14 アルフヘイム襲撃
「……ひどい」
囁いたルシアの声が、やけにはっきりと聞こえた。
焦土から吹き上がってくる風は熱い。森の一部、燃え上がる木々の向こうに、背の低い魔物達が群れをなしてこちらに向かってくるのが見える。旧版ランジェリの知識をもとに装備も含めて考えると、ゴブリン剣士とゴブリン弓士だろう。その様はまるで広がる波のようで、見える範囲だけでも数百は下らないのではないだろうか。
更にその後ろには、黒いフードを目深に被った人影がある……ように見える。皓々と燃え上がる木々の炎に照らされても、この距離では彼らの外見までは見えないが。
森の入り口から攻め入ってきたゴブリン達は、森の木々を魔術で爆散させながら、エルフ達の王国アルフヘイムの近くまで迫っていた。
「焼かれた森が回復するまでに、何十年何百年かかると思ってるの……!」
「ラインライアの人族に、そんな常識がある訳もない。魔王の復活を為すためなら、世界中を焦土に変えることすら辞さないヤツらだ」
斜め前に立つアルセイスが、ぎりぎりとブーツを踏みしめる。
どうやらこの惨状は、人族の王国ラインライアの手によるものだと判断されたようだ。後ろにいる魔術師は人族だと断言できないはずだが。
以前襲撃を受けたらしいから、そのせいだろうか。
振り向いたアルセイスが、オレの両脇に向かって声を掛ける。
「……ディラン、ゼルスィ、お前らは宮殿へ行け。王に――父に、報告を」
「逆だろ、アル。おれが残るから、お前はゼルスィと一緒にこいつを宮殿へ連れて行けよ」
「何……?」
オレの手を掴んでいたディランという名のエルフが反対した。ゼルスィと呼ばれた男も黙って頷く。
怒りを含んだアルセイスの腕を、ルシアがそっと抑えた。
「ディランの言うとおりだわ。アル、今のあなたじゃ戦場は無理よ」
「無理なものか――」
「――無理だってば。身体が変わって、何がどう違ってるのかも把握出来てないんでしょう? 聖槍リガルレイアが使えなくなったって以外のことは」
容赦ないルシアの叱責に、アルセイスは押し黙る。
下を向いたままのアルセイスの手に、ディランがオレの腕を握らせた。
「お前は戻って陛下を呼んで来い。陛下が来て下さるまでは、何とかもたせるから。陛下の力とリガルレイアさえあれば、数の差など何でもない」
「ディラン――」
「ルシア、お前はおれと来れるか? それともアルと戻るか?」
「行くに決まってるでしょ。アル、お願いね」
「……すまん」
ディランの問いに即座に答えたルシアが、ベルトに差してあったロッドを引き抜く。
アルセイスと、ゼルスィに両手を取られたオレを置いて、他のエルフ達はゴブリンの群れへと駆け出していった。彼らから離されるように勢い良く引きずられて、つま先が地面に引っかかってひどく痛んだ。
「……ま、待てよ、アルセイス」
「うるさい。お前が俺の名を呼ぶな、人族。心配しなくても、お前の沙汰はこれが片付いたらつけてやる。先から何度も襲って来やがって……あいつらを裏で操ってるのがお前らラインライアの人族であることは大体分かってるんだ」
オレに視線一つくれぬまま、行くぞ、とアルセイスは短く声をかけ、ゼルスィとともに踵を返した。オレは躓きながら振り返っては、ゴブリンへ立ち向かっていくエルフ達の背中を見つめるしかない。
旧版ランジェリにおいて、ゴブリン達は下級の魔物だ。エルフの魔術があれば数で負けていようがひっくり返すのはそう難しくない。その設定がリメイク版でも続いていることを祈るしかないのだが……。
「【地の底より流れ出よ 燃え立つは煉獄の焔 ――華焔の旋風】!」
「【我、永華に穿つ墓標 創生の刻を止めよ 貴人の指よ ――氷柱の剣舞】!」
背後から呪文と轟音が聞こえてくる。
声から推測するに、ルシアとディランが同時に炎と氷の魔術を放ったのだろう。
肩越しに振り向けば、見事にゴブリン達の一角が吹っ飛んでいる。他にも、防壁の魔術を唱えるもの、鎮火の魔術を唱えるもの、そしてゴブリンを牽制するもの、とエルフ達はそれぞれの役割を流れるように交代しながらゴブリンを蹴散らす。
だが、崩した一角のすぐに後ろから、仲間の死体を踏みしだきながら、ゴブリン兵は補充されていく。さすがに数が多すぎて、進撃の足止めすらできているかどうか、というレベルにしかなっていない。
「なあ、アルセイス。あんた……あいつらを助けなくて良いのか!?」
オレの右手を引くアルセイスに向かって声をかけた。
左手にいるゼルスィ、と呼ばれていた方が、怒りに満ちた表情でオレを見る。
「助けたいに決まってるだろう。だが、お前を放って置くわけにはいかないんだ」
「いや、オレが何かするのが心配なんだったら、この辺の木にでも括り付けて放っぽって行けよ。そうしないと、あいつ――ディランってヤツはもしかして死ぬつもりなんじゃないか!?」
オレはプレイヤだから別に死んでも平気だ。
だけど――死んだNPCは戻らない。それがRPGの基本だ。
縋り付くオレの手を掴んだまま黙っていたアルセイスが、1つ息を吐いてから、オレの胸ぐらに掴みかかってきた。
「――そんなことはお前に言われなくても分かってる!」
キレたついでに殴られて、地面にすっ転がった。
その勢いを見て、先に怒りを露わにしていたゼルスィの方が、少し落ち着いたらしい。
「おい、アルセイス……」
困ったような顔をしながら、アルセイスの肩を叩く。そこまでにしておけ、と言いたげなその顔を見上げた時――その肩越しにふと、木の枝の上で何かが動いた。
目を凝らすより先に、目が合った。
らんらんと見開かれた瞳が、オレ達を見下ろしている――
「――あんたら、避けろ!」
叫びながら、手近にいたアルセイスの身体に体当たりする。一緒くたに転がる背中を、鋭い風音が抜けていった。
「――がっ!?」
立ち尽くしたままのゼルスィが、呻き声をあげて膝を突く。首を捻って振り返ると、真っ直ぐに伸びた白っぽい槍のようなものが、その上腕を貫いていた。
一瞬の間を置いて、伸びていた槍がぬるりと滑るような動きで樹上に戻っていく。
槍状の何かから解放されたゼルスィが這いつくばってこちらへ向かってくるのを、慌てて駆け寄って掴んだ。隣でアルセイスが同じようにゼルスィのシャツを掴んでいる。
「ゼルスィ……!」
「こっちだ! あんたも身を隠せ!」
2人がかりで怪我人を死角へ引き込んでから、手近な木の根元に隠れる。そこでようやく息を吐いて、先程の人影の方へと指を向け、アルセイスに示した。
「今は木の幹の影になってるけど、あっちから狙われたんだ。多分、まだいるぞ」
不審げにこちらを睨み付けてから、アルセイスはゼルスィの腕に両手をかざす。
「【創生の光、この手に宿れ――治療】」
柔らかい光が手のひらに灯り、痛みに呻いていたゼルスィの厳しい表情が少しだけ和らいだ。初級魔術だが、ないよりはマシに違いない。
改めてこちらを見たアルセイスの表情からは、険しさが抜けていた。
「お前……何故、今の罠を教えた?」
「え? 何故って……」
「あの位置だと、狙われていたのは俺かゼルスィだ。そうでなくても、お前だけ気付いたのなら、黙って避ければ逃げられたはずだ。何故、教えた」
尋ねられて、ようやくその可能性に気付いた。
はっとしたオレの顔で、向こうもオレが何も考えてないことを知ったらしい。
「お前、正真正銘のバカなのか?」
呆れた声で問われて、頭を掻いた。
「……言うなよ。単純に、オレはあんたらに敵対するつもりなんてないんだ。ちょっと手違いがあっただけで……。いや、そんなことより、あんたらを狙ってたのはあれは何だ? 魔族だよな?」
「ゼルスィを刺した触手の感じからして、海魔じゃないかと思う」
「海魔……」
「クラーケンだ」
旧版の海フィールドでおなじみの巨大イカのモンスターだ。確かに、触手突き刺しと触手絞め殺しの特殊攻撃を持っていた。はっきりとは見えなかったが、先程のゼルスィの腕を貫いたのはクラーケンの触手だったのかも知れない。
「でもさ、海の魔物がこんな森の中にいるなんて、おかしくないか?」
首を傾げたオレに、アルセイスとゼルスィも無言で目を向けてきた。肯定するのもシャクだが、否定しようがない、というところだろう。
アルフヘイムの森は海に面していない。クラーケンが自然にこんなところに出てくるワケがない。
「魔王復活を目論む者共の仕業だろうな」
「魔王復活?」
そう言えば、さっきもそんなことを言っていたような。人族の王国が……というようなことを。
アルセイスは一瞬、迷うような表情を浮かべたが、すぐに決意した瞳でゼルスィに向かった。
「ゼルスィ。俺がアレを引きつけてる間に、お前1人で宮殿まで走れるな?」
「しかし、アル――」
「この人族は俺が責任持って捕まえておく。クラーケンが陸上をそう素早く動けるとは思えないが、今の俺よりお前の方が足が速い。そうだろ?」
ゼルスィはしばし悩む様子を見せたが、すぐに黙って頷いた。どうするにせよ、選択肢なんてそうそうないのが事実なのだ。
2人の間で話がついたのを見計らって、オレは軽く肩を回した。
「じゃあ、一番役に立たなそうなオレが、囮になって飛び出すから。その間にゼルスィは宮殿へ向かえ、アルは魔術の準備しとけよ」
「おい、いくらなんでもお前が指示するなよ!」
さすがにアルセイスに半ギレで迫られた。
「良いか、俺はお前のことを信じてはいない! ここで共闘するつもりもない! ただ、他に選択肢がないだけだ」
「分かってるよ。オレもまあ大体そんな感じだし」
「これが終わったら、一切合切ぜんぶ合わせて吐かせてやるからな!」
迫られた勢いに乗って、とりあえず頷いてはみたものの……実際のとこ、特に吐くべき情報もないんだけど、どうしたもんかなぁ。
まあ、これが終わった時のことは、終わってから考えるか。