中にいた。殺風景で、ベッドと机くらいしかない部屋だ。
王宮の中に出たはずなのに――と腕の中のベヒィマに目で問いかける。
ベヒィマははっきりと頷きかえした。やはり、ここは目的地で間違いないらしい。
妙に質素なのは、ベヒィマの部屋だからだろう。平兵士と同じような扱いを受けてた――いや、ほとんど閉じ込められてたようなもんだから、なお悪いか。
怒りを込めて、氷の槍が飛んできた方に視線を向ける。
部屋の入り口を塞ぐようにぷかりと浮かび、面白そうにオレ達を見下ろしてたのは、想像してた通りの鳥魔ジーズだった。
「……あんたら、決死隊か? こうなることは分かってるだろうに、馬鹿だなぁ」
「あんただってそうだろ。あんた一人で、オレたち全員を相手するつもりかよ。こないだだって、ベヒィマと斎藤さんに追い返された癖に」
オレの言葉にバアルが頷いて、すぐに魔術を放てるよう、ジーズの方へ手のひらを向けた。
狙われているというのに、当のジーズは気にした様子がない。無言でちょいと足を上げるだけだ。
それを合図にしたように、空中に組まれた足をのれんのように潜って、部屋の入り口から入ってきた男がいた。
どことなくオレやバアルに似た顔立ちの、見慣れたその姿は――勇者スィリア。女神の造った義体だった。
その手に、白く輝く剣があるのを見て取ると、バアルが微かに眉を寄せる。
「……聖剣アドロイガル。よくぞ持ち出せたな」
「そりゃあね、魔王退治には必要だろう? リアが使いたいと言えば、いつだって使えるさ。だって、この剣は彼女の持ち物――だと、思われてるんだから」
皮肉な笑みは、もしかしたら自分に向けられているのかも知れない。
正真正銘、本物の勇者のはずなのに、魔王に従わねばならない自らの境遇に対して。