17 レイティング高めの設定
「斎藤さん!」
「ああ、音瀬さん。いやあ、本当にありがとうございます。色々ご協力頂きまして」
「いや、そんなのは別に……それより、今の【下着解放】って……?」
「失われた下着の力を解放する呪文ですよ、決まってるじゃないですか」
「下着の力を解放? ……え、どういうこと? オレ、まだクエスト全クリアしてないですよ? どうやってこっちに……」
近寄りながら矢継ぎ早に尋ねる。
だけど、斎藤さんはそんな質問の一切をスルーして、笑顔を向けてきた。
「――おかげさまで私もこちらに戻って来れました。ありがとうございます」
――ふと、足を止める。
戻ってって……何か、その言い方おかしくないか?
疑問は、ばたばたという足音で途切れた。
向こうから近付いてくるのは1人のエルフ。振り回す右手の中には、長い得物があった。
「アル! 待たせた――リガルレイアだ! 王の援軍もそこまで来てるぞ!」
単騎、リガルレイアを取りに戻ったゼルスィだ。声を聞いた途端アルの表情がぱっと明るくなる。向かってくる男の方へ、自分もまた近付いた。
「ゼルスィ、早かったな!」
「――アル、無事だったか!」
駆け寄ったアルに向けて、エルフの男は握っていた武器を手渡した。
銀色に鋭く光る穂先、柄に刻み込まれた精緻な紋様。かつて勇者が――旧版ランジェリの勇者が用いた伝説の武器、聖槍リガルレイア。
握った柄を振って、アルがこちらへと振り向いた。その均整の取れた姿に一瞬見惚れてしまう。
オレの視線を完全に無視して、ヤバげなぱんつをチラチラさせながら、聖槍リガルレイアを握ったアルは再びオレの傍へ駆け戻る。
その槍の狙う先は――樹上からこちらを見下ろして、固まっているクラーケン。
「……何故、あなたがここに?」
クラーケンの、どこにあるか分からない口から茫然とした声が漏れる。
真下から迫るリガルレイアの穂先には気付いていない。
瞼のない黒い瞳が見据えるのは、森に似合わぬスーツ姿で佇む斎藤さん。
「――あなた、は――千年前の争いの結果、異界に封じられたという淫魔シトーさまでは――」
淫魔シトー? その名前、確かに覚えがある。
旧版ランジェリで、もう良いと言うのに倒しても倒してもまた現れて、イヤと言うほど聞いた覚えが――
「淫魔シトーだと!? やはりそうか――魔王の手先どもめ、消え失せろ!」
アルの上げた声で、クラーケンが、近付いていた聖槍リガルレイアにようやく目を留めた。黒い瞳を見開いて、回避しようと身体をくねらせたが――もう遅い。
「――二度と陸に上がろうなど考えるな、深海の魔獣め!」
「小娘がああああっ!」
イカ焼きよろしく下から一直線に貫かれたクラーケンは、断末魔の叫びを上げた。しかし、イカだからなのか急所を外れているのか絶命せず、渦を巻くように触手を動かして、アルの身体へ這い寄ろうとする。
「ぐおおおお! おのれえええっ!」
「くそっ……しぶとい」
「――アル!」
助けに行こうと声を上げた途端、耳元でピピッと電子音が鳴った。
「……!?」
『――兄――お兄っ! だいじょぶ!?』
「――莉亜かっ!?」
反応したオレの声を聞いて、息をついた音が吹き込まれる。
『ああ……良かったぁ、生きてた……』
「生きてるよ、勝手に殺すな! それよりそっちで何があったんだ。斎藤さんは――」
『ごめんごめん。いやあ、まさか囮だって気づかずにお兄をそっちに送るとは……あっ心配しなくても大丈夫だよ、シトーにはあたしの声は聞こえてないから。前から早とちりで早回しで、隙を突きやすいんだよね、あの人。今回ももうちょい手順踏んで片付けるだろうって思ってたのに。つまりね、シトーの目的は――』
「――話が長いんだよ! 今それどころじゃない!」
莉亜の一方的な会話を聞いてる間に、目の前ではアルが巨大イカに絡みつかれる美味し――いや、大変な状況になりかけている。
アルに貫かれていたクラーケンが、柄を導線にして己の身体に槍を食い込ませながら、真っ直ぐに滑り落ちてきたのだ。槍を置いて逃げる選択肢のないアルは、そのまま降ってきた巨体に押し潰されるように膝を突いている。
「ぐはははは……せめて地獄への道連れにしてやるわ、エルフの小娘め……」
「ぐぅっ……」
無闇に動き回る10本の触手は、持ち主のコントロールさえ残っているのかどうか。巻きつかれたアルの身体が聖槍リガルレイアごと締め上げられている。それでも柄から手を離さないのは、さすがと言うか。槍を引き抜こうと藻掻いても、急所をやられたはずのクラーケンのゾンビじみた執念はそれを許さない。
「アルセイス! 大丈夫か!?」
アルより遅れて駆け寄ってきたゼルスィが、腰に佩いていた剣を引き抜き、クラーケンに飛びかかる。
「――来るな! 俺1人で充分――」
「その状態で強がっても仕方ないだろ!」
アルの身体に張り付いた触手を切り飛ばす。一寸のミスもない見事な太刀筋だ。腕を引かれたアルセイスは、無事クラーケンの触手から解き放たれ、リガルレイアを握ったままたたらを踏んだ。
「……すまん、助かった」
「気を付けろ、アイツ、まだ死んでないぞ!」
「おのれええええ!」
うねり狂う触手を避け、あるいは切り飛ばし、2人はクラーケンから距離を取る。
その華麗な舞踏のようなやり取りの見事さ。莉亜が耳元で口笛を吹いた。
『ひゃー、中々やるじゃない』
「エルフにも結構な使い手がいるものですねぇ」
斎藤さんの拍手が響く。
途端に、怒りの篭った二対の瞳がそちらを睨み付けた。ゼルスィが剣を向ける。
「貴様――淫魔シトーだというのは本当か!」
「はいはい、そう呼ばれていた頃もありました。今は斎藤と名乗っていますが。まあ、どうお呼び頂いても答えは同じ。魔王の一の配下、悪夢の支配者、世界を乱す夢魔と言えばこの私です」
「貴様の思い通りにはさせん!」
声を上げたゼルスィが、剣を構えて切りかかった。
その踏み込みは鋭くて、オレなんかはほとんど目で追うのが精一杯だったけれど――斎藤さんには何ということもなかったらしい。
避けるどころか逆に自分も一歩前に出ると、右手を突き出して詠唱した。
「――セット、全詠唱破棄【極限破壊】」
その腕に刃が触れた瞬間、剣を振り上げていたゼルスィの首元でぽん、と小さな爆音が響く。
次の瞬間、斎藤さんを睨み付けていた頭が――消えた。
「――ゼルスィ!?」
アルの悲鳴の向こう、首から上を失ったゼルスィの身体が、スローモーションじみた動きで地面に膝を突く。
その首の切断面から赤い血がじわじわと滲みだした。周囲に鉄臭い匂いを振りまきながら。
焼け焦げた肉の視覚効果で、胸元から込み上げてくる吐き気。
「安心してください。即死ですから苦しまなかったと思いますよ」
切れ目の出来てしまったスーツの袖を撫でながら、駆け寄るアルに向けて、斎藤さんがまさに悪魔のようなことを言っている。
手出し出来ないまま黙って眺めていたオレにも、非道な行いと思えた。
あまりにもリアルで、でもあまりにも呆気ない。
これはゲーム……ただのゲームだよな?
いくらリアルなのが売りだって言っても、こんなの……。
「……斎藤さん。やり過ぎじゃないですか? このゲーム、レイティングそんな高めで売り出すつもりですか……?」
『レイティング? ちょっとお兄、何バカなこと言ってんの?』
斎藤さんの足元で、首のない死体をアルが抱きしめている。
莉亜の声が聞こえたけど返事をする暇はない。オレの言葉を聞いても、斎藤さんはため息をついただけで動きを止めなかった。その手がアルの方へと伸びる。オレは慌てて駆け出した。
ゲームだ、これはゲームだ。
莉亜が何を言ってても、ゲームだ。
ゲームだけど、でも。
「待って待って、斎藤さん! 何する気だ!」
「そんなに慌ててどうしました、音瀬さん? この世界は所詮ゲームなんでしょう? 私とあなた以外、ここにいるのはどれもNPC……なのでは?」
「いや、ゲームだって分かってるけど……ゲームだけど……ほら、レスティの末裔なんて重要ポジションなんだから、NPCだったとしてもアルは重要キャラですよね? それをそうぽんぽん消すのはさすがにどうかなぁ」
走り出してはみたものの、何故か足に力が入らない。
結局は歩いて近寄ることになった。いわゆる膝が笑ってる状態。VRがリアル過ぎて、怖気づいてるのかな、オレ。所詮ゲームだと言うのに情けない。
変な動きで近付いてくるオレを、斎藤さんは黙って見ていた。それ以上アルに何かしようとする気配がないのはありがたいけど、こう……手を貸すぐらいしてくれても良いんじゃないかな。
何とか歩み寄って、アルの肩に手を置いた。
弾かれたように顔を上げた白い頬は、涙でぐしゃぐしゃになっている。
その表情に、胸が痛む。
ゲームなのに。
所詮ゲーム……だよな? そうだろう?
なあ?
……なあ、誰か何か言ってくれよ。
ゲームだから、死んでも大丈夫だって。
データを少し弄っただけだって言ってくれよ!
アルは抱えていた死体をゆっくりと地面に横たえ、立ち上がるとリガルレイアを握り直した。
斎藤さんは、その姿をちらりと見てから、オレの方へと顔を向け直す。
「まあちょっと落ち着いてお話しましょうか。ずっと騙していてあげたかったですけど、余計な邪魔が入ってこちらも手違いがありましたから。こうなったからには、きちんと説明しなければいけないと思います」
『……勝手なこと言うわね。自分で送り込んどいて』
「貴様の相手はこいつじゃない――俺だ!」
宣戦布告とともに突き込まれるリガルレイアの穂先を、斎藤さんは一歩下がって避けた。
さっきのゼルスィみたいに一撃で消そうとはしないのは、やっぱり大事なキャラだから……だからか? 安心してて良いのだろうか……?
紙一重で刃をかわした後、斎藤さんがこちらに指先を向けた。一瞬どきりとしたが、指されているのはオレじゃなく――オレの背後に迫っていたうねる触手の塊だった。
「あなたの命とこっちのコレは、この場で消す訳にはいかないんです。申し訳ないですが、邪魔者同士でやりあってて貰いましょう! ――セット、全詠唱破棄【極限移動】」
「シトー様、何を――!?」
言いかけたクラーケンの身体が、地面の上を勢いよく滑り始めた。オレの横を通り過ぎ、斎藤さんの方へと引き寄せられていく。進路に立つのは、目を見開いたアルセイス。
「――くそっ!?」
「小娘かあああっ!」
本人達は全くそのつもりがないのに、正面衝突した勢いで一塊になりながら地面を転がっていった。再び絡まれて抜け出ようともがくアルと、もうこうなったらこいつで良いと締め付けるクラーケン。
オレはそんな状況をおろおろ眺めながら、楽しそうに笑う斎藤さんを見る。
消せない、って言葉、本当に安心してて良いのか。
アルもオレも命を保障されてると考えて、大丈夫なんだろうか?
オレの命――さっきまで、ゲームオーバーもやむを得ないと思ってたけれど……本当に? 本当にその選択で大丈夫なのか?
『ごめんね』と、珍しく申し訳なさそうに、莉亜が呟いた声が耳に残った。