14 兄と妹
扉をくぐった瞬間、無防備な私に向かって、光の刃が飛んできた。
私は騒ぐことなく片手を掲げる。
「――セット、全詠唱破棄【神の国は終わることなし】」
足元から立ち上がる光の奔流。
より強い光の渦に飲み込まれ、飛んできた刃を押し流す。
「……ふーん、これが本物の実力なんだ。確かに、偽物とは違いそう」
少女のような甲高い声が、私の魔術の向こう側から聞こえてくる。
どこか聞き覚えがあるようで、しかし同じ声紋は私の記憶にはない。
似ていると言えば、そう――
「――あなたは、誰かな?」
立ちはだかる光の壁に向かって問いかける。
しばしの沈黙の後、薄れていく光の向こうから、私を睨みつけるツインテールの少女が現れた。
細い手足は、まだ十代の若々しい肢体に見えるが――さて、本当に見た目通りの少女か否か。
「それを聞くの? ちょっと回転おそすぎない?」
「私は呼ばれたから来たってだけなんだけど、その先でいきなり魔術で攻撃してくる相手に思い当たりはなくてね」
「こんなの挨拶みたいなもんでしょ。どうせこの程度、当たったところであんたが死ぬ訳ないんだし。それとも、頭おかしくなりすぎて、そんなことも忘れちゃった? たまに会った妹が可愛くじゃれてるだけなのに」
「……妹」
言われてこめかみに指を当てる。自分の記憶のみでなく、表層プログラムの残した記憶を検索する内に、目的の情報に突き当たった。
「――ああ、あなたが、そうか。妹っていう」
「ちょっと。呼び捨てしないでよ」
「何だい、その顔。自分から私の妹だと名乗っておいて名前を呼んだら怒るなんて、理不尽はなはだしいだろう」
非難すると、ますます顔をしかめている。
どうやら、今までの兄はずいぶんこの妹に甘かったらしい。正直な話、突然魔術を放ってくるなんて無礼この上ないし、あまりにもこちらを軽視しすぎている。そのくせ、言い返せば勝手に怒っている。名乗りもしない相手から、この程度で気分を害したなどと言われても、私も困ってしまうのだが。
共に扉をくぐった海魔レヴィが、鋭い眼差しで横から私を見下ろしてきた。
「勇者よ、主に対するそれ以上の暴言は許さぬぞ」
「暴言と言うなら、彼女が先だろう。えこひいきだ」
「なんとでも言え。主の拠点に踏み込んで、魔族すべてを敵に回す気概があるならな」
「……ふーん、ちょっと群れたってだけで、気が大きいこと」
口の中で呟いた私の言葉を、レヴィは聞かぬふりをした。
大きなことを言ってはいても、私が必要だからラインライアに招いたのは事実なのだろう。
虚勢は張りたいが、実際に手を出す勇気はなし……というところか。
「まあ良いさ。魔王のいない魔族が煮詰まっているのは昔からだ」
「いなくはないでしょ。あたしが魔王よ……この国では、勇者と呼ばれているけど」
軽く胸を突き出した少女の姿を一瞥し、私は苦笑しながら首を振る。
「確かに、そう……少しだけ面影はあるな。だが、あなたは魔王じゃない」
「どうして」
噛み付いてくるその態度が、既に彼女とは似ても似つかないから――とは、さすがに口にしなかった。そんな非科学的根拠によらない根拠を、私の意識は拠り所とする。
「今、こうしてあなたの身体をスキャンしていても、千年前の魔王とは身体構成が異なっているからね」
「な、何見てんのよ!? えっち!」
「特にいやらしいことをしている訳じゃない
「してるじゃない、スキャンしてるとか……あたしの中身を見てるんでしょ!」
中身を見てればえっちなら、MRIを撮影する医療従事者はみんなえっちということになるのだが。
呆れて肩を竦める私をよそに、少女の方は勝手にヒートアップする。
「兄妹の関係で何考えてんの、この変態!」
「いずれ、あなたと私は兄妹を名乗るだけのかりそめの関係。いや、そもそも関係すらないかもね」
「いいえ――関係はある。兄妹なのもホント」
「それは私じゃなく、偽物との間のことだろう?」
会話の流れで、意図せず表層プログラムの名前を口にした。瞬間に、思わず顔が歪んだ気がしたが、対面する少女の表情の変化は私以上だった。
まるで、今にも泣きそうなほどに。
その表情も、大きく息を吐いてしまうと、仮面じみた無表情に戻ったけれど。
「……違うし」
「何だって?」
「違うって言ってんの。あんたが兄、あたしが妹。玲也は……あれこそが、かりそめの存在でしょ?」
「いや、まあそうだが……なんだ、あなたはずいぶん冷たいんだな」
表層プログラムの持っていた感情にそぐわない、冷酷すぎる言い口。
玲也という存在には特に何の思い入れもないが、さすがの私も少したじろいでしまう。
ずいぶんと無関心なものだ。表層プログラムは、妹をあんなに気にかけていたというのに。
――うるせぇな。妹ってのはそういうもんなんだよ。
一瞬、ノイズが走った気がした。
理路整然と並んだ記憶が乱れ、不本意な何かがよぎった気がする。
すぐにおさまったので、気のせいかも知れないが。
「あー……まあ、良いか。とにかく、あなたと私が兄妹というのはあり得ない。私に妹など存在する訳がない」
片手を振って返したが、リアと名乗る少女の表情は変わらなかった。
「あり得ないって言い切るんだ」
「言い切るさ。だって、私は――」
「――女神の手で造られた義体だから?」
「……よく知ってるじゃないか」
私の頭脳が急激に回転数を上げた。
私の身体を知っているこの少女は何者か。
どこか、魔王の面影を持つ黒髪の少女。
私と兄妹だと名乗り――そして、私が女神の手によって造られたことを知っている。
つまり。
「……あなたも、女神の手で造られたということか」
「あたしは義体じゃないけどね。女神につくられたってことなら、ええ……そうよ」
リアは――私の妹を名乗る少女は、一度目を伏せてから、まっすぐに私を睨みつけた。
試すように。挑むように。
「あたしは女神の娘。だから、あんたとは兄妹ってことになる」
「女神に娘がいたなんて、私は聞いたこともなかったが」
「言わなかったんでしょ。だって……あんたはお兄のことを表層プログラムだなんて蔑むけど、そもそもが勇者自体が、ただのプログラムでしかないし」
――バカ。そんな顔して……まだオレのことお兄って呼ぶのか。
リアの言葉の後半から、再びおかしなノイズがかかってしまい、よく聞き取れなかった。どうも聴覚ユニットか、そこから脳への神経伝達かに微細な異常があるのかも知れない。
まあ、いくら女神の造った完璧な義体とは言え、千年も経過していれば、多少はガタがくるものではあるのだろうが。
私は私の有用性を信じている。
女神から、世界の平和を――魔王の打破を託されて生み出されたのが、私という存在であるから。
この少女が女神の娘だと言うなら、私を呼んだのはきっとそのためなのだろう。
「兄妹であることは理解した。つまり、あなたは女神の意を汲んで、私に何か新しい使命を与えたいということなのだな?」
「そうよ。千年前のポンコツCPUも、入力さえ間違えなければまともに動くじゃない」
「……主よ、どうかそれ以上は」
見かねたレヴィが止めに入ったが、リアはそちらを振り向きもしなかった。
ただ私をつまらなそうに眺めている。
「あんたに、世界の再構築を手伝ってほしいの。段取りはあたし達がやるから、あんたはただ、肝心要のとこだけやってくれれば良い」
「世界再構築――それは、つまり」
「異常だらけなのよ、この世界。あんたが知ってるかどうかは知らないけど。だから、一回壊してから直さないと。……ほんと、くだんない話だけど」
なるほど、それが女神の希望ならば、私には断る余地はない。
だから、おとなしく頷こうとしたのだが――どうにも首が動かない。
また異常だろうか。おかしなノイズが。
固まった私を見て、リアは一瞬不思議な顔をした。
「……そう、まだそこにいるんだ。もしかして、レスティキ・ファと一緒に逃げたかと思ったけど」
――逃げるもんか。だって、妹が変な道へ進もうとするのを放っておく訳には、いかないからな。
ああ、ノイズが。ノイズが。
おかしな周波数が、規則正しい私の頭脳のクロック数に混ざる。
なぜ、女神の娘はそんな顔をしているんだ。喜びとも怒りともつかぬ、割り切れない表情。
黒い瞳は私に向けられているというのに、なぜか私と視線がかみあわない。
彼女は何を見ているのだろう。私の中に、何がいるというのだろう。