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汝、眼前の純白を愛せよ  作者: 狼子 由
第六章 One Way Or Another
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6 コンタミネーション

 波立つ水面で揺れる光が、湖底まで差し込んでくる。

 彼女は動いていないのに、ゆらゆらと傾いでいるみたいに見えた。


 不敵に笑うその人の姿を、オレは見たことがない――はずだ。

 なのに、彼女が誰なのか、一目で分かってしまった。


 瞳は黒炭よりも更に黒く、髪は濡れたように艶やか。切れ長の目元はどこか楽し気で、野苺を食べた後のように真っ赤な唇はゆるくカーブを描いている。ツンと顎を上げて、どうにも生意気さは隠せない。


 アルセイスよりも少し背が高いかもしれないな、と真下から見上げつつそんなことを考えた。


「あんたが、魔王バアル?」

「そうか、君が音瀬玲也レイヤか」


 尋ねてみたものの、お互い答えなんていらなかった。

 起き上がろうとしたオレに、バアルが手を差し出してくる。水をかきわけ、じわりと身体が浮く。

 手を取って真っすぐ立つと、やっぱり彼女とオレの身長は大体同じくらいだった。


「こうして会うのは初めてだよな?」

「そうだな、私も会えるとは思っていなかった」


 困ったような顔で苦笑している。

 強気さが表立つ雰囲気も、そんな表情を浮かべると、どこか少女のような頼りない風になる。

 なるほど、こういうところをよく知っている斎藤さんは、彼女を放ってはおけなかったのだろう。


 誰よりも大切な主人であり、どんなものからも守らねばならない人。

 もしもそれが、彼女自身の意に背いていたとしても。


「オレ、あんたに似てるかな? 目と髪の色は同じかもだけど」


 斎藤さんが「これぞ」と思ったくらいだから、どっかは似てるのかも知れないけど。

 じっと目を近付けてみると、軽く見開いた目でバアルもこちらを上から下まで眺め下ろしている。


「どうだろう……私もあまり似ておるとは思えんのだが。素体の折は私に見えるように作ったはずが、どうしてこうなってしまったのやら」


 しなやかな指先がオレの頬を軽くつねった。疑問をオレにぶつけられても困る。

 降りて来た指が左腕をなぞり下ろして、手の先に到達した。

 指を絡めてぎゅっと繋がれ、それでようやく左手が()()ことに気付いた。


「おっと……バンダナさんのおかげかな。もう修理が終わったのか」

「さてな。スリープモードでは私にも外は見えぬ。だが、君よりは少しエンジェルの機体に詳しいのでね、今頃こうなっておるだろうな、という予測くらいはつくよ」

「どうなってるんだよ、教えてくれ」

「レスティが――いや、アルセイスが、顔色を変えておる頃だと思うな」


 意地の悪い笑い方は、いかにも魔王らしい。


「どういうことだ?」

「君の()()……誰に見せても恥ずかしくない自信があるのか?」

「えっ……いや、そんな大層なものじゃないけど」

「まあ、そいつについては君も戻れば分かるだろう。わざわざここで説明する必要はない。それより――」

「――それより、あんた、最近全然出てこないじゃないか。ぼそぼそ何か教えてくれてたりするのは良いけど、前みたいに危ないときは入れ替わってくれると強力な魔法も使えるし、ありがたいんだけど」


 先を取って愚痴をこぼすと、バアルは微かに眉を寄せた。

 それは、笑い顔みたいな泣き顔みたいな。


「言っただろう、私を呼ぶ者がいなければ、私は()()に存在できないと」


 ぎゅっと握られた指は、最後に繋がる鎖のようだった。

 その鎖が1本ずつオレの手を離れていく。


「シトーは私が本物ではないと気付いたようだ。ヤツの愛する()()()()は他にいる。レスティは――アルセイスが愛しておるのはお前であって私ではない。ならば、私を呼ぶ者など、ここにはもう――」


 オレは外されかけた手を慌てて握り返した。

 驚いて見開かれた目が目の前にある。


「だからそれは――オレが必要としてるだろ! ここに――」


 瞳をまじまじと覗き込んでから、ふ、と吐き出された息は笑ったのか呆れたのか。

 頬をくすぐってった泡の感触が、ぽかりと水面へ上がっていった。



●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●



「――ここにいてくれよ、頼むから!」


 って、自分が叫んだ声で目が覚めた。

 はっとして思わず腰を浮かせる。

 なんだか胸元が温かい。


「って……アル!?」


 気付けば、瞳を潤ませたアルセイスをがっちり胸元に抱き込んでいた。

 喉元から変な声が出た。


 アルセイスは何かを堪えるような真っ赤な顔で、オレにしがみついている。

 目元が濡れてるし、ふるふる震えてる。泣いてたのかも知れない。


 そこまで見たところで、ようやく思い当たった。

 修理担当であるバンダナさんが、意識の失ったオレを分解してったんだろう。それを横で見守っていたのだとしたら、さぞや心配だったに違いない。

 慰めて安心させようと、腰を掴んでた手を持ち上げて、頬にかかった髪を払った。


 視界に自分の手が見える。そう言えばこれ左手だ。

 アルセイスの頬に触れてる手は、動かしても何の違和感もない。どうやら、バンダナさんはうまく直してくれたらしい。

 そのまま頬にあてた手に力を入れて、顔を覗き込んだ。


「アルセイス……」


 笑いかけようとした瞬間――がっと後ろ頭を掴まれる。


「いでっ!?」

「ぬしよ、それ以上は工房では許さんぞ」


 後ろ斜め下辺りから声がする。バンダナさんの声だ。

 けど、何かすごいデカい手で頭を固定されてて、全然振り向けない。


「ちょ、ちょっとバンダナさん……あの、動けないんですけど」

「止めておるんじゃから、当然じゃのう」


 あっさり言い放った声が、ぐるりと回ってオレの前にやってきた。

 小柄な少年みたいな見た目のドワーフ――やっぱりバンダナさんだ。

 あれ、でもじゃあ、この後ろでオレの頭を掴んでるヤツは何者……?


「そりゃ、サポートハンドじゃ。腕だけのロボットハンドじゃよ。わし一人じゃ手が足りんからのぅ」

「えっと……これ、外して貰えませんかね」

「ダメじゃ。修理はまだ終わっとらんぞ」


 バンダナさんの声と共に、ガシっガシっと両側から両手を掴まれた。ついでに、背中を固定するアームが後ろから腰を掴む。

 目だけを動かして観察したところ、オレの身体を掴んでるのは骨格むき出しの鋼鉄製の指だった。あのUFOキャッチャーのアームみたいな指に、がっしり固定されてしまっている。


「あ、あの……まだ終わってないって」

「腹んとこのぉ、まだじゃ。さすがに見ておれんようになったんでな、スリープモードを終了したからの」

「見てられない?」


 どういうことだ、と問おうとしたら胸元にしがみついたままだったアルセイスが、上気した頬で見上げてきた。


「……ああいうことを考えてるのか」

「ああいう?」


 問い返したオレの声が聞こえているのかいないのか。

 濡れた唇をぺろりと舐めて、上目遣いに見上げてくる表情が壮絶に色っぽい。


「えっえっ……えっ!?」

「それならそうと早く言えば良いものを」

「えっえっえっ」


 あれよあれよと近づいてくる唇から、漏れる吐息は甘い。

 こういう状況で迫られると、何か……ラッキースケベ通り越して、貪られる獲物の気持ちになってしまう。

 愛らしい美少女の顔して、中身はケダモノなのだから恐ろしい。


「人目を気にして何もなかったような振りをする必要なぞ――」

「――あるのじゃ。邪魔じゃからのぅ」


 バンダナさんの操るアームにぺりっと引きはがされた。

 追いやられたアルセイスは恨めしそうに口を開いたが、バンダナさんがオレの横腹を観察しているのを見て大人しく口を閉じる。邪魔だと言われたからだろう。


「ぬし、中身を見ておるとあのエルフ娘が好きなようじゃが」

「えっ!?」


 部品からそんなことまで分かるのか……さすが凄腕技術者!


「馬鹿、違う。修理中はどうしても記憶データの移行が必要なんだ。だから……」

「移行……? 何?」

「ダウンロードしてよそにとっておくのじゃ。うまくいってるかどうか、ちょいちょい見にゃいかんからの。こっちのモニターで」

「ちょいちょいって……モニター……」


 確かに、バンダナさんの傍には大型テレビくらいの画面がある。

 オレの記憶データをあそこで見たってことは……


「それって、その……オレの視線とか」

「記憶じゃからの、見たものだけでなく考察も感情も空想もある程度は」

「感情……空想……!? えっじゃあ、さっきのアルセイスの言葉は――おい、あんたも見たのか、アルセイス!?」


 アームに身体を固定されたまま、首だけそちらに向けて慌てて尋ねた。

 アルは悪びれない顔で肩を竦める。


「仕方ないだろう、不可抗力だ」

「不可抗力ったって……」

「わしから言うておくとな、そこの野蛮娘は自分からわざわざ近付いて見に来ておったぞ」

「黙っとけば良いだろ、そこは」


 らしくなく口をとがらせてるけど、その表情を可愛いと喜ぶ余裕は、既にオレにはなかった。


「おっおい! 何見たんだよ、何を!」

「まあ、ある程度は俺も予測ついてるから気にしなくて良い」

「気になるよ!」

「それより、お前――」


 声を落としたアルセイスが、真面目な表情で囁いた。


「――()()の記憶、随分古い世界(ランジェリ)に関するものがあったのはどういうことだ」

「は? え……それは、ゲームの記憶じゃなくて?」

「それなら問題はないんだが……もしかしてお前の記憶には、魔王バアルの記憶が混ざってきてるんじゃないのか?」


 最初は笑い飛ばそうとした。

 馬鹿なことを、って言って、それから――それから。

 浮かべかけた笑いは、途中で引っ込んだ。


 もしも混ざってきてるとしたら、それは。

 それでも。


 オレには、この手を離せない。

 必要とされなければ消えてしまうなんて、そんな悲しい盟友を見捨てたりなんてできる訳がない。

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