13 【遥けき】日々 3
「わらわはな、自由になど興味はないぞ」
くはあ、と気だるげな欠伸。
私は困惑し、眉を顰めた。
波の音、白い砂の敷き詰められた床。
天井の穴から、揺れる光が差し零れる。
海底だと言うのに、何故かここだけ呼吸が出来るのはありがたい。
真珠に珊瑚、玉座は宝石に囲まれている。
その上に、半人半蛇の女はだらりと身を持たせかける。
蛇身の鱗が、床に落ちた光に当たってきらりと光った。
同胞察知の届かぬ海底、ようやく見付けた5人目の同胞は、黒い瞳で私を見下ろしている。
「お前の軍門に下るつもりはない。わらわには下僕は大勢おる故に……特段に苦労も感じておらぬ。話はそれだけか? 終わったなら、帰っておくれ」
「いや、お前一人が興味ないと言ったところで世界は――」
「――これ、誰ぞおらぬかえ」
乳白色の貝殻に飾られた長い尾が、身じろぎに合わせじゃらじゃらと音を鳴らす。
途端に、急速度で海上から飛び込んできたマーメイドが一人、私の横へ並んだ。
「お呼びでしょうか、管理者さま」
「客人のお帰りじゃ。とっとと追い返せ」
「はっ……あの、しかし……こちらも同じ管理者さまで……」
ちら、と私を見上げるマーメイドの黄金の瞳に浮かぶのは、躊躇と恐怖。
その表情に一瞬、レヴィが苛立ったような怒りを黒い瞳に浮かべた。すぐに押し込めるように瞼を伏せたが。
海魔レヴィが海底に君臨するのは、管理者である故。ならば、同じ管理者たる私に対しても礼を失してはならないと、マーメイドは考えているのだろう。言いつけに従うべきか否か、迷っている。
その躊躇に付け入ってごねれば、まだここにいることも可能ではある。しかし、そんなマーメイド虐めには気が乗らぬのも確かだった。
「大丈夫だ、何をせずとも自らの足で帰るよ」
「は、はあ……」
「では、レヴィ。また来る」
縮こまるマーメイドと呆れ顔の海魔レヴィに片手を上げて見せ、私は踵を返した。
簡単に説得を諦めるつもりはない。ただ出直すだけだ。
しかし、自らの境遇に不満を感じぬ者をどう言って説得するか、非常に難しい問題であることは確かだった。
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「で、ドウスんだよ。聞いた話じゃ、レヴィには俺らがイラナそうだって」
「そうだな、シトー……じゃない、ジーズか」
後ろから声をかけられて振り向く。予想とは違う人物が立っていたので、慌てて頭を下げた。
「悪い、シトーと間違えた。口調が似ているように思ったから……いつの間にやら、随分と流暢に喋るようになったな」
「あの人、ウルッセーんだ。俺がテキトーな喋り方してるとオコルし……」
そう言えば、以前ベヒィマがそんなことを言っていたか。シトーに懐いているようだと。
シトーと普段どんなやり取りをしているのか聞きたいと思ったが、私が口を開く前に、目を逸らしたジーズが話を戻す。
「それより、レヴィだロ。あいつ多分、このままじゃ仲間になんかナラナイぜ」
「ああ……」
もしも、レヴィがそれで満足なのなら、それでも良いのかも知れない。
だが、しかし――
「このまま放っておいて、女神に言いつけサレルのもシャクだしな。人魚の海底ゴト吹っ飛ばすくらいしてやれば、さすがにサミシクなるかも」
「いや、それは」
「そうなのカ? でも、俺らの動きをバラされたら困るだロ? じゃあ、殺すカ」
極端過ぎる――だが、確かに私の頭の隅でちらりと舞った思いつきを、言葉にされた。
ごくりと喉を鳴らした瞬間、扉が開く。
開いた扉を引いて中に入ってきたのは、先ほど話題の主となっていたシトーだった。
「あ、こんなところにいた。何やってるんですか、ジーズ。魔王さまの邪魔をしてはいけないとあれ程言ったでしょう」
「ほーら、ウルッセーのが来た……じゃあナ!」
「こら、ジーズ――!」
入れ替わるように扉から駆け出ていく背中を、シトーは腰に手を当てて眺めている。
その姿が私にはあまり馴染みのない風だったので……思わずくすっと笑い声が漏れた。
「魔王さま。人の顔見て笑うとか、止めてくれねぇか」
「いや、すまん……くくっ、いや、親としての風格が出て来たと思ってな」
「親なもんか。あんな状態で放っとけねぇって思っただけだ」
「だが……その、さっきの口調も意識してやっているんだろ? ジーズが真似するものだから、丁寧な口調を覚えさせようと」
シトーの頬がかっと赤くなった。そのまま片手で目元を覆い、私から顔を隠してしまう。
さすがに私も笑うのをやめたが、真剣に謝るべきかと少し悩んだ。
そんな躊躇の間に、シトーが絞り出すような声で話し始める。
「……あんたは、管理者の長なんだから」
「お、おう」
「あんたと話すときは、丁寧に話せっ……ったら」
「うむ……」
「俺が手本を見せろっつーから……仕方なく、たら、癖になって……」
最後はほとんど聞こえないような声だった。何やらとても恥じ入っている様子だが、何がそんなに恥ずかしいのか、私には分からない。やって見せるのは、物を教える時の基本だろう。
とは言え、このまま黙って座り込みそうな勢いのシトーを放っておく訳にもいくまい。私は軽く頷いてから、思いついたことを口にした。
「私と話す時に丁寧にと言ったのなら、お前も普段の口調じゃなく、私との会話を直せば良いのじゃないか?」
シトーは一瞬、動きを止めた。
しばらくの無言の後、覆っていた手を外し、顔を上げる。
黒い瞳がにやりと歪んだ。
「魔王さま、私はあなたの下僕、一の配下。どのようなご命令であろうとも、あなたの思うがままに――」
「――やめろ、気色悪い。分かった、私が悪かった」
「いいえ、魔王さま。やめませんとも。我が主、我が命、我が王。我らが支配者よ、魔族の長よ! 私どもはただ、あなたに従う子羊です」
「やめろぉ!? お前、普段と言ってること違い過ぎるだろ!」
――とっ捕まえてぶん殴るまで、シトーの悪ふざけは止まらなかった。
いや、その後も何だかんだで同じことを繰り返され、その度に。
その度に気色悪いと叱り付けたが――それ以上に、酷く寂しかった。
私は、違う。
私は――私が求めているのは。ただ。
――私は本当に、魔族の長たる資格があるのだろうか。
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「先に追い払われたと言うのに、またわらわの元に来るのか。此度こそは違う演し物を用意してきたか?」
人魚の海底の静かな空間で、レヴィは妖艶な笑みを浮かべている。
私は黙って首を振り、その正面に立った。
「ならば、わらわの心を動かすような魅力的な提案があると言うのか? まさか、馬鹿の一つ覚えのように、ただ配下に下れとのたまうだけではあるまい」
「いや」
長く黒い髪に、天井から差し込む光が波の形を揺らす。
レヴィの赤い唇が僅かに歪んだ。
「では、何のために」
「私はお前に配下になれなどと言った覚えはない」
「魔族の長と名乗っておいて、何を言う」
ずるり、と長い尾が床を這う。
その尾の隙間を真っすぐに詰め寄り、レヴィの手を取った。
「私の求めているものは、同じ目線で共に歩む者だ。たとえ一人きりでなかったとしても、お前が海の管理者ならば、私は――私達は、お前の孤独を知っている」
見開かれた黒い瞳を覗き込み、その手を我が胸の中央に当てる。
「私はただ、家族が――共に生きる者が欲しかっただけだ。私に王の器などはあるまいよ。だから、お前を無理に誘うつもりはない。だが――」
掴んだ指先は冷たい。
だが、その手が動いて、私の指を握り返す力を確かに感じた。
「だが、お前が呼べば私は必ずお前の元に駆け付ける。紅に染まる朝に、時の止まった午後に、孤独な夜に。いつでも、どこからでも」
何故ならば、お前もまた我が同胞であるのだから。
レヴィは呆れたように唇を歪め――そして、結局は何も言わなかった。
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うまくいっていると思っていた。
馬鹿にされることも、甘く見られることもさしたる問題ではない。
それは――反応が返って来るということは、孤独ではないということと同義だから。
何であろうが、言葉があるということだから。
誰かがそこにいるということだから。
今思えば、私は浮かれていたのだろうか。
誰かを信じられる喜びに酔っていたのかも知れない。
何の警戒もしていなかった。
全てうまくいっていると思っていた。
近しい人々と過ごす時間の甘美に。
一つの目的を共にする幸福に。
自らの手で誰かを喜ばせる歓喜に。
ただ、溺れていた。
孤独を追いやったというだけで、より深い不幸の味も知らぬ癖に。
だから、それは或いは当然のことだった。
その男を頭から信じ、不用心に受け入れた。その報いを受けたのだ。
私の持つ幸福の全てを、愛する人々を巻き込んで。
我らと同じ黒い髪を持つ男は、その名をスィリアといった――。




