14 自家不和合性
「おー、すごいですね、音瀬さん!」
背後で、斎藤さんがでかい声をあげた。
うるさいと窘める余裕もなく、オレもまた正面に見えてきた塔の威容に息を呑む。
海底とは思えない、上下に高く伸びる銀色の塔。砂時計のように中央がくびれ、ねじれながら上空――海面へと向かっている。
周囲には網の目のように通路が張られ、塔へと伸びている。遠目に見れば、糸巻に何本もの糸が絡みついているみたいにも見える。通路の途中に半透明の小さな部屋がくっついているのも、蜘蛛の糸に朝露が降りているかのようだ。
実際には、あの部屋は何なのだろう。マーメイド達の家とか、何かの施設とかだろうか。
オレ達が今歩いている道も、たくさん張られた通路の一本だ。薔薇園からまっすぐ歩いてきたけど、横の手すりから身を乗り出せば、キャットウォークのような細い通路はまだまだ下まで何十本も存在しているのが見下ろせる。どの通路も白い鋼材で綺麗に舗装されているが、何を原料にしているのかは分からない。
正直、底の方は遠すぎてはっきりとは見えない。通路の先にある塔だけが、もっと下まであるのがぼんやり見えている。
海底にもかかわらず呼吸ができるのは、どうやら地上と同等の空気を生成する発達した機構があるらしい。それに加えて、結構な水圧を耐え切る透明な素材がドーム状に都市全体を覆っているのも。この素材も、一体何でできているんだか……。
大きすぎてはっきりとは分からないが、球状のドームのちょうど中央を貫くように、あの正面に見える塔が上下に建っているらしい。ドームの建材も通路の素材も分からないくらいだから、塔のあの銀色も多分……鉄とか銀とかアルミとか、そういう分かりやすい素材じゃない、と思う。
マーメイド達が穿いていた魚型下半身の出来の良さも考慮すると、現代異世界人のオレの感覚で考えても未来的――地上とは文明の進み具合が一回りも二回りも違うように見える。
「陸上のどの国よりも、はるかに発展しているように見えるな。素晴らしい」
「そなたらのように、せせこましい争いに混ざることがないのでな。技術開発の時間と余裕だけは腐るほどある」
あくまで真っすぐに評価するバアルと、皮肉な言葉を返すレヴィ。
オレの前方を並んで歩く二人に、上方から歓声が降ってきた。
「レヴィさま! お久しぶりです!」
「今宵はこちらで過ごされるのですか」
「天使の虚空はいかがでした」
「レヴィ様、その者達は――?」
見上げれば、銀の尾を持つマーメイドが数人、通路から身を乗り出してレヴィに向かって手を振っている。明るい声でさざめき合う彼女たちは、誰も顔立ちのよく似た女性だ。声色は真面目なのに何となく華やかさを感じる。同じ種族だからだろうか、なんとなくダフネにも似ているように思えた。
レヴィは慌てて彼女らを窘める表情を作り、戻りなさいと手で合図している。苛立ちを示しているつもりのようだが、眼差しは本人の意図を裏切って穏やかだ。
マーメイド達は一瞬、びっくりしたように目を見開いた。だけど、オレ達をちらりと眺めると、黙って頭を下げると通路の上を通り過ぎていく。
いかにも取り繕ったレヴィの渋面を見て、バアルが失笑した。
「人気者ではないか、レヴィさま」
「茶化すのはやめよ、バアル。これだけ多くの娘がいるのだ、ダフネのように礼儀正しいものばかりではなく、少々わらわに気安いものもいる」
「……えっ? ダフネって、礼儀正しかったっけ?」
「さあ……私は半魚人の礼儀作法は存じませんので」
そういう印象じゃないけど、的な意味で尋ねたのに、斎藤さんから返ってきた答えは、それ単体で失礼千万だった。
案の定、聞きとがめたレヴィがぎろりとこちらを睨み付けてくる。
オレは慌てて斎藤さんの横腹に肘打ちを食らわせ、黙らせた。思ってたよりうまく入り過ぎたのか、しばらく咳き込んでから、オレを咎めるように見上げてくる。
「……ちょっと、何するんですか」
「いや、話を振ったオレが悪かったよ。でもとりあえず黙ってて」
小さな声で話したつもりだったけど、割と聞こえていたらしい。
バアルが、こほんと空咳をうち、真面目な表情を取り繕った。
「それで、レヴィ。海底都市人魚の海底を我らに見せつけるのが目的ではあるまい? どこへ行くつもりだ」
「そなたが言うたのだろう。女神を倒す方法を知っておると。ならば、そなたらが求めて来たものはこれと……もう一つ。そうではないか?」
レヴィがちらりと目を向けた先は、自らの手に握られた聖槍リガルレイア。
バアルもまた彼女の視線を追いかけ、そして黙って頷いた。
つまり、彼女が案内してくれる先には――
「――レヴィさま! ご無事でしたか!」
遠くから、ずるるるるっと尾を引きずる音が近付いて来た。
駆け寄っ――這い寄ってくるのは、今名前が出たばかりのマーメイド、ダフネだ。オレ達の横を駆け抜――這い抜け、レヴィの前で大きく身を翻すと、彼女を背に庇うようにこちらを睨み付けた。
「あなた達、レヴィさまをどうするつもり!?」
「いや、どうもこうも……」
「よせ、ダフネ。奴らは味方ではないが、ひとまず正面から戦うのは止めた。一時休戦というところじゃ」
レヴィ本人に後ろから肩を叩かれて、不思議そうな顔で双方を眺めている。
「休戦……ですか?」
「ひとまず、な。そなたの方は?」
「ベニートはいつものところへ案内しました。後は私が相手を――」
「そうか、ではそちらは頼んだ。わらわは聖銛トリクロティオの元へ行く。この者達を連れて、な」
「この人達を――」
ちらりとこちらを見たダフネは、困惑に似た表情を浮かべた。
「でも、レヴィさま。こんな奴らを信じるのは……」
「信じてはおらぬ。聖銛も見せてやるだけじゃ。そなたはそのようなことを心配せずに、ただ励めば良い。良い子が生まれるようにな」
「は、はい……」
頬を染めたダフネが、一礼して去っていく。ちらちらとこちらを気にしながらだが、オレは何となく微笑ましく見送った。
ベニートとダフネは恋人同士なのだから、きっとレヴィが「励め」というのもそういうことなのだろう。
きっとそのうち、二人の間にも可愛いマーメイドの子が――あれ?
「いつまでもぼんやりしておるでない。行くぞ」
声をかけられて、はっと我に返る。見れば、冷ややかな眼差しのレヴィと、その横で浮かない表情のバアルがオレを見ている。斎藤さんは何だか皮肉げな顔でレヴィを見ていた。慌てて後を追う。
「なあ、あの……ちょっと聞きたいんだけど」
先を歩くレヴィの背中に声をかけると、ほとんど足は緩めず、ちらりと投げられた視線だけがこちらを振り向いた。是非の答えはなかったが、答えて貰えると信じて尋ねてみる。
「マーメイド達ってさ、なんでこの人魚の海底でも、あの魚っぽいヒレつけてるの? いや、水中ならほら、呼吸できるような魔術がかかってるとか、泳ぎやすくするためとか分かるんだけど」
ベニートとダフネの子ども、と考えたとき、自動的に魚型下半身を付けた小さな女の子だと思ってしまった訳なのだが。
よくよく考えれば、さすがに、あれを穿いて生まれてくる訳はないだろう。
「……あれが、女神から押し付けられた、第三層の運命じゃ。地上でも海中でも、そしてこの都市の中でも、本来ならば一度としてあれを脱いではならぬ。そういう約になっておる」
ダフネは今度は振り向かず、オレに背中を向けたまま歩みを止めずに吐き捨てた。
斎藤さんがそっとオレの横から耳打ちする。
「音瀬さん、【世界の裏側】で見たじゃないですか。女神の実験の結果、レヴィは自らの子を持つことはできても、レヴィの子が子を産むことはないって」
「ん? いや、そうだけど……」
「まだ分からないんですか、鈍いなぁ。レヴィの子が、マーメイド達なんですよ」
「えっ……」
確かに、レヴィが母親なのなら、マーメイド達から慕われている理由は分かる。
だけど、それじゃダフネにかけた激励の言葉は……?
「あんたさっき、ダフネに良い子を生めって言ったのに……あの二人の間に子どもなんてできないってことか?」
「わらわは、良い子が生まれるよう励めと言ったのじゃ。ダフネが産むなどとは一言も言っておらん」
「それって――」
鱗に覆われた尻尾の先が、ぴしゃりと通路を叩く。不機嫌を表す仕草だったけど、だからってここで口を閉ざそうとはさすがに思えない。更に問いかけようとオレが口を開いたところで、ちょうど目の前に迫ってきていた例の銀色の塔の一部が、ひゅっと軽い音を立てて自動扉のように開いた。
「中に入れ、人の子よ。見れば、そなたにも分かろう」
顎先で、レヴィが扉の奥を示す。
隣を歩いてた斎藤さんが、ふん、と鼻を鳴らしてオレの方を見た。
「見せるつもりですか、悪趣味な」
「知りたがったのはそこの猿じゃ」
全くもっておっしゃる通りだ。オレは黙って頷くと、レヴィとバアルの横を抜け、真四角に開いた入り口をくぐって塔の中へ足を踏み入れる。
オレの後ろから、用心するように斎藤さんがついてくる気配を感じた。
塔の中は外より光が少なく、オレは瞬きを繰り返す。
ふと、周りから響くごぽごぽという水音が耳に入る。
目が慣れたところでぐるりと見回して――自分が、水槽に囲まれていることを知った。
幾重にも立ち並ぶ水槽の一つ一つが、青っぽい液体に満たされている。
そして、どの水槽も中央に浮かんでいるのは、大小さまざまな人影――
「――ダフネが絞った精と、わらわの卵を掛け合わせ、ここで子を作る。女神がわらわに許したのはそれだけじゃ」
入り口の近くにあった水槽に、ふらりと近付いてみる。
中には、青い髪をなびかせた五~六歳くらいの小さな女の子が浮かんでいた。
手を突いたオレの動きに反応してか、伏せていた瞼がそっとあげられる。
ダフネによく似た黄金の瞳が、じっとオレを見て――微かに笑った。