1 要監視
レヴィと和解したオレ達は、玉手箱の代わりに聖槍リガルレイアを持たされ、人魚の海底を出た。
まっすぐドワーフの山に戻っても良かったのだが、バアルとオレで意見が一致したため、帰る前に一か所寄り道をすることにしたのだ。
どこかと言えば――エルフの森の王宮図書館。
このラン・ジェ・リの世界最大の図書館であり、世界的に言えばストレージである、アルフヘイムの誇る偉大なる知の宝庫だ。
立ち並ぶ書棚には、重たい羊皮紙がずらりと並んでいる。
近くまで【転移】で移動した後、見張りの目をかいくぐってこっそり入ったので、中には誰もおらず静けさだけが場に満ちている。
神殿めいた清廉な雰囲気と、革と埃と黴の甘やかな匂い。
正直、検索の便利さは人魚の海底の電子書籍の方が格段に上だ。とは言え、今回はその知識は本当にここから来たものかどうかを調べるという目的もあった。
バアルと斎藤さんがそれぞれ目当ての本を探しているうちに、オレは、図書館の奥へと進む。
以前、アルセイスに見せて貰った書物――レスティキ・ファの遺した書を目的に。
ニライカナイからこの図書館にアクセスしていたとき、一つだけ不思議なことがあった。
どの書物も瞬時に呼び出せるはずの電子書籍なのに、なぜか一冊だけ呼び出せない書があったのだ。
レスティキ・ファの遺した文書。あれだけが、なぜかニライカナイからは読むことができない。
「……えっと、この辺に」
図書館の奥、ガラスケースの中に陳列されているボロボロの羊皮紙。
本当は、誰かの許可が必要なのだけど――そもそも、忍び込んでいるオレ達に許可を得る伝手などある訳がない。アル経由でお願いすれば、王様辺りが許可してくれるかもしれないけど、そのためには手間と時間がひどくかかるだろう。
開け方は、以前、アルが目の前で見せてくれたから知っている。
ごめんなさい、と心の中で謝ってから、ゆっくりとガラスケースをひねりながら持ち上げる。
レスティキ・ファの書は、前に見たときと同じ流麗な字体だった。とは言え、アルが言うには古語なのだそうで、何を書いてあるかはよく分からない。
ただぼんやりと眺めていると、背後にそっと誰かが立ち止まった気配がした。
「あー、これはあの女の手跡ですね。まったく、こんなものまで残して……魔王さまに見付かる前に燃やしてしまおうか」
「……斎藤さん」
振り向くと、本気で忌々しげな顔をしてる斎藤さんが立っていた。
割と真面目に燃やそうとしてるらしいので、さりげなくその身体を押しとどめることにする。
「えっと、斎藤さんは当然、この書き付け読めるんだよな?」
「当然じゃないですか。えっと……こっからこの辺は、得意料理のレシピの解説ですね。あー、そうそう。これ魔王さまが好きだったんですよね、あざといな」
そう言えば、アルも当時の風俗なんかの雑記が混じってるみたいなこと言ってたっけ。そんで、後半の方に子孫あての遺言があるって。
ぺらぺらとページをめくり、後ろの方へと流していく。
ふと、斎藤さんが手を出してページを止めた。
「え、なんか気になるとこあった?」
「ああ、この辺り……不思議に思っていましたが、なるほど」
「いや、一人で納得してないで教えてくれよ」
「レスティキ・ファの記憶ですよ。このページには、失われた記憶を取り戻す方法が書かれています。かつて、魔王さまがレスティキ・ファに施した――」
はっとした表情で、斎藤さんが顔を上げ、周囲を見回す。
「今の記録から言うと、こちらにあるようですが……」
「え、『失われた記憶を取り戻す』ってヤツのことか? ――って、ちょっと! 返事くらいしろよ」
オレの問いかけを無視して、斎藤さんはふらふらと歩き出した。
慌てて書物とガラスケースを元に戻し、彼の後を追う。
しばらく壁をぺちぺちと叩いていた斎藤さんは、どうやら見事に目的のものを見付けたらしい。壁の隙間に手を突っ込み、何やら操作をすると、がたん、と音がして壁が動いた。
人一人が通れる程度の縦穴が、壁の真ん中に空いている。
「――なるほど」
「えっ、なるほどって……隠し扉か?」
「この奥に、魂の流転の間に失われた記憶が蓄積されている場所があるそうですよ。まったく、あの女――よくそんな大事な情報を、あんな雑な書物に書き残す気になったもんだ」
ぶつぶつ文句を言いながら、縦穴に入り込んでいく斎藤さんの背中を追う。
狭いのは辛いが、奥から差し込んでくる光で、通路の内側はかろうじて足元が見えている。
緩やかな坂になっていて、やや下向きに降りているように体感する。
前を行くのが信用できない男であるのは間違いないが、狭さから言って、前後に並んで入る以外の手段がない。諦めるしかない。
「なあ、斎藤さん。千年前の魔王の記憶によると、レスティキ・ファは最後の方、勇者スィリアに操られてたよな?」
「そうですよ、あの裏切り者は、心も体もぽっと出の男に奪われやがってましたね」
「じゃあさ、さっき残されてた書物は、操られたまま書いたものなのかな……?」
もしもそうだとしたら、この道は、女神の罠なのかもしれない。
オレの言外の問いかけに、斎藤さんは肩を竦めて答えた。
「あの文体、間違いなくまともな方の本人ですよ。それに――あなた、ニライカナイで『レスティの書いた文書が見れない』なんて嘆いてませんでしたっけ?」
「き、聞いてたのか」
「部屋数あっても、同じ室内ですからね。真面目な話、ニライカナイから読めなかったということは、女神の世界に組み込まれていないという可能性があります」
「女神の知覚網に繋がってない書物――つまり、レスティの書は、女神のあずかり知らぬ存在ってワケか」
「察しがいいじゃないですか、そういうことです。そう考えると、操られていない、まともな方のレスティが子孫に――あるいはいつか還ってくるはずの魔王さまやその協力者に向けて書いた、と思う方が自然ではないですか?」
ドヤ顔の斎藤さんが、こちらを振り向いた。
その表情で理解した――どうやら、目的地に出たらしい。
壁に張り付くように寄った斎藤さんを追い越して、オレが前に出る。
足元から広がっていたのは、どこまでも広がるだだっ広い空間と、立ち並ぶ機械の群れだった。
全貌が見えないのではっきりとは分からないが、少なくとも王宮図書館そのものよりも広いだろう。一つ一つは幅も高さもオレより一回り大きいくらいだが、無数の機械から青白い光が放たれている。
その光が集まって、ここまでの通路も照らしているのだと理解した。
足を踏み出そうとした途端、背後から斎藤さんにシャツを引かれる。
「おっと、それ以上中に入らないでくださいね。レスティの書物がここを指していることは女神に知られていないでしょうが、この場所自体は女神のテリトリーです」
「こ、ここは……」
「レスティキ・ファの女狐が書いていた通りの場所――これまでにこの世界の魂が回収した情報の蓄積所ですよ。魂のデータセンタとでも呼びますか」
「じゃあ、ここには……この世界に今まで生きたすべての生き物の記憶がしまわれているってことか」
ここに、世界中の情報が蓄積されている。
ならば、オレ達が見た過去の記憶もここに集まっている、ということになる。
と、いうことは、つまり――
「――つまり、オレ達が潜ってる【世界の裏側】は、この……機械の中、なのか?」
「そうでしょうね、多分。魔王さまの魔術をこの身に受けて感じるのは――自らを情報化して、一旦【裏側】に入り込み、そこから改めて再構築した身体を指定の場所に存在させるのが、【転移】という魔術の仕組みなのではないでしょうか」
斎藤さんは軽くため息をついて、くるりと踵を返した。
「せっかく見付けた場所ではありますが、どうやらここを利用することはできないようです。魔王さまの叛乱に女神が目を付けたのも、あの方がここに足を踏み入れたからでしょう」
「レスティキ・ファの記憶を取り戻そうとしたことが、仇になったってことか」
「ええ。これだから、あのエルフ女に構うなと、魔王さまには進言しましたのに」
「実際のところ、最後の最後の一番大事なところで裏切ったのは斎藤さんだろ」
答えは返ってこなかった。
口では色々言っているが、本人も、その点は理解しているらしい。
まあ、理解してればいいってものではないけれど。
狭い通路を進みながら、互いの間に沈黙が落ちる。
気づまりな時間を何とか和らげようと、オレはふと思い出した質問を、前を行く背中に投げつけた。
「なあ、斎藤さん」
「……なんですか」
「あんたさ、ニライカナイでオレが海魔レヴィと戦うの、黙って見ててくれたけど……もしあそこで、オレが負けたらどうするつもりだったんだ?」
バアルは多分、オレの心意気を汲んで、黙って見守ってくれていたんだろう。
だけど、斎藤さんは――この人に、そんな優しさとか愛情とかは存在しないんじゃないだろうか。
それとも、やっぱりそれは表面上そう見せてるってだけで、本当は意外にもオレの気持ちも考えてくれてるんだろうか。
こちらを振り向きもせず、斎藤さんはきっぱりと答えた。
「一度自らの足が踏んだ場所であれば、【転移】が使えます。あそこであなたが負けて撤退したとしても、後日出直して、聖銛トリクロティオを密かに入手することも出来ると踏みました。あなたが勝てば、一番すんなりと物事が進みますが、もしも負けたときは――聖銛トリクロティオを手土産に、一か八かでラインライアに直接向かうことになったでしょうね」
斎藤さんの言いたいのは、こういうことだ。
オレが死のうが、自らの目的は変わらない、と。
「つまり、オレがどうなっても、あんたはあんたの目的を果たすだけってことだ」
「そうです。それはあなたも同じでしょう? 私たちは、自分で自分の願いを叶えるしかないのです。それが、たとえどんないばらの道でも」
「たとえ自分がどんなに頼りなくて、信じられなくても、か」
呟いてから、ふと思い出した。
そもそも、本当にこの人とオレの目的は重なってないんだった。
「そう言えば斎藤さんは、オレがラインライアに攻め込むつもりだから、一緒にいるんだったっけ」
「ええ。言ったでしょう。正面突破しなければ、あの方は私に会ってもくださらないのですよ」
「オレは、莉亜を助けたいだけなんだけど」
「私もそう変わりませんとも。ただ、傍らに置いていただきたいだけです」
「永遠に、だろ」
「そうですね」
互いの乾いた笑い声が響く。
やっぱこの人、単なるストーカーだ。
海底まで行って帰ってきても、斎藤さんは何一つ変わらない。
どうやら引き続き、監視が必要なことには間違いなさそうだ。