15 【遥けき】日々 5
さあ、どうぞこちらへ。
見たいものは決まっているんでしょう?
寄り道は不要ですよ。
斎藤さんの笑いを含んだ声が響く。
私はその声に手を引かれるようにふらりふらりと、歩こうとして。
――何だか、腹が立ってきた。
斎藤さんの思うように引き摺り込まれ、誘われ。
今また、彼の見せたいものだけ見せられ、気付けば思うがままに操られている。
甘く見てるのか。所詮はどうにでもなると思ってるのか。
結局私は何者なんだ、ここまで追い詰められてすら誰かに委ねるのか?
オレはまた、誰かの意志を運命と呼んで目を瞑るのか?
――いや、そんなのはごめんだ。
ここがオレの記憶なら、何を見るのか、決定権はオレにある。
私はくるりと踵を返し、斎藤さんの声から遠ざかる。
えっちょ――ちょっとちょっと!?
どこ行くんですか、ストップ!
待って、ちょ――ストップだって言ってるだろうが!
慌て過ぎて素が出てる。笑って素通りしようとしたら、背後から引き戻そうとする圧力を感じた。
――が、斎藤さん、ここをどこだと思ってるんだ?
私は斎藤さんの気配に手を伸ばし、ぐっと床に押し付けた。
あんまり簡単だったので、思わず笑ってしまった。
これまで私を翻弄し続けた男も、私の内側ではこんなにも無力だ。
驚愕と恐怖、懇願が手のひらから伝わってくる。
ま、待って……ちょっと。私はただあなたを止めたいだけですよ!
この先には何も見るものなんてありません――
言い訳を聞いても、足を止めようって気にはならなかった。
そこまで、斎藤さんが隠したい何かは、この先にある。
ならば――無力な斎藤さんを踏みつけて、私は更に歩を進める。
気合を入れてぐっと踏み込んだ途端――すこーんと地面が抜けた。
ヤバい。落ちる。
激しい風切音。
上か下か――ああ、飛ばされる。
ぐるりぐるりと世界が回る。
私の――オレの――誰かの夢。
交差する絆。深まる溝。
孤独に倦んだ心が、誰かを求める。
理想の実現を目の前にして、心が跳ねる。
お前の――あんたの――誰かの抱えた想いが、腕の中から転げ落ちる――
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電源を落としたエンジェルの、見開かれたままの黒い瞳。
ガラスのように平坦だった。
つるりとした表面に、覗き込む私の顔が映っている。
私は出来る限り表情に出さぬように、意思のない瞼の隙間に指先を突き立てた。
コツン、と硬質な感触の眼球が爪に当たる。転がり落ちて抉り出した目玉の奥、視神経に指先で触れる。オイルに滑る指を潜り込ませると、ようやくインターフェースに突き当たった。
記憶を写しながら、目を伏せる。
私の代わりをさせるため見た目も私に似せて改造したエンジェルは、物言いたげに唇をわずかに開いて、残った片方の目でこちらをじっと見据えている。
「……魔王さま」
「何だ」
背後から呼ぶ声の低さに、反射で叱り付けそうな心を抑えて振り向いた。
最近、シトーの声色は、妙に私を苛立たせる。
何かが絡みつくような、声で縛られるような、その手の気色悪さを覚えるのだ。
スィリアに率いられた人族達。
レスティキ・ファを中心とするエルフ達。
魔族だけではなく、他の種族とも手を取り合って、ようやく女神に立ち向かう基盤が整ってきたところだった。
それぞれの種族の持つ女神の羽根――聖武具を使えば、今度こそ女神を顕現させられるはずだと。
夢の実現は近い。
それなのに、シトーの様子がどこかおかしい。
一度尋ねなければと思いつつも、妙に近づくのが怖くて放っておいたのは――私の問題だ。
諦めて振り返った先で、シトーが私を凝視している。
「魔王さま、ここは寒い。そろそろ戻りませんか」
「待て、直近の記憶差分を移行するまでまだ少しかかる」
指先をエンジェルの眼窩に食い込ませたまま答えると、すっと近寄ってきたシトーが横に並んだ。私の手の甲に人差し指で触れる。
「……もうよろしいのでは」
「邪魔するな、良い訳ないだろう。複製の記憶が曖昧では、女神を誤魔化すことが出来ない」
「そのことです。そもそも女神を斃すなど……もうよろしいのではないでしょうか」
「何……?」
手の甲から離れたシトーの手が私の顎先を捉え、丁重に、だが確かな力で自分の方を向けさせた。黒い瞳は目の前のエンジェルの素体と同じ静かさで――だが、その奥には確かな炎を感じる。
自らにも覚えのある感情。
誰かを狂おしく求める思いだ。
「おい、シトー……」
「あなたは家族を手に入れた。魔族達はもう孤独ではない。もうこれでよろしいのでは」
「馬鹿な――」
一瞬答えに詰まったのは、けしてそれで良いと思ったからではない。
シトー自身も知っているはずの答えだからだ。
「言っただろう。この世界における魂の輪廻は破綻しかけているのだ。幾度もの複製を繰り返して、傷付き、異常を伴う魂は修正される。だが、修正しきれない魂は取り除かれる。魂の総量は徐々に減っていくばかりだ。我々は新しいものを作らねばならぬのだ、と――お前はその目的に賛同したのではないのか!?」
「……しかし、女神の監視の目は想定以上に厳しい。実現は確かに近づいていますが、同時に私達の改変に対し、あちこちで直接に女神が手を入れ修正した跡が見えます。なのに、女神本人は未だ姿を見せていない」
苦々しく返されて、今度こそ答えを見失った。
確かに、我々の計画は行き詰っている。加えて、ここしばらく不審なことが増えていた。
一つ、保管しておいたエンジェルの死骸――私達の記憶複製の為の素体が、いつの間にか廃棄されている。
一つ、私達と共闘を誓った8種族――彼らと共に集めた武具の行方が分からなくなったものがある。
一つ、終末に向け、我らが手懐け使役していた魔物達が、知らぬ間に姿を消している。
どれも、管理不行き届きなどという話ではない。
ほんの少し目を離した隙に、私達の手の中から失われているのだ。
「……女神は我々をどうやって監視しているんだ。それさえ分かれば」
「方法なんて簡単ですよ、我が主」
耳元に口を寄せ、シトーが囁く。
「あなたの元には、次々に人々が集まってきている。その中に、ほんの少し異分子を紛れ込ませるのです。ほら、怪しい存在がいるでしょう――」
――人族の王子スィリア。
シトーの声が、その名を吹き込んだ。
ぞわりと肌が粟立ったのは、嫌悪か、それとも――
「――離れろ、シトー。証拠もなく、仲間を貶めるような発言は許さん」
「別にあなたに許されなくても良いですよ。それよりも……」
すん、と鼻を鳴らす音が聞こえた。
咄嗟に突き放そうと回した手を、握りしめられた。
顔を上げた途端――捨てられた家畜のような哀れな瞳が間近にあった。
「このままじゃ、何もかもあんたが責任取ることになっちまう。止めてくれ、全部背負うなんて……俺を置いていくつもりかよ」
何と答えるか思案した隙に、唇が降りて来た。
見開かれたままのエンジェルの瞳に、私の身体に重なるシトーの影が映っていた。
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……見るなと言ったのに。
昏い、暗いシトーの声。
ノイズがかかって聞き取りづらいが、そこには確かに恨めしい響きがある。
私の中で、レイヤが苦笑した。
言わなきゃバレないと――断罪されないとでも思ったのかよ、馬鹿みたいだ。
ひどく憔悴したシトーの意識が、私を取り囲んでいる。
誤魔化しと虚構を散りばめた上っ面の向こうに、一片の気遣いがちらりと見えた。
もうとっくの昔に終わったことで、今更――私にすら憎まれたくないなんて。
なんて、愚かで、哀れな。
私は自分の胸元を静かに撫でる。
身体から切り離された私の記憶が、肉体を在りし日のままに構築する。
柔らかなまろみを帯びた胸元。たおやかな腕。
この手でレスティキ・ファを抱いた日のことが、ありありと思い出される。
これがお前の裏切りか、とシトーに問うた。
返ってきたのは、空虚を埋める無言だった。
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こんな展開を予想していなかったなんて、本当に愚かだ。
自分で自分を嘲笑うしかない。
下着解放で、生きとし生けるものの淫欲が解放された。
解放後の世界では、遺伝子を混ぜ合わせ子孫を作ることが出来るようになった。
――私は、レスティキ・ファのことしか考えていなかった。
求めあい、与え合う、その行為。
世界構築の段階でのみ必要だった古い情報を元に、手探りで絡み合う私達の。
迂闊だった。
シトーにも当然、そういう欲望が芽生える可能性もある。そんな簡単なことを忘れるとは。
レスティキ・ファの優しい手とは違う、荒々しく暴かれる痛み。
抗う手は、声には、力が入らなかった。
熱い息の纏わりつく喉元で、低い声が問う。
「あんた、知らなかっただろう」
「知らない? 何を」
「淫欲のある世界には、『男』と『女』の役割には区別があるんだ。鍵と鍵穴が互いに噛み合うように」
「男女……」
ならば、お前が私の鍵か。
何度交わってもレスティキ・ファとは作れなかった新しい情報を作るための。
男だの女だの意識もしてなかったと言うのに――自らの選んだ道の先に、そんなものがあろうとは。
「……たとえそうだとしても、私は決してお前を許さん。二度と傍には寄らせぬぞ」
言い放った瞬間に、シトーの瞳の奥を過ぎった絶望の色は、最後には熱情に塗り替えられて消えた。
残るのは私の中の、燃え盛るような痛みだけだった。
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あなたに見せたくない、というよりも。
ただ、俺が見たくなかっただけなんだ。
だって、記憶の中で、何度繰り返しても結末は変わらない。
どんな痛みをもってしても、あなたを、私の傍に止めることは出来ないのだから。
後悔ですらない繰り言が、瞬いて、消えた。
ぐるりと回った視界が、流れていく時間の先へ私を導く――
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我が命は無限。
我らは永劫を生きる者。
女神に与えられた羽根――管理者の長たる証。
発生した異常を刈る為の聖武具――アダマンティンの大鎌がある限り。
女神の下した判定では、私の存在は罪。
胎に抱えた新たな生命ごと。
彼女は私を許しはせぬだろうと、最初から分かっていた。
だが――想定していなかったのは。
心臓を貫くその剣。
滴る血で濡れた手。
その先には、一人の男。
ゆっくりと顔を上げる。
正面から私をじっと見据える黒い瞳。
「……まさか、お前が……」
この胎に宿るのは、お前の子でもあると言うのに。
私の信頼を片端から踏みにじって、お前は何を求めているのだ、シトー。
私の声に応えるように、端正な顔が微かに歪んだ。
ちょっとずれ込みましたが、次回で過去のお話は終わりです。




