4 開戦は三週間後
ラインライアには、復活した魔王と勇者がいる。
彼女らの目的は、女神の意向に従って世界を壊し造り直すこと。
そして――ラインライアは国家ぐるみで彼女らの力を利用するため、王家と魔王の婚姻関係を結ぼうとしている。
人魚の海底で海魔レヴィから引き出した話と、エルフの森で聞いた話を合わせると、今現在ラインライア国内で起こっているのはそんな状況だ。
そして多分、ラインライア王国はまさか世界の危機だなんて思いもせず、ただ単純に戦力としての魔王を求めているんだろうということも。
すべて説明し終えたところで、メイノは深いため息をついた。
「……ふむ、つまり、まずはラインライアと戦い魔王を止めねば、我らは誰一人としてこの世界に残れぬということじゃな」
「ああ、オレたちには先がない。だから、あんたたちにも力を貸してほしい」
オレの言いたいことなんて既に分かっているのだろう。
メイノは即座に話を切り替えた。
「ぬしの理屈は通っておる。じゃがな、その言葉が真実であるかどうかには大いに疑問が残るところじゃ」
「信じられないってことか?」
「まあのう。二つのうちの一つ、ラインライアに勇者がおるという話については、後でエルフの森に確認すれば良かろう。直接は国交がないが、我が妻ヘルガの母国である妖精の川辺とは懇意にしておる国だ」
「妻じゃないでしょ」
「だがしかし、わしらとてさすがに人魚の海底のマーメイドの言葉を信じる気にはなれぬぞ。その上、その国の王が海魔レヴィなどという魔族であるなら、ますますのことじゃ。わかるじゃろ?」
メイノ王はやっぱり抜け目ない。
ヘルガの反論はさくっと無視して、オレをじろりと睨み付けてくる。
さてどう説得するかと迷っていたところに、思わぬところから援軍がきた。
「にわかに信じがたいのは確かだが……いや、我らも同じ危険を想定していた。その男の話は、おそらく真実であろう」
「なんと、エルネスティ王よ。おぬしもなにか独自の情報を掴んでおるのか?」
火竜の砂漠の王は眉をひそめたまま、メイノに答える。
「これは言わずにおこうと思っていたが……実は、末姫ユスティーナと共に火竜の砂漠から持ち出されたものがもう一つある」
「なんじゃ?」
「我らの持つ聖武具――聖兜ゴルゴニクスだ」
「なんだって!?」
「えっ、それってつまり……姫君ごとラインライアに取られたってことか!?」
エルネスティが重々しく頷く。
どうやら、誰も警戒していないうちに、ラインライアは既に聖剣と聖兜をそろえてきたらしい。
こうして考えると、海魔レヴィを味方につけられたのはぎりぎりセーフだった。
もしも海魔レヴィが女神に従っていたままなら、聖槍、聖銛も加え、四つの聖武具がラインライア側にあることになる。
しかも、天使の虚空でのことを思えば、エンジェルたちは変わらず女神の忠実な機械なのだろう。今回の布陣では間違いなくラインライア側になる。つまり、彼らの聖武具、聖鎧クロノソリティルもすぐに持ち出せる状態になっているはずだ。
チェックメイト一手前で、無意識に打った最善手が予想以上の効果を発揮した感。
エルネスティは渋い表情のまま、アルセイスに視線を送る。
「もとより、我らの国には言い伝えがあるのだ。七つの聖武具揃うとき、女神が降臨する、との内容だが」
「それは……我らの祖レスティキ・ファの書き残した書物と一致するな」
「ああ、そうだ。国交のない二つの国に、それぞれ言い伝えられておることになる。となれば、信ずるに値する――いや、言い切ることはできぬとも、古に何らかの根拠ある伝説と判断はできる」
「なんじゃ。エルネスティ王がユスティーナ嬢を心配しておったのは、彼女自身だけでなく聖兜の行方も分からなくなっておったからか……」
メイノがしばし悩んだ末に、悩ましげに首を振って見せた。
「ということはのう……ぬしらの話を聞いてしまうと、どうやらわしも恥を晒さねばならぬようだな」
「どういうことだ?」
「おぬしと同じじゃよ、エルネスティ。わしらの持つ聖武具、聖斧グランティタンもまた、行方知れずなのだ」
「なんと!」
「わ、わー……ナントイウコトダ……」
なんとなく棒読みっぽくなってしまうのは、聖斧グランティタンの在処がある程度わかっているからなのだが、まさかそんなことをこの場で言う訳にはいかない。
沈鬱な様子のメイノと、激しく焦るエルネスティを見て、オレは頭を抱えそうになった。
何せ、聖斧が行方不明なのは、オレの――じゃない、斎藤さんのせいなのだ。
「おそらく、ラインライアには今、聖武具が四つまで揃っておるということになる。これは対策を急がねばなるまいぞ」
メイノがどん、と卓を叩いた。
その誤解を解くべきかどうか迷ったが、聖斧を持ち出した斎藤さん自身が今、ラインライアにいる訳だから、むしろメイノの言葉は誤解じゃないかもしれない。
ちらりと横を見ると、バアルが何かを言うべく口を開こうとするところだった。
慌ててその肩を叩いて、注意をこちらに向け、激しく首を振ってジェスチャーで伝えた。
ここで口にすれば、間違いなくオレかバアルが責任を問われる。斎藤さんはオレの味方でもバアルの味方でもないのに、だ。
結果として、聖斧グランティタンをラインライアから取り戻さなきゃいけないっていう事実は変わらないのだ。今は余計なことを言わない方がいい。
それに……オレとしては、もう一つ他に意識を向けてほしいことがある。
「えっと……ちょっと相談なんだけど」
「なんじゃ?」
「開戦を急がなきゃって話だけどさ、先にラインライアに使者を出したらどうだろう」
「使者? 宣戦布告のか?」
「いや、和平交渉の」
「和平!? なんじゃそれは」
戦いになるかも知れない。当然だろう。世界が壊されるのも、一種族だけがのさばるのも、メイノやエルネスティにとっては許せない話だ。女神の思惑はこの世界の住人にとってどうしても止めなくちゃいけないことだろう。
だけど、現代で平和を甘受してきたオレは……莉亜と兄妹だったオレには、話せば分かるんじゃないかって思いがある。
もとからオレは莉亜を説得するために――いや、莉亜に話を聞いて貰うためだけに、あいつと敵対してると言ってもいい。
当然のごとく、メイノは非常に嫌な顔をした。
「殺されるに決まっておる使者を出す必要などあるかの?」
「殺されるかどうかは知らないけど、国民の命が惜しいなら……ってか、惜しくなくても使者役はオレがやるよ。そんで、うまいこと魔王を丸め込めたら、後が楽になるだろ?」
「いや、確かにわしはぬしの命は惜しくないがの……」
「俺は惜しい。レイヤが行くなら俺も行く。特に、危地に踏み込むと分かってるなら、余計に、だ」
隣のアルが、ぎゅっとオレの腕を握ってくる。
ありがたい話だが、そうなるとメイノが頷きにくくなってくる。そう思った途端、反対側の隣からも声が上がった。
「まあ、私も当然ついて行こう」
「魔王さまが行くならあたしも行くわ」
「もちろん、私も行くけどね」
バアルにベヒィマにヘルガ。
特に、ヘルガが手を上げたところで、メイノが激しく首を振る。
「いかんいかんいかん! 絶対にだめじゃ! そんな危険で無意味なことヘルガにさせられん!」
「あの、ヘルガ……」
「今度こそ置いて行かせたりしないから。しかも、アルセイスが行くのに、私だけダメなんて意味が分からない」
強いまなざしでそう言われると、言い出しっぺに話を振るしかない。
「えっと、アル……?」
「俺は一度お前に譲った。人魚の海底行きは、お前の願い通りバアルを優先しただろう。無条件で二度、俺に譲らせようと言うなら、お前は交渉というものをはき違えているとしか言いようがないな」
「えっと……」
今度こそ、本気で頭を抱える。
確かにみんなが来てくれるのはめちゃくちゃ心強いけど、各国の主要人物が戦争直前の自国をおいて出奔するなんて許される訳がない。
オレ一人なら――いや、最低限バアルは一緒にいてくれるだろうから、二人なら――身軽だと思ってたのに。
隣のバアルが、思わずという顔で失笑したのを、恨めしく見上げる。
「――と、いうことじゃ。使者などいらぬ。ぬしが死のうが出ていこうがどうでも良いが、周りを巻き込むでない、愚か者め!」
メイノが癇癪まじりに叫んだところで話は流れ、結局、開戦は三週間後ということでおのおの領土に戻って準備することになった。
同時刻にラインライアに自軍を到達させるためには、ラインライアから最も遠い人魚の海底からの距離に合わせる必要があるからだ。
それぞれがその情報を自国に持って帰ることが決まったところで、突発的に発生した軍議はお開きになった。
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「……お前なら、そういうことをすると思ってた」
会談の日の真夜中、荷物をまとめてこっそり部屋を出ようとしたところ、扉を開けた正面にアルの呆れた顔があった。
まさかそこに人が立ってるとは思わなかったから、驚きのあまり心臓が止まりそうになった。
何とか悲鳴を噛み殺し、ばくばくする心臓を押さえて文句を言おうとアルセイスを睨み付ける――と、ずかずかと部屋に入ってきたアルに、なすすべもなく扉から押し返された。
「な、なにするんだよ」
「何するんだはこっちの台詞だ」
襟首を掴まれ、壁際に追い詰められる。
密着した身体が、心臓を別の理由でばくばくさせ始めたけど、本人はオレの気持ちに気付きもせず、至近距離から黙って見上げている。
「は、放してくれ。あんたを巻き込む訳には、いかないだろ」
「ほう、なぜ? ヘルガがついてきたがるからか?」
「それもあるけど……」
できればあんたは安全な場所にいてほしい、と答えようとして、全然論理的じゃないことに自分で気付いた。
「……ただ、あんたが傷つくのが怖いだけなんだ」
「一度お前を失った俺が、傷つかなかったと思っているのか」
甘えた言葉をまっすぐ切られて、オレははっとしてその青い瞳を見詰めた。
あのとき、離れ離れになったとき、アルだっておんなじこと考えただろう。
だけど、アルはオレを止めようとはしていない。今、このときですら。
ただ、ついて行くと言ってくれてるだけだ。
オレが言葉に詰まったのを見て、アルセイスの赤い唇が三日月形に引き絞られた。
「理解したか? なら、まずはエルフの森に寄ってくれ。父王に、三週間後にラインライアで会おうとお伝えせねばならないからな」
「うん……ありがとう」
息も絶え絶えに頷いたところで、ようやくオレはひどく密着感のある壁ドンから解放されたのだった。
――ちなみにこの後、バアルやベヒィマと待ち合わせをしていた王城の庭には、同じくオレを待伏せしてたヘルガが先回りしていた。
ヘルガからも同じように妖精の川辺に寄ることを要求されたのだが、さすがに壁ドンまではされなかったので、やっぱアルセイスは何と言うか……ちょっと積極的過ぎると思う。
いつかオレの方が上手に出て見返してやりたいんだけど、まあ……あの、オレが逆に壁ドンしたところで、嬉々として押し倒される未来しか見えないんだ、これが……。