interlude 混ぜるな、危険
夜が更けても、ヘルガは戻っては来なかった。
ティルナノーグで何かがあったのだろうか。
様子を見に行きたいのは山々だが、この状態のレイヤを連れて行く訳にはいかないし、置いていくことは更に出来ない。
ベヒィマという魔族の少女にしても、信用できないという意味と、怪我が酷いという意味の両方で放ってはおけない。
野営の準備もないが、仕方なく火を起こして、今夜はここで様子を見ることにした。
暗い森を動くのは自殺行為だ。
明日のことは明日考えるしかない。
最初は警戒していたベヒィマも、俺の治癒魔術を受けると、驚いた表情を見せた。
「……どう、して?」
「傷が深すぎて血を吐いているような者を放っておけるか……と、レイヤが言うから」
「いや、ほら。魔族とか何とか言っても、見た目はただの女の子だし。それに、あんたにはもう戦意なんてないだろ」
顔をしかめたベヒィマは、何か言い返そうとしばらく悩んでいたが、結局黙って口を閉じた。
良い判断だ。レイヤのこの、人の良すぎる言葉に対しては、何をどう言おうと同じレベルに落ちるだけでしかない。
今、戦意がないからと言って、回復してからも友好的に遇して貰えると思うなど、甘過ぎるほど甘い。
普段の俺ならば、
それでもレイヤに従ったのは――裏切りたくなかったからだ。
少なくとも俺がそう思う程度には、辛い過去だったのだ。それは。
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張り詰めていたベヒィマの緊張も、火に当たっているうちに緩んできたらしい。
月が沈む頃には、俺のマントを毛布代わりに、少女は深い眠りに落ちていた。ああ見えても魔族の端くれなのだから、死ぬことはないはずだ。少し眠って体力を戻せば、きっと元通りだろう。
そうなった時にまた戦うのは面倒だが、かと言って安易に殺すことが出来ないレイヤの気持ちも分かる。
ふと隣に目を向けると、ちょうどレイヤもこちらを向いたところだった。
「……ごめんな、アルセイス」
「いや」
首を振って返すと、レイヤは困ったように首を傾げる。
「魔族は、あんたらにとっては敵だろう?」
「そうだな」
「オレ……は、純粋な魔族じゃないっぽいけど。でも、ベヒィマは魔族だ」
「それを言うならシトーも同じだし、そもそも――」
ぐっとレイヤの肩を掴む。
黒い瞳が、篝火を映して微かに揺れた。
「そもそも、お前が魔族だろうが何だろうが、どうでも良い。そう言っただろ」
「……ありがとう」
照れたように笑う顔を見ていると、何だか――胸の奥からぞわりと立ち上る衝動を感じる。
些細な表情の変化に気付いて、レイヤが心配そうに見上げてきた。
「どうした、アル? どっか痛いとか」
「いや、そうじゃないが……」
「じゃあ、オレ、何か変なこと言ったかな」
「違う。そうじゃなくて」
悲し気に眉を寄せ、片方だけになった右手を俺の手に重ねた。
「あのさ、ずっと思ってたんだけど、もしかして……あんた、オレと一緒に魔王の記憶を見たのか?」
見透かされたようで、どきりとした。
頷く前に、答えは伝わっていた。
「……やっぱ見えてたんだな」
「悪い」
「いや、好きで見た訳でもないだろ。むしろ、こっちこそごめん。見て楽しいもんでもないだろうに」
「お前だって、好きで見せられた訳じゃないだろう。それに、俺は」
あれを見て、ようやく分かったんだ。
自分が欲しているものが、何なのか。
ゆっくり、身体を近付ける。
レイヤの胸元に頭をもたせかけると、慌てた右手が俺の肩を掴んだ。
「なっ……ど、どした!? そっ、き、気分でも悪いのか? なら、横になって――」
「――違う。分からないか?」
顔を上げると、尖った顎先のライン。
その向こうから見下ろしてくる黒い瞳に、胸が高鳴る。
「お前が、解放したんだ。千年前も、今も」
何を、とは言わなかった。
言わなくても伝わるはずだった。
同じものを見ていたのだから。
千年前の魔王が、あれでシトーとの子を生したなら、俺もまた同じことが出来るはずだ。
確かめてはいないが、ヘルガが「子どもを作れない」と言っていた理由も同じかも知れない。
レイヤの下着――それが、すべての原因だとしたら。
淫欲を解放された者が、子を生すには。
ごくり、と目の前で喉仏が動く。
俺も、息が止まりそうだった。
だが、言わねばならない。
もう我慢が出来ない、と。
「ずっと、自分がおかしいのかと思っていた。お前の指が触れる度に」
「……れ、は」
「もっと触れて欲しくて。こんな思いは初めてだから」
どくん、と心臓が跳ねた。
俺の鼓動だと思っていたけれど、みるみる赤くなる首筋に、違うのかも知れないと思い直した。
エンジェルにも鼓動があるのだろうか。
肩に置かれていた手が、ゆっくり、ゆっくりと背中へ回ってくる。
戦いの最中よりも鋭敏になった感覚は、その手が微かに震えていることまで感じ取った。
承諾の証に、肩先に額を乗せる。
途端に乗せた先の肩が揺れた。
「……っその、ま、いや……あの」
「嫌なら、払いのけてくれ。自分で止められる自信はない」
「やっ……や、嫌とかじゃ、なくて、その」
「嫌じゃないなら」
首筋に添って息を吐く。
唇をずり上がらせると、重心も上に移動する。
レイヤの右手は俺の後ろに回されたまま、その背後を支える手はない。
自然、レイヤを押し倒す形になった。
「嫌じゃないなら、もう我慢しない」
舞い上がる落ち葉の中、レイヤは俺から目を離さない。潤んだ瞳がいじらしい。
黙って目を閉じ、唇を寄せた。微かに柔らかい感触。
俺にとってはこれだけでも十分な愛の証だ。
それなのにレイヤは、レイヤの解放した淫欲は、もっと深くで交われと求めてくる。
目を閉じたまま、指先で探って着衣を乱していく。
繰り返す口付けから濡れた音がし始めたところで、レイヤの右手が俺の背中を叩いた。
「……ちょ、待っ――ん、く……ちょっと! ま……待って!」
制止の声を聞いて、少しだけ身体を起こした。
離れる体温が寂しい。無言のまま先を促す。
「いや、待ってくれよ。オレ、あんま、こ、こういうの慣れてないし……もう少しゆっくり、その」
「魔王は手慣れているようだったが」
「確かに魔王と融合してる部分もあるけど、完全に違ってるところはどうやっても分離してて、それぞれの経験によるんだよ! そもそもオレはいたいけで純真な男子高校生だぞ!? 興味だけはめちゃくちゃあるけど、実際この後どうすれば良いかも……分かんないし……」
段々小さくなる声と、うつむいて逸らされる視線。
その火照った顔を見ているだけで、ぞくぞく背中を快感が駆け抜けていく。
餌を待つ子狼のような目で見上げられれば、俺の出せる答えなんて一つしかなかった。
「俺に任せろ。お前は目を閉じていれば良いから」
「――!? それ、あんたに言われたらオレの立場ねぇよっ」
上ずった声色も、いつもより早い口調も愛らしい。
上からその目を覗き込みながら、唇を歪めて見せた。
「じゃあ、ここで止めるか?」
「止め……る、のは、ちょっと……」
絶対に頷かないと分かっていて聞いた癖に、本当に頷かなかったってだけでこんなにも嬉しくなってしまう。まるで何かに酔っているみたいだ。身体が熱い。
上衣を脱ぎ捨てようと裾に手をかけると、何故かレイヤの方が慌てて目を逸らした。
逸らしてるのに、ちらちらとこっちを見ている。その、餌が気になって仕方のない子狼みたいな仕草が可愛い。
俺は笑いながら、見せつけるように裾を捲り上げて――そこで、ふと気配を感じて顔を上げた。
「……何やってるの、あなた達」
呆れた顔で俺達を見下ろしているのは、荷物を抱えて戻って来たヘルガだった。
こういう時に何と答えるべきか、しばし悩む。
ふと、俺自身にとってはあまり気が進むことではないが、レイヤを求めているのはヘルガもまた同じだということに思い当たり――本格的に身体を起こして、答える。
「……混ざるか?」
「まっ……混ぜるなよ、馬鹿!」
慌てて俺の下から這い出したレイヤが、適度な距離を取った向こうから大声で怒鳴っている。
今の提案にどれほどの苦悩があるのかも知らない癖に、と少しばかり腹を立てつつ、俺も立ち上がる。
乱れた裾を直しつつヘルガへと向き直った。
「遅かったな」
「ティルナノーグで問題が起こったの。ちょっと揉めちゃって」
「問題?」
「そう、タイミングが良いと言うか悪いと言うか……とにかく、あなた達が一晩過ごせるくらいのものは持ってきたから」
言いながら、抱えて来た袋を開けて荷物を探っている間に、俺とレイヤはそれぞれにヘルガの傍へ近寄っていく。一瞬、ふとその距離が縮まった瞬間に、横からレイヤが頬に手を伸ばしてきた。
「――っ!」
「さすがに腹が減ったよ、ヘルガ。こんな身体にも空腹ってあるんだなぁ」
唇の表面だけを掠めるような口付けの後、何でもない顔をして去っていく背中を、思わず凝視してしまう。
……誰に何の経験がないって?
魔王とは完全に分離しているって、さっき言ってなかったか?
尋ねてみたいのに、言葉にならない。
もしも「レイヤ」と呼び掛けて、お前が振り向かなかったら。
いや――振り向いたお前が、俺を「レスティキ・ファ」と呼んだら。
そんなことを考えると、怖くて仕方がないんだ。
お付き合い頂いてありがとうございます。次回からまた新章に入ります。




