3 ユーミルの王
「もぎゅもぎゅがつがつもぎゅぎじゅ……ごっくん。ぷはぁ、もう食べられぬ」
「食べられぬって、お前……いや、よく食ったな」
「餓死寸前だったのじゃ。何はともあれ助かったぞ」
「そもそも、何でこんなところで行き倒れてたの、あなた。いくらわがままで名の通るあなただって、ユーミルからこんなに離れた場所まで、一人で来られる訳がないでしょう」
少し時間は早いが、日は半ばを過ぎている。
アルやヘルガと相談したうえで、今日はここで夜を明かすことになった。
道端に寄ってユーミルの王メイノに食事を与えたんだけど、これがまあ食べるわ食べるわ。見た目もちょっと目鼻立ちが整ってるだけの子どもにしか見えないし、正直こいつ本当に王なのかと疑いそうになった。
ただ、元から彼を知るアルとヘルガは呆れた顔を見せただけで、本気でその存在を疑うような様子は見せない。なら、オレだって2人を信じるしかない。
水を向けられたメイノが、きょとんとヘルガを見上げながら、首を傾げて答える。
「だって、ぬしが人間に捕まったと聞いたからの。婚約者なのじゃから、その危機に駆け付けるのは当然じゃろう」
「婚約者?」
「そっ……そんなの、私が小さい頃に冗談で言った話じゃない!」
尋ね返すオレの声を遮るように、ヘルガが目を吊り上げて顔を寄せた。
が、メイノの方は、ヘルガの怒りなどどこ吹く風。小さな手を伸ばしてヘルガの頬を撫でる。
「ぬしがどんなつもりであろうと、わしにとっては関係ない。ぬしを娶ると決めたのじゃ。大きくなるのを待っておった」
「だーかーらー……」
言葉に詰まった様子のヘルガを見て、アルが代わって口を開こうとした。
その動きを片手で制しておいて、ヘルガは息を吐く。
「……まあ良いわ、その話は後にしましょう。それで、メイノ王、私を助けようとして国を抜け出すなんて、ユーミルの皆に迷惑じゃないの」
「わしがおらずとも何とでもなるわ。千年前より、ユーミルの民は王の不在に慣れておる」
「千年前って……?」
思わず尋ねた声に反応して、メイノがこっちを見た。
そこで初めてオレの存在に気付いたかのように、目を丸くする。
「おっ……おぬし、その髪の色――人族!?」
「……もう。あえて視界に入らないようにしてたのに」
ヘルガがぼやく声が聞こえた。そういうことなら先にそうと言っておいて欲しい。
「どういうことじゃ、ヘルガ! こんなところに人族が……ぬし、これは捕虜か!? そもそも囚われの身からどうやって抜け出したのじゃ」
「あー……だから、つまり私を助けてくれたのがこの人族の――」
「な、何じゃこいつの腕は!? 人族じゃないぞ、このメカニズムはエンジェルか!?」
「いや……だ、だからね……」
「いや、待て。それよりあの後ろの小娘は、まさか地魔ベヒィマじゃなかろうか! どういうことじゃ、ヘルガ。何故ここにエンジェルと魔族が――」
「――このバカ、人の話を最後まで聞け!」
凄みつつメイノの首元を掴み上げたのは、最終的にはアルセイスだった。
当然、喧嘩腰で迫られたメイノの方も黙っちゃいない。つま先立ちでアルに顔を近付け、怒鳴り返している。
「何じゃと!? おぬしにバカだの呼ばれる筋合いは――」
「あー、もう! 2人とも止めなさいよ……!」
ヘルガが、頭を抱えてしゃがみ込んだ。
こうなるのを予測して、アルが会話に出張ってくるのをさりげなく食い止めていたんだろう。
勿論、言い合いを始めた2人には、ヘルガの声なんか聞こえちゃいなんだろうけど。
しっちゃかめっちゃかになった状況を見て、そっとベヒィマがヘルガの背中に手を伸ばそうとしている。
聖弓フロイグリントを狙ってるんだ。
気付いた瞬間に、何とか止めなきゃとそれだけが頭に浮かんだ。
「――セット、全詠唱破棄【極限破壊】!」
掴み合うアルとメイノの足元が、爆音を立ててはじけ飛ぶ。
たたらを踏んだ2人と、伸ばしていた手をびくりと縮めたベヒィマの姿を見て、ひとまず安堵してメイノに向き直った。
「とにかくさ、落ち着いて話そうぜ。いくら自律と自由を愛するドワーフでも、気付いたら王様がいないってなると、慌てるに違いないだろ。オレが邪魔なら、ベヒィマともどもどっか他所にいるからさ」
オレの言葉を聞いて、アルがしゅんと肩を落とした。メイノを窘めようとして諍いに乗った自覚があるのだろう。別にアルが悪い訳じゃないけど、ただでさえオレには分からないズレを起こしているこのパーティで、これ以上問題が起こるのは好ましくない。
唯一、誰に対してもそんなにやましいところのないヘルガが、両手を上げてアルとメイノの間に割り入った。
「おーけーおーけー、説明しなかった私も悪かったわ。メイノ、彼はレイヤ。外郭はエンジェルだけど、中のデータは上書きされてて、今はエンジェルとしての自我はないの。だけど、私を人族から助けてくれたのは彼だったのよ。ほら、メイノからもお礼を言って」
「そ、そうなのじゃな……」
少年の目が再びオレを見た時には、何だかきらきらと輝いていた。
「ヘルガを救ってくれたのじゃな、ありがとう! わしからも深く礼を言うぞ」
「大人しく受けておいて。悪いヤツじゃないんだけど、思い込み激しくて面倒なの。私の不在も魔族の侵攻も、ティルナノーグからそのうちユーミルへ連絡が来るわ。メイノ王にさえ会わなきゃ大丈夫だと思ってたけど、こうして会っちゃったなら仕方ない。バレる前に早くその腕を直して、トンズラしましょう」
ヘルガがこっそりオレに耳打ちする。
確かに、ヘルガやオレのことはティルナノーグに確認されれば、斎藤さんの件まで全部バレてしまう。急いでユーミルを出たいというヘルガの意見もよく分かる。
オレは黙ってヘルガに頷き返し、差し出されたメイノの手を取った。
「あー、うん。偶然行き合っただけだけど、まあオレが助けたようなもの……かな?」
実際は、オレと言うか魔王の方の功績だけど、説明はパスした方が良いだろう。
ヘルガがあえて魔王の存在をぼかしたのは、そういう意図に違いない。
その辺の自覚があるアルセイスが、さっと目線を逸らした。案外笑い上戸のベヒィマが、その表情で吹き出しそうになったけど、ぎりぎりで堪えてる。
にこりと笑ったヘルガが、メイノの肩に手をかけた。
「さ、メイノ。あなたが私の婚約者だと言うなら、婚約者を救ってくれた恩人にはお礼をしないとね」
「礼なら今言ったところじゃが……?」
「いいえ、立派な王ならほら、感謝は行動で示すものでしょ。千年前に勇者と行動を共にしたブリヒッタ女王は、勇者に救われた時に何をしたのだったかしら?」
「ふむ、偉大なる我らが祖ブリヒッタはまず、傷付いた勇者を手当てし、ユーミルで歓待したと言う……分かったぞ!」
ぴこーん、と頭上に電球マークが浮かんだように見えた。
どうもリアクションの派手な王様だ。
「レイヤと言ったな、エンジェルの身体もつ少年よ。我が王城へ来るが良いぞ、その右腕では旅路は辛かろう。……ほれ見ろ、ヘルガ。わしだって、ヘルガを助けてくれた礼として、おぬしを城に呼ぶくらいの心映えはあるのじゃぞ」
後半は隣に立つヘルガに向けた言葉だ。
ヘルガが笑って頷くと、あからさまに嬉しそうな顔でオレ達にくるりと背を向けた。
「よーし、そうと決まれば城に戻るぞ! 何、わしがおれば道中は安心じゃ。城までの近道ならこの上なく探索しつくしておるからの」
アルが苦虫を嚙み潰した顔で、オレの隣に並んだ。どうやら、この単純さや周囲にうまく乗せられている感じが、アルセイスには受け入れられないらしい。さすがに、ここで口を挟むような愚は犯さないにしても。
ヘルガの方はほっと胸を一撫でして、オレの方へウインクを寄越した。どうやら、思い通りにいったらしい。ついでにもう少し乗せておこうと思ったのか、メイノの背を追いながら話しかける。
「それで、メイノはどうやってユーミルを抜け出してきたの? 私のためなんて、ユーミルの民はさすがに認めないでしょうし、いくら抜け道を知っているって言っても、あなたの周りの警護だってそれなりにいたでしょうに」
言外に、それを誤魔化すような器用さはあなたにはないでしょう、と聞こえた気がしたが、オレ達は誰もそこに突っ込まなかった。
たった一人、そんなニュアンスに気付きもしないメイノだけが、上機嫌で答える。
「ふっふっふ、それはな、手伝ってくれたものがおるのじゃ。そやつは、わしのヘルガへの熱い想いに感動したと申してな」
「その、手伝ってくれた人って……?」
嫌な予感がした。
考えるより先に口が動いて、問い返す。
メイノが、歩きながらくるりと回って後ろを向き、オレの顔を見ながら答えた。
「サイトーと言う人族じゃ。最初は怪しい旅人と思い捕らえたのじゃが、存外良い男じゃったな」
聞いた途端、メイノの首根っこを掴んだアルセイスが、真っすぐに駆けだした。
あっという間に遠ざかっていくメイノの悲鳴と怒声を追って、オレも片手でベヒィマの手を握り走り出す。
もちろん、その時にはヘルガはとっくの昔にアルの背中を追い越していた。
ベヒィマの抗議の声が聞こえたが、足を緩めたりはしない。
王様不在のユーミルに何が起こっているか、想像すればするほど、一刻も早く行かなきゃいけないと思うばかりだった。