15 そこは狙いを間違えた、と言いたい
「――3、2、1――行くぞ!」
「おい! 話はまだ――」
「あいつ、勝手に……!」
イマイチ納得してない2人を置いて、勝手にカウントした。
痛む右足を堪え木の影を飛び出し、ぐるりと周囲を見回す。
最初にクラーケンを見た木の上には、もうその姿はない。そりゃそうだ。居場所を知られてもなお、一つ所に留まっているワケがない。
「――気を付けろ、来るぞ!」
オレが出てきた木影から、顔を覗かせているアルが声を上げる。
その声に従って、真横に飛んだ。交差するように鋭い触手が5本、次々にオレの脇を掠め、地面へぶっ刺さる。棘のように固い吸盤が頬に引っかかって、血が噴き出した感触がした。
その向こう、機を見たゼルスィが駆け抜けて行くのが見える。同時に飛び出してきたアルが、触手の軌跡を逆に追うように、指を向ける。
「【氷矢の一撃】!」
煌めく氷の刃が、樹上に潜んでいたはずのクラーケンへと飛んだ。
――が、そこには既に誰もいない。
見て取った瞬間に、立ち上がりながら腰の短剣を抜く。足首は若干痛いが、しばらくなら我慢して走れなくもない。
「上だ!」
アルセイスの叫びを聞いて、咄嗟に頭上に短剣を掲げると、真上から振り下ろされた触手にぶつかった。飛んでいく触手の先とは別に、2本目の触手が追い打ちをかけてくる。
クラーケンと言えばイカなので、触手は10本あるはずだ。いや、手なのか足なのかは知らんけども。この調子であと9本を避け切れるとは思えなかった。
触手を受け止めるふりをしてそのまま刃を流した。身体も一緒に飛びぬけて、触手から逃れる。オレの右横の地面に、触手とともに巨体が降りてくる。
ようやく一瞬観察できたクラーケンの姿は、完全にイカだった。オレの身長と同じくらいある、巨大なイカだ。
「2人で1人前、というところかね。お嬢ちゃん」
低い声は、男……に聞こえるが、イカに男女はあるのだろうか。あったっけ? 現実でも、ランジェリ設定でも、どっちだったか全く思い出せない。そもそも、男女の別があったとして、区別の付け方は分からない。
両手を掲げたアルセイスが、オレの肩越しに魔術を放つ。
「【氷柱の剣舞】!」
飛び交う氷柱を避けて大きく下がりながら、クラーケンは氷刃の隙間を縫って触手を伸ばしてきた。
慌ててオレはアルセイスの身体に飛び付いて押し倒し、向かってくる触手を避ける。頭上を過ぎてく触手の起こす風を感じ、よくぞあの体勢から手足を伸ばせるものだと感心した。人間とは手足の数が違う分、バランス感覚も違うのかも知れない。
オレの身体の下敷きになったアルセイスは、その勢いのまま草むらを転がって木影まで戻る。
「――お嬢ちゃん、とはこの俺に向けてとんでもない呼び名を選んだな!」
木の幹に背中をつけ隠れたまま、アルセイスが朗々と声を張る。
オレはその後ろから顔を出してみるが、そこにいたはずのクラーケンは、再び姿を潜めていた。
「我こそはアルフヘイムの王エルクの子、アルセイス! 聖槍リガルレイアの正しき継ぎ手!」
「……リガルレイアは男にしか使えぬと聞いているが」
どこからかクラーケンの声だけが響いてくる。探るような声音を聞いて、アルセイスは高らかに嘲笑を返した。
「――だから何だ。俺が継ぎ手であることと何の関係がある、バカが!」
あからさまな挑発で小馬鹿にされたクラーケンは、怒りも露わな声を響かせる。
「真のリガルレイアを貴様のような小娘が持っているとは思えぬ。まだ、先程逃げた男を追う方が有用らしい」
「やれるものならやってみろ! そのやわい身体で森の中を走れるならな!」
「貴様……!」
挑発を重ねておいてから、ひっそりとオレの耳に唇を近付けた。
「さっきの回避は……良いタイミングだった」
褒めてくれるらしい。
オレは頭を掻きながら答える。
「……まあ、お互い色々行き違いはあったけど……基本的に、オレはあんたの言うことが嘘だとは思ってないよ」
だって、愛するレスティの子孫なんだろ。
ムカつく性格だけど、嘘は言わないってわかってる。
ゲームキャラだけど。ゲームにそんな風に一生懸命になるなんておかしいかも知れないけど。
……だって、オレほんとに好きだったんだ。旧版のランジェリが。
ほんとは生きてるんじゃないかって。
ゲームだなんて信じられないくらいに。
自分で言い聞かせなきゃ、諦められないくらいに。
一瞬押し黙った後、視線を合わせてきたアルセイスは、何かを決意したような表情で呟いた。
「俺は、お前を信じてはいない」
「知ってるよ」
まあ、ムリだと思う。
オレだって、全部話しても信じて貰えないってわかってるから。
外側から来て全部知ってるオレと、何も知らないランジェリの……アルフヘイムの王子じゃ立場が全然違う。
ため息とともに視線をそらそうとした時、小さな呟きがアルセイスの唇から漏れた。
「だけど……まだ、お前の名前を聞いていなかった」
教えてくれ、と、祈るように問われた。
見詰めてくる瞳を見返して、答える。
「音瀬 玲也――玲也で良いよ」
「レイヤ、だな」
「うん」
聞き慣れた名前が、アルの喉を通ると別物みたいに聞こえる。
くすぐったく感じて両手で顔を拭うと、指の隙間からアルの声がした。
「俺の名は知っていると思うが」
「アルセイスだろ」
「アルで良い。……お前が俺を信じると言うなら、話してやる」
「何?」
「クラーケンは海の魔物だ。本来はこんなところにいる生き物じゃない。ゴブリンも、あんな大軍になるような群れはこのあたりにはなかったはずだったんだ。それが突如として現れた」
「……つまり――誰かが連れてきた、ってことだよな?」
「そうだ、察しが良いじゃないか。更に言うと、転移魔術を使えるような存在が向こうの味方についてる、ということでもある」
転移魔術っていうのは、そんなに難しいものなのだろうか。そう言えば、旧版では最終局面になるまで、転移なんて使えなかったな。移動手段は徒歩、馬車、船、そして飛竜の順に変わっていく。
斎藤さんは最初からほいほい使っていたけど、それこそ開発部のチートなのか?
いや、待て。そう言えば、今のオレって魔術って使えるんだろうか。
アルセイス――アルのところに行く前、確かレベル6でMP上限25とか言われてた。
確かぱんつ穿かせたとこでレベルアップしたはずだから、今はレベル7か?
「あのさ、アル……」
「何だ?」
「こういう聞き方するのアレかもなんだけど、例えばさ、MPの消費って旧版のランジェリと変更ないのかな。30くらいまでで使える魔術ってどんなのがあるかとか……」
「まじっくぽいんと? 旧版らんじぇり? 何を言っている」
「あ、ごめん。やっぱこれじゃ伝わんないか……」
しばらく考えたが、旧ランジェリとの変更について、アルに確認するのは難しそうな気がした。
なんせ、この世界では旧版は千年前という設定になっているらしい。アルだってさすがに千年前からの魔術の変遷を知ってはいないだろう。
今の話をしなきゃいけない。
「えっと、オレ、もしかしたら魔術使えるかも知れないんだけど」
「そりゃあ使えるだろうさ。使えないとしたら、俺にかけた魔術は何なんだ」
「いや、だからそれは斎藤さんの助けがあって初めて使えてたから……待って待って、そんな睨まないで」
「思い出したらムカついてきた」
「そういう話じゃないんだってば。とにかく、今のオレ1人じゃ魔術が使えるかどうか、ちょっと自信ないんだよ。だから、確認のために、今ちょっと使ってみても良い?」
アルはこちらを睨み付けたまま、無言で頷いた。その承諾を確認してから、ずっと痛んでいた右足に手を当てる。
さっき斎藤さんも使っていたが、元々呪文は覚えてる。旧版であんなに何度も聞いたのに、忘れるワケない。ソラでだって言える。
「【創生の光、この手に宿れ――治療】」
身体から、微かに力が抜けたような気がした。疲労と言うか、脱力と言うか。
その代わり、手のひらから右足に光が伝わって、同時に足首が少し温かくなった。光が消えると、じくじくと疼いていた痛みが完全に消えた。
「……やっぱ使えた」
「ああ、【治療】自体は初歩の魔術だが、暴走も無駄な魔力の漏れもない。かなりの使い手であることは確かだな」
「今のだけで、そんなの分かんの?」
「分かる。エルフの目を侮るな」
ただの【治療】を使うだけで、そんなに違いがあるか、とは思わなくもないけど。
この真っ直ぐな眼に褒められれば、素直に嬉しかった。
「じゃあ、やっぱオレ魔術使えるんだ。初級の魔術なら、後2〜3発はイケると思う」
【治療】のMP消費は5Pt。
レベル6で上限が25なら、今は上限30くらいか。
【治療】なら後5発イケるし、攻撃系の初級魔術である【氷矢の一撃】や【華焔の旋風】なら、消費MPが10Ptだから2発放てる。
MPという問題については。
そんで、ここからは完全に予想になるけど。
旧ランジェリならその魔術を「覚える」という工程があって、覚えていない魔術は使えなかった。「魔術を覚え」たら、自分のステータスリストに覚えた魔術が表示され、そこから選択肢で使えるようになる、というシステムだった。
だけど、リメイク版ランジェリでは、もしかしたらそのシステムはないのかも知れない。
いや――ない、というよりはよりリアルになっている、というべきか。
つまり、現実と同じように「呪文を覚えて、きちんと唱えれば、魔術が発動する」のだと思う。
そう考える理由は2つある。
1つは、開発担当のはずの斎藤さん自身が、1つの例外以外では、ずっと呪文詠唱を省かずに行使していたこと。
もう1つは、一番最初のフィールドでメインメニューを開いた時に、選択肢に「魔術」がなかったことだ。
「覚えた魔術の管理」をシステム上で行うことが難しい――プレイヤが負担しなきゃいけないってことじゃないだろうか。
もしもこの予想が事実なら――オレは、呪文を知ってる全ての魔術を使える――かも知れない。
つまり――アルのぱんつを着脱したり、もしくは……本人の望むように、性別を戻したりも出来るのかも。
自分の魔術を公開したことに対する反応を確認しようと、ちらりと覗き見た。
アルは片眉を上げて、不満げに答える。
「初級魔術を2〜3発? 最初に対峙したときのあの大魔術の連発はどうした」
「だから、アレは――」
「――サイトウさんの仕業なんだろ。もう分かった」
苦笑しながら、もう良い、という風に手を振られた。
どうやら――微妙な感じで信じて貰えたらしい。信じたと言うよりは呆れた、もしくは諦めたってことかもしれないけれど。
いたずらっ子のような笑い方を見て、さすがに少しばかり――その――何だか、申し訳なく――
何かを言わなきゃと、口を開いた途端。
ぬちゃり、と足首に絡みつくものがあった。
「っひぃ!?」
「どうした!」
反射的に振り落とそうとして右足を上げた。
見下ろした足首に貼り付いていたのは、吸盤の並んだぶっといイカの足――
「――ぅわああああっ!?」
そのまま、右足首を掴まれ、空中へと持ち上げられていく。
恐ろしい力で一本釣りされたオレに、アルセイスが慌てて手を伸ばすが、届かない。
「ははははは! 柔らかい身体故に、こうして忍ぶのは得意なのだ! 貴様らは目にしなければ理解出来ぬようだがな!」
クラーケンの哄笑を浴びながら、樹上へと引き上げられてくオレは、天を仰いだ。
上に行くにつれて他の触手もオレの身体にくっついてきてるけど、これがまた恐ろしく――キモチワルイ。
ねっとりとした粘膜が皮膚を這いずる感触に、鳥肌が立つ。
……あの、普通こういう時に触手に絡まれるのって、美少女の方が良いんじゃありませんかね?