12 罪には罰を、恋にはバラの花柄を
話順を入れ替えました。今話は旧序章の内容を少しだけ改変したものとなります。既にお読みの方は飛ばしてください。来週火曜日更新分が新話です。
……と、いうことで、命からがらアルセイスの元を――エルフの王宮を逃れたオレは、森の中に踏み入った。
息を切らせて走りながら、むせ返るような土の匂いと暗闇に圧し潰されそうになる。今夜は月もない。真っ暗な森の中、足元なんて当然見えない。
「どこだ!? 森に逃げ込むとは……」
「森は我らエルフのテリトリだ。必ず捕えるぞ!」
背後から、いくつもの明かりと人の足音が追ってくる。
ちらちらと光は見えているが、不幸と言うか幸いと言うか、オレの足元を照らす距離ではない。それでもこうして風に乗って声が聞こえてくるのだ。徐々に追いつかれているのは事実だった。
慌てて足を踏み出そうとして、木の根を踏み損ねた。バランスを崩し、そのまま顔から地面に突っ込む。
したたかに打った鼻先が痛い。だらりと鼻の下から口元に生暖かい液体が流れる感触がある。
鼻血の感触までリアルだなぁ――とか、一瞬感心しかけたが、今はそれどころじゃなかった。
じんじんと熱い鼻を押さえて、何とか起き上がる。
右足首に嫌な痛みを感じた。強い痛みではないが、痺れたようになっていて歩きづらい。コケた時にひねったのだろうか、これまたリアルなことだ。
……うーん、この状態、現実のオレの身体はどうなってるんだろ? まさかあの装置の中にいる本体まで足首ひねってる状態じゃないよな。
「――おい、あそこだ! 見付けたぞ!」
「迂闊に近づくな、怪しげな技を使う人族だ……用心しろよ!」
よたよたと歩いている内に、見付かってしまったらしい。声が近付いてくる。
痛みを堪えてもう一度走り出そうとしたが、やはり右足の調子がおかしい。斎藤さんが言ってたように、ゲームの中の設定でそんなに痛くないのがまあ、良かったって言えば良かったのか。
左足を軸にして、できるだけ片側を地面に着かないように動いてみるが――柔らかい腐葉土の上でおかしな歩き方していれば、追いつかれないはずなどなかった。
「いたぞ! 取り押さえろ!」
真後ろから大声が響く。
振り返れば、真っ直ぐに明かりがオレを照らし出していた。暗闇に慣れた目が痛む。
手をかざして見やれば、光の向こうに金髪碧眼のエルフ達が集まってきている。
その数、十数名。それぞれが怒りに燃えた表情でオレを睨みつけていた。
長命なかわり絶対数の少ないエルフ達の王国で、魔術に長けた働き手の男たちがこれだけ出張ってきているのだ。オレはかなり本気で追われているのだろうなんて、考えなくてもすぐに分かった。
逃げられる距離でもないが、思わず後ずさりそうになる。
こちらに飛びかかろうとしていた男の1人が、後ろから肩を叩かれ、振り向いた。
「……アルセイス! お前、大丈夫なのか?」
何やら心配そうに声をかけている。
その抑えた声音に片手で応じながら、男の後ろから姿を表したのは――輝くように美しいエルフの女だった。羽織っているのは丈の短いローブだけで、なめらかな白い足は太腿から下、膝丈のブーツまでの間の素肌があらわになっている。宝石のような青い瞳を興奮で潤うるませて、明かりに透ける指通りの良さそうな長い金髪を腰に垂らしていた。長く白い耳の先が、その頬と同じように怒りと羞恥で赤く染まっている。
名前が聞こえなかったとしても、分かっただろう。
レスティキ・ファにそっくりなその顔立ちを、オレが見間違えるはずなんてない。
「退けろ。そいつは俺が殺る」
麗しい姿に似合わぬ粗野な言葉遣いで、アルセイスは周りのエルフたちに指図した。周囲は躊躇いながらも、アルセイスに場所を譲る。
右足をぶらぶらさせているオレの正面に、アルセイスが歩み出る。魔術の光に照らされた美貌は輝かんばかり。その麗しさで傲慢に睨め付けてくるから、ほんともう。
「お前が我が一族と――俺に与えた屈辱は、万死に値する。お前の生命をもって、その罪を償え」
予想通りの死刑宣告だ。
オレは両手を振って答える。
「待て、待てって! そんなつもりじゃなかったんだ! これはゲームだし……オレはただ、ほんのちょっとからかうくらいのつもりで――」
「げえむ? からかうつもりだと! ならば、今すぐこの呪いを解け!」
怒りの声が返ってくる。我慢ならない様子で、形の良い足が踏み鳴らされた。ローブの裾が捲まくれ上がって、一瞬、その下に身に着けていた布が明かりのもとにさらされる。
――白地に、小さなピンクのバラの花柄。
はっと気付いて両手で裾を押さえた彼女の姿に、一瞬胸が引き絞られるような心持ち。
不謹慎だとか不健康だとか不道徳だとか色々言われるかも知れないことはわかってる。
だけど――今のアルセイスの姿は、あんなに好きだったレスティにそっくりで、しかもその下着は、ぱんつは――オレが作ったアレなんだ。何も感じない方がおかしいくらい。
ただしもちろん、それとは別に罪悪感はある。
出来ることなら、何とかしてやりたいけど――でも、どうやって?
ここまで使ってきた魔術は全部、斎藤さんのサポートあっての賜物だ。
「いやその、だから……! オレだって解いてやりたいのは山々なんだよ! でも、あんたをその姿にしたのはオレじゃなくって斎藤さんで、あれは斎藤さんが開発担当だからこそ出来るチートの一種の可能性があって――」
「――カイハツタントウ? ちーと? お前の言うことはさっぱり訳が分からない!」
詰め寄ってきた細い手に、襟首を捻り上げられた。
間近から、目尻の吊り上がった青い瞳がオレを見下ろす。
「古今東西の魔術知識を司る古老達も匙を投げた! こんな出処も分からぬ恐ろしい呪術、ただの人族がどこで覚えることが出来る! ……復活した魔王の差し金だろう? 死にたくなければ正直に誰の手の者かを――そして何より……この呪術の解法を言え!」
「だからぁ! それは魔術でも呪術でもない、斎藤さんがちょちょっとプログラムを弄った結果なんだって! ああクソ、どうやったらこっちから斎藤さんに連絡取れるんだ!」
「……どうやら生命が惜しくないらしいな」
話にならぬ、と吐き捨てたアルセイスは、掴んでいた襟首を引いて地面にオレの身体を投げた。
片足を痛めた今のオレは、か弱い女の力にも抵抗出来ない。
いや、この人のことを女の力と言って良いのかはちょっと分からないけど。
「塵も残さず消滅させてやりたいが、この身体では聖槍リガルレイアは使えない……仕方があるまい。我が必殺の魔術をもって、消し炭にしてやる!」
「いや、待てって。あのほら、オレはここで死んでも多分大丈夫だと思うけど、ゲームの中で死ぬっていうのは強制切断に当たるから出来るだけ避けてくれって、最初のときに斎藤さんから言われてて……その、一応これアルバイトだから、雇い主の要望は汲んだ方が……」
自分で言いながら、アルセイスを止める言葉にさして熱が入ってない気がしてきた。何か疲れたし、その程度の理由なら、ここで諦めても良いのかも。
だって、オレを殺そうとしてるのは大好きなレスティそっくりのエルフで、しかもここで生き延びたところで……正直オレは、この先何をどうすれば良いのかもよく分からない。
思えば、ナビゲータ役の斎藤さんと、連絡が突然途切れた辺りからオレはもう疲れ切ってるのだった。
突然、妹の――莉亜の声がしたのもおかしい。
向こうで何かがあったのか、それともオレが入れられてる最新鋭の装置とやらの故障なのか――。
こんなことなら、迂闊にテストプレイヤなんて引き受けるんじゃなかった。いくら自分が大好きだったゲームでも、こんなややこしいことになるなら。
情けない気持ちを抱えて地面に這いつくばっていると、ふとアルセイスが腰を屈め、顔を近付けてきた。青い瞳が至近距離からオレを見ている――今のオレにとっては、このレスティとほぼ同じ顔を眺められることだけが救いだ。
ぼんやり見上げていたら、抑えた声音で囁きかけられた。
「……どうしても死にたくないと言うのなら」
どちらかと言うと怒りよりも情けなさを表に出した顔を見ていると、やっぱりゲームの登場人物だと言っても、同情したくなる。
こんなにリアルなゲームで、こんなに美人な憧れの人とのそっくりさんが、こんなに可哀想なことになっている。
そう、こいつもオレと同じゲームの中、不運に翻弄されてるヤツなんだ。
ちょっとしたテストで性別を弄くられ、元に戻る方法も分からない、なんて。
何だか困ったような泣きそうな顔で、小さな小さな声で耳元に懇願される。
「――その……頼むから、せめてこの破廉恥で居心地の悪い布きれを外してくれ。こんなに身体に合わない形をしているのに、俺が外そうとしても全然外れない。これを俺に穿かせたのもお前だろう……」
目の前で、おずおずとローブの裾がたくし上げられる。
先程チラ見した白地にバラ柄のぱんつが、中身入りで突きつけられた。
一瞬、頭の中から色々なものが吹っ飛びそうになった。ギリギリで思い出して踏みとどまる。
確かにその可愛らしい下着を作ったのはオレで、穿かせたのもオレだ。だけど、メニューウィンドウから「装備を変更する」を選んだだけ――手ずから穿かせたワケじゃない。
いや、だけど……でも。
NPCのアルセイスが自分では「外せない」ということは。
もしかして、NPCには出来なくても、プレイヤのオレなら脱がせるくらいは出来るかも知れない。固定スキル『下着製作』を持っているオレなら。
唾を飲み込む音が、ヤケに耳に響く。
ゆっくりと目の前の純白に手を伸ばしながら――心の中では違うことを考えていた。
――斎藤さん、斎藤さん、斎藤さんったら! どこ行ったんだよ!
もしもオレがここで道を踏み誤ったら、何もかんも全部あんたのせいだからな!