12 勇者覚醒
オレがその役割を終えた瞬間に、私ははっきりと目覚めた。
所詮は、偽装のための表層人格でしかない。私の意識が戻れば消えるよう、最初から設定されていたのだろう。
――お前に何が分かる。
魔王の苛立つ感情が伝わってくる。
だが、彼女が――いや、彼女の偽物でしかない存在が、私に対して何ができるだろう。
あっさりと黙殺し、試しに両手を閉じては開きして、首を回してみた。
千年も稼働していたという話だから、どうなっていることか不安ではあった。だが、想定していたほど、この機体は劣化していないらしい。
不完全とは言え、先ごろドワーフの山でメンテナンスしたそうだから、それが良かったのかも知れないが。
ボディチェックを終えて顔を上げると、その場の全員が私を凝視していた。
海魔レヴィ、マーメイドの娘、地魔ベヒィマ、そしてアルセイス。
私と目が合った瞬間に、海魔レヴィが顔を歪めて牙を剥く。
「……目覚めたか、勇者よ」
「おかげさまでね。ずいぶん時間がかかったけど」
微笑んで答えたが、レヴィの眉間の皺は消えない。
その表情に焦りを感じてか、内側にいる魔王が私を追い抜こうと急浮上を試みている。
もちろん、私は笑顔を浮かべたまま捻じ伏せてやったが。
もとより、この身体が私のものであることを思えば、彼女が私に勝てるはずがない。
その上、彼女の現出を望むものなど、この場にいない。
逆に、私を心待ちにしていた存在は、少なくともここに2人。
「そう、覚醒しちゃったんだ……」
ぽつりと呟いたベヒィマが、つまらなそうに顔を背ける。
レヴィはマーメイドの肩を抱いたまま、私を睨み続けている。
心からの歓迎とは言い難いが――どちらも、私の再来を望んでいるようだ。
まさか魔族三将軍に復活を求められているとは想像もしていなかったが。
――だから。
今、この場で事態を正しく理解していないのは、アルセイスだけだった。
「……お前は、誰だ」
獣であれば、毛を逆立てて唸っていただろう。
爪の代わりに研ぎ澄ましたナイフを構え、アルセイスは私に警戒の眼差しを向けている。
「お前はレイヤじゃない」
「そうだね」
「魔王でもないな?」
「違うね。状況を把握してない割には、よく分かるな。野生の勘ってヤツか」
「レイヤを返せ」
「うーん。それは正しくない表現だな。そもそも、この身体は私のものなんだ。それに対して、あなたの知る彼はただの表層プログラムで――」
「分かった、黙れ」
事態の正確な理解より、怒りの表出を優先したらしい。私の話を最後まで聞かず、ナイフを構えたまま飛びかかってくる。
あるいは、聞くまでもなく私から奪い返そうとしたのだろうか。彼女の求めている彼の身体を。
哀れさすら感じる無知に、笑いがこみあげてくる。
ゴミのように蹴散らしてやっても良かったが、かつての恋人の魂だと思えば、あまり無碍にもし難いような気がする。
「――セット、全詠唱破棄【子らに、安息を】」
囁いた瞬間、アルセイスがくずおれるように地表に膝を突いた。
目を見開いて自分の足を見下ろすが、その足はびくとも動かない。力を奪う魔術だ。千年ぶりで鈍っていたが、ようやく以前と変わらぬ出力が戻ってきたらしい。抗魔力値の高いエルフといえども、私の力に逆らうことはほぼ不可能だろう。
力を失った手からナイフが落ちる。両手を突いて身体を支えているが、顔を上げるだけで精いっぱいの様子だ。
「話の途中だよ、アルセイス。挨拶くらいは平穏にさせてほしいな」
私はこちらを睨みあげる彼女の前に跪き、微笑んだ。
「私の名はスィリア。私にとってはつい昨日のことのようだけど――表層プログラムが集めた情報によると、どうやらこの世界では千年前のことになるらしいね」
勇者スィリア、と称号をつけなかったのは、別にレヴィやベヒィマの心象を慮ったからではない。
ただ、私の自己認識に、そのような称号は存在しなかったからだ。後世の人々がそう呼んだのだ、とは表層プログラムの見聞きした話で理解していたけれど。
「……勇者の名を騙るか」
「騙っている訳じゃない。事実として私がスィリアだよ。……ああ、そういえば、勇者の名を騙る者がもう一人いるらしいね」
表層プログラムが妹と呼んでいた彼女のことを思い出した。
「俺には、そんなことはどうでも良い」
「ああ、そうかい。まあ、偽物がいること自体は確かにどうでも良いことだ。問題は、彼女がなぜ私を呼び起こそうとしたかってこと。それに、私の中にある魔王のデータが複製なら――まあ、きっと彼女が本当の魔王なんだろうね。それなのに、彼女が何故勇者を名乗ってるのかってことさ。千年の間に心境の変化でもあったのかな」
「あ、あたし達は、変節した訳じゃないわ! ただ、主の望みに従って――」
「――そんなことはどうでも良い!」
金髪を振り乱して、アルセイスが叫ぶ。
力ない手を震わせながら、胸元に掴みかかってきた。
私の魔術に逆らうとは、大した気概だ。
「レイヤを返せ!」
「……本当にあなたは、話が通じないな。そういうところは昔から変わらない」
さすがレスティキ・ファ。
猪突猛進甚だしい精神的豪腕エルフの記憶を思い出して、私は微かな頭痛に襲われた。彼女がこうと言い出したことは止められない。止めようとすることの無意味さを、よく知っている。
どうすれば、アルセイスに理解してもらうことが出来るのだろう。
彼は――『レイヤ』と呼ばれていた表層プログラムは、二度と表に出てくる必要がないのだと。
私はシャツの襟を掴んでいる手をそのままに、ベヒィマとレヴィの方へ顔を向けた。
「これは提案なんだけどね、ベヒィマ、レヴィ。ひとまず彼女はここへ放っておいて、私達はリアという人のところへ行かないかい? 推測するに、私を覚醒させるべきだと感じた何かがあったから、あなた達は私に関わっているんだろう?」
「アルをここに置いてくですって!? ばかじゃないの、あんた。そんな危ないこと出来るわけないじゃない」
「目につくエンジェルは倒したから、しばらくは周りには危険はないよ」
「近くにはいなくても、天使の虚空にはまだ残ってるのよ。放っとけばまた集まってくるじゃない。それに、ここまで連れてきたのはレイヤの――あんたの魔術なのに、アル一人じゃここから降りられないんだから!」
「……どうもおかしいな」
興奮して言い募るベヒィマに、私は首を傾げて問いかけた。
「ここまで私や彼女を導いて連れてきたのは、あなただろう? リアの命令とは言え、自分で実行しておいて、今更になって彼女の安全をどうこう言うのかい?」
「――っ!」
言葉を失くしたベヒィマを、レヴィが訝しげに見下ろす。
「……どうした、ベヒィマ。気にくわぬ相手とは言え、主の言いつけ通りに復活を遂げさせたのだ、誇れば良いだろう。何故、エルフの娘の無事になど、気を揉んでいるのだ?」
「あたしは――」
顔を上げないベヒィマを眺め続けていたが、しばらくして飽きた。
私は肩をすくめ、レヴィに視線を向ける。
「あなたはどうするんだ、レヴィ。私は、できれば早くリアとかいう子に会ってみたいんだけど。どうも、表層プログラムの考えてる妹っていう設定が、どこから来たのか気になってね」
「ああ……」
レヴィの視線はマーメイドの娘をちらちらと気にかけている。
なるほど、それぞれに心懸かりがあるらしい。
私は嘆息して、ふと思いつく。
そうだ。そんなにも足を引っ張るものがあるというなら――全部片づけてしまおうか?
何もかも面倒だし、何ならベヒィマもレヴィもいなくとも、私一人でラインライアに辿り着くことは容易い。
そうだ。レスティキ・ファの魂だって、器がなくなれば、またどこかに転生するだけで、別に大切にする必要があるとも思えない。
ならば、もういっそ――
――させるかよ。
思いついた瞬間、ちりりと頭痛が走った。ノイズめいた不具合だ。
おかしいな。どうも――さっきから、腕が上がりづらい感じがする。