4 渚のマーメイド
「着てみたが……どうだろう?」
カーテンの向こうから声が響いて、おそるおそるアルセイスが顔を覗かせた。
この試着で大きな問題がなければ、最後にしたい。ここで完成にしたい。
じっと見つめるオレの前で、肌も露わなエルフはくるりと回って見せた。
瞳の色に合わせた青いフリルの袖は、胸下までのタンクトップのドレープと滑らかにつながる。
下は脇を幅広のリボンで結んだ紐ぱんタイプ。白い太腿が太陽に眩しい。
「あ、アルセイス……その、ちょっと腰回りにこれを」
見かねて、波のようなイメージのグラデーション柄のパレオを差し出す。
アルは細い首を傾げて眺めるだけで、手を出そうとはしなかった。
「スカートか? 水を吸うと足に纏わりつくから、あんまり着たくない。そうじゃなくても水の中は自信がないし」
「いや、海に入るまでだけで良いから!」
無理に腰上でパレオを結び、ついでに縫ったパーカーも、肩から着せ掛けてやる。
新月に間に合わせるための超特急。全部セットで裁縫時間は約1日半。ほぼ徹夜。オレ史上、最も集中して縫った時間だった。
着用したところでもう一度眺めてみたけれど、これならもう縫い直しは不要だろう。
アルは目を細めて水着を見下ろしている。
パーカーのフードを頭からかぶせてやると、輝くような金髪が青い布の下に隠れて、何だか少し倉庫の中が薄暗くなったような気さえする。一応、村人にはアルがエルフだっていうのを隠してあるので、真夜中と言えども油断はできない。
まあ、隠しててもしなやかな身体のラインは浮き上がるし、フードの下から覗く唇や顎の形だけで美人なことだけはバレちゃうんだけどさ。
上から下までつくづく綺麗な人だ。
水着を見ていたはずが、いつの間にかアルに見惚れてしまっていた。ぼんやりしていると、後ろからオレのシャツを引っ張る手が伸びてくる。
「ねえ、ちょっと! そっちばっかり見てないで、あたしの方も見て。せっかくあんたが作ったんでしょ」
振り返ると、黒いワンピースタイプの水着を纏ったベヒィマが、オレを恨めしそうに見上げている。
肩から胸部分のドレープが多めなのは本人の希望もあるけれど、アルと一緒で……その、水着の下にボリュームがなくても美しく見える、とか何とか――あー、この辺りの情報の出典はヘルガによる。前に、ティルナノーグでブラジャーを作ってたとき、そんな話を聞いたのだった。
ベヒィマの水着は上から下まで一体で、初めて縫うパターンだ。以前に作ったタンクトップを応用した。ただ、やっぱり身体にぴたりと添う形にするのは結構大変で、サイズ採りと仮縫いで何度かかけた修正にベヒィマが協力的だったので助かった。
「おーけー、くるっと回って……うん、最初の仮縫いで余ってた部分はちゃんと詰めれたみたいだな」
「……胸のことじゃないでしょうね」
「胸? いや、ウェストんとこ。余ってただろ」
無言で蹴られた。蹴られた理由は薄々分かったので、甘んじて受けつつ、話を戻す。
「見た感じは悪くないけど、着てる方はどうだ? どっか苦しいとかないか?」
「全体的にちょっとぴちぴちしてる感じだけど……これはこういうものなのよね?」
「そうだよ。布が余ってると、隙間からいろいろ見えちゃうから」
オレの答えに、ふふん、とベヒィマが鼻を鳴らす。
肩の部分に指をかけ、ちらちら持ち上げながら上目遣いに見上げてきた。
「あたしの、いろいろ……見えるのはまずいって思ってるんだ?」
「いや、まずいだろ、普通に」
「これ以上肌が見えたら、あんたが照れちゃう? それとも、誰にも見せたくないなんて独占欲?」
「照れ……? いや、オレは幼女趣味ないし。それより、着てる本人が嫌だろ」
「俺は別に誰に見られても構わない」
「あんたはもうちょっと恥ずかしがれ!」
ベヒィマの水着を見ている間、アルセイスは水着の胸元を広げて内側の縫製を確かめたりしている。だめだって! そんなに伸ばすと、中が……中が見えるじゃないか!
オレの視線に気付いて、首を傾げたアルが布裏をオレにも見せてこようとしたので、慌てて両手を振った。
「わわわわわっ待って! そんなことすると全部見えちゃう!」
「見せてるんだ」
「ちが……っ布じゃなくて、おっぱい隠して!」
「ちょっと! あたしのときと反応が違いすぎるんだけど!」
そんなこと言われても、子どもと大人じゃ対応違うの当たり前だ。
中身は子どもじゃないと言いたいのかも知れないが、正直ベヒィマくらいの年の女児については、まだ無邪気な頃の莉亜で見慣れているのだ。少女に欲情する趣味はない。
「ねえ、せめて褒めなさい!」
「あー、可愛い可愛い。よく似合ってるよ」
「似合って……る? ほんと?」
「うん」
褒めると照れるのも、はにかんだ笑顔にも、何となく莉亜を彷彿とした。
ほっこりしながら眺めていて……でも――いや、あれ?
ふと、頭の中に疑問が湧く。
見慣れてる、知ってる――と思ってたけど、この記憶、どこまで本当なんだろう。
オレの身体が、魔王の記憶を入れられただけの、人形だとしたら。
もしかして、莉亜との思い出なんか、全部嘘っぱちなんだろうか――
「――レイヤ」
いつの間にか考え込んでいたオレを、アルセイスの声が現実へ引き戻す。
顔を上げると、心配そうに眉を寄せた表情でのぞき込んで来た。
「大丈夫か?」
「ああ、うん。問題ない。それより早くテストしてみよう。その水着つけてる限り、海の中でも呼吸もできるし水にも濡れないはずだよ」
慌てて笑顔を浮かべてみると、おずおずと笑顔が返ってきた。
そうだ、今はこれで良いんだ。重要なのはオレに何が出来るかで、中身のオレなんて、あってもなくても――今更、どうすることができる訳でもないし。
●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
人目を避け、夜を待って浜辺に出る。
漁師町で朝が早いからか、どの家も、真夜中は灯りさえついていない。寝静まってるようだ。
月はないけれど、星灯りは眩しいくらい。
足元はさすがにはっきりしないけれど、障害物の影くらいは見える。
それに、アルセイスの白い脚とか。
パーカーを羽織ってても、膝上から足の指先までのかなりの部分は露わになったままだ。
見るともなしに、前を行く柔らかそうな膝裏を見詰めていたら、隣のベヒィマに肘で小突かれた。
「……見過ぎ」
「そっそんなに見てない!」
アルはそんなオレ達のやり取りを背に、正面の黒い波だけを見詰めている。
真っすぐに向けた視線が、一度足もとへ向けられてから、再び海へと向かった。
「よし、行くぞ」
「あたしも行こっと」
悲愴な決意を秘めたアルの声と、あっけらかんとしたベヒィマの声が前後する。
駆けだしたアルの足は恐れることなく砂浜を横切って、水音を立てて飛沫を上げ始めた。
「これは」
「あら、良いじゃない!」
「……結論早くないか? まだ足元でばしゃばしゃしてるだけじゃん。せめて泳いでから」
「泳ぐ前に分かるんだもの。わーい」
アルの横を軽々と進むベヒィマが、歓声を上げている。
くるりと振り向いて、オレに向かって手を振った。
「すごく動きやすいわ! 全然水の中って感じしない、抵抗がないの!」
どうやら、かけておいた魔術はうまく働いているらしい。
しばらく浅瀬でしぶきを立てていたけれど、決意した表情でアルセイスが海の奥へと歩き始めた。腰まで沈んだ辺りで、ふっと息を吸って波間に顔をつける。
「……アル! 大丈夫か!?」
返事はない。
そのまま身体ごととぷんと水面下に沈んでしまったので、慌てて駆け寄った。
もちろん、オレ自身も自分で作った海水ぱんつを身に着けている。砂浜から水に入っても、確かに抵抗がほとんどない。海の中でも陸上と同じく足が動いてる。
水中でも動きやすくする魔術は、2人の言ってた通り成功してるようだ。
アルの姿を見失った辺りまで走り込むと、腰回りに突然何かが絡みついた。
波の下へ視線を向けた途端、ぐっと水の中に引き込まれる。柔らかい砂で足を滑らせ、水の中へ背中から突っ込んだ。
「レイヤ!?」
ベヒィマの悲鳴と、派手な水音。
目の前に泡の膜が広がる。
けど、驚いて開いた口の中に、水は一滴も入ってこない。
どうやら、空気の膜を作る魔術もうまく働いているらしい。
安堵したオレの頬をくすぐるように、長い金髪が目の前を踊っている。
星灯りにきらめく、まるで光のカーテンだ。
カーテンの向こうから、青い瞳がいたずらっぽい笑みを浮かべてのぞいている。
海の中でそんな顔してると、まるで――あんたが人魚姫みたいじゃないか。
アルセイス、と呼ぼうと動いた唇は、さすがに水中では声にならない。
けど、呼ばれた方はすぐに分かったらしい。微笑んだまま近付いてきて、その唇が重なりかけ――
「――ぶわっ!?」
触れかけた途端に口の中に水が入ってきた。
慌ててもがくと、ぎりぎりで足が砂に着く。立ち上がり、同じように溺れかけてたアルセイスを引っ張り上げた。
水を飲んで激しく咳き込むアルの背中を撫でていると、ベヒィマが駆け寄ってくる。
「ちょっと、2人とも大丈夫!?」
「っごほっ、ぐっ、ごふ……」
「あー……やばい、死ぬかと思った……」
アルを引っ張って海から上がりつつ、心配するベヒィマに説明した。
「水着にかかってる魔術、身体の周りにぼんやりと水の膜が張ってあるだけだから、あんまり触っていると弾けて水が入っちゃうみたいだ。海の中じゃ、少し離れてた方が良さそうだな」
「えっじゃあ、手を繋いだりできないってこと?」
オレの手を見ながらちょっと残念そうな顔をしている。
ようやく呼吸の整ったアルセイスが、砂浜で深呼吸してからゆっくり立ち上がった。
「とりあえず、注意事項は分かった。今後は気を付けよう」
「大丈夫だったか? 水着のせいで、余計海が怖くなったりとか……」
「いや、途中までは順調だった。悪戯心を起こしたのが悪かったな」
「悪戯心って何よ?」
波の下でのやりとりを知らないベヒィマが不思議そうに尋ねたけど、オレもアルも返事をしなかった。
話を変える意図と、気付いたことを伝える意図の両方で、片手を上げる。
「今の感じだと、魔術で作ったの膜の分を吸っちゃうと、後はもう身体の周りの空気はなくなっちゃうな。多分、もって5分かそこらだと思う」
「5分? ちょっと短くない? どこまでいけるものかしら……」
ベヒィマがあっさり話に乗って、海の向こうに視線を向けている。
5分泳いだくらいで海魔レヴィのところに辿り着けるのか、悩んでいるらしい。
アルセイスがふと顔を上げ、砂浜の先へ視線を向けた。
「どうした、アルセイス?」
「しっ……誰かいるみたいだ」
言われてそちらへ目を向けると、頼りない星空の灯りの下、人影らしきものが遠くへ見えるような気がする。耳の良いエルフだけに、オレ達より先に気付いたのだろう。
オレ達は顔を見合わせ、足音を殺してそっとそちらへ近づいた。
徐々にはっきりとしてくる人影は、どうやら2つ。
「……あら、あれは昼間の漁師の息子じゃないかしら」
ベヒィマが言い出したので、オレも思い出した。
そう、確かあれは……ベニートだ。そういう名前だったはず。
「もう1人誰かいるな」
「女に見えるわね」
「えっちょ……何か事情があって人目を憚る逢引なのなら、あの、あんまこういう盗み見みたいなのはよくないんじゃ」
足を止めたオレの手を、ベヒィマが引っ張る。
「あんたバカじゃないの。ただの逢引なら良いけど、もしあの漁師の息子にあんたの秘密がバレてるとかならどうするのよ。秘密も危険も持ってる癖に、警戒しないのはどういう訳?」
「ど、どういうって……」
「それにレイヤ、あれはただの逢引とは言い難そうだぞ。あの女のほう――」
アルの指さす先、波間にたたずむ男女が星陰に抱き合っている。
気恥ずかしくて目を逸らそうとしたけど、その直前に、ふと2人の姿の違和感に気付いた。
男のほうは、さっきもベヒィマが言っていた漁師の息子、ベニート。
だけど、抱き合う女のほうは、深い海のような青い髪と、星の光を浴びてきらきら光る鱗に覆われた下半身を持っていた。
アルセイスが、「よし」と口の中で呟く。
「ちょうど良いじゃないか、お探しのマーメイドだ」
「ちょうど良いって……」
「あいつを捕まえて、レヴィの棲み処まで道案内して貰おう」
「捕まえてって、そんな乱暴な――おい、アル!」
途端、放たれた矢のように波間の恋人たちに向かって駆けていくアルセイスを、止める術はどこにもないのだった。