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【短編】生きていて、生きていた。   【シリーズ】

跡なき雲の果てぞ悲しき

作者: FRIDAY

 彼女の葬送者は、僕だけだった。今際の彼女の最期の望みだった。それが、どうして僕だったのかは、今になってもわからない。

 彼女は幼なじみだった。明るくて活発な、僕と全く違う人だった。彼女しか仲のいい人のいない僕と違い、彼女の周りには多くの人がいた。それでも、彼女は僕と仲良くしてくれたけど。

 僕と違う彼女は、歩む人生も大きく違った。暗く、曖昧な僕は陰気な人生を送っていたが、彼女は実に成功した人生を送っていたと思う。少なくとも、そう思っていた。

 品行方正、成績優秀、運動能力にも恵まれ、友人も多く、家庭にも不和はない。一流の大学を経て一流企業に就職、立派で優秀な男性とも結婚が決まっていた………前半は遠くからの僕の主観で、後半は風に聞いた話だった。大学に進学した頃から縁遠くなっていた彼女だったけれど、彼女の幸せな人生を聞いて僕も嬉しかった。彼女は善い人だから、幸せになるべきだと思っていたから。

 僕自身は彼女と特別な関係になったことはない。僕にとって彼女は好意よりも敬意の対象だった。彼女も、多分気安い話し相手くらいには思ってくれていたと思う。実際、行きつけの喫茶店で彼女の惚気話を何度も聞いた。彼女の幸せを聞くのは楽しかった。まあ、彼女の相手は何度か変わっていたけれど。失恋話も聞いたことがある。そんな関係だった。社会人になってからも、ときどきは会って話もする。そんな関係だった。


 それは唐突だった。

 仕事中に、彼女は突然倒れた。

 すぐに病院に運ばれた。彼女の家族も駆け付けた。出張中だった彼女の婚約者も飛んできた。

 なのに、辛うじて意識を取り戻した彼女が呼んだのは、僕の名前だった。

 いつも通りの仕事を暗然とこなしていた僕は、その知らせを聞いて慌てて駆け付けた。僕の勤務していた会社と、彼女の運び込まれた大学病院が近かったことが幸いした。僕は間に合った。

 取るものも取り合えず病室に駆け込んだ僕を確認して、彼女は二人にしてほしい、と言った。彼女の両親は拒もうとしたが、婚約者の男性が背を押した。一番辛いはずの男性の拳は、蒼白になるほど握られていた。僕と彼とは、彼女の話には聞いていたもののそれが初対面だった。

 医者も含め全員が部屋を出たあと、彼女は僕に御免ねと笑った。点滴や、他にもいろいろなコードに繋がれ、人工呼吸器をつけた蒼白な彼女は、迷惑かけて御免、と言った。僕は何を言えばいいのかわからなくて、ただ首を振るだけだった。

 彼女は確実に意識が遠くなっていっているようで、何度も言葉が止まりかけたけれど、彼女は懸命につなぎ止めて、僕に短い話をした。

 そして、最期に、葬式はしないでほしい、そして見送りは僕だけにしてほしい、と言った。我が儘言って悪いけど、と。僕は構わない、と言った。彼女は有り難う、と言い、


 そして彼女は息を引き取った。



 病室を出て、静かに僕を見る一同に俯いたまま首を振ってみせると、皆から啜り泣きが溢れた。彼女の婚約者は僕の頬を思い切り殴った。でもそれだけで、どうしてお前が、とも何とも言わずに堪えていた。握った拳には血が滲み、噛み過ぎた唇は切れていた。僕も内頬は切れ鼻血も流れたけど、理不尽だとは思わなかった。むしろ、この一撃しか出さない彼を、優しい人だと思った。

 すいません、と小さく言うと、彼は喉の奥で押し殺した嗚咽をした。

 彼女の遺言を皆に伝えると、皆黙って了承した。それは彼女の人徳だった。


 僕は彼女を見送る。彼女との約束通り、一人で。

 どうして彼女が望んだのが家族でも婚約者でもなく、単なる幼なじみでしかない僕だったのかはわからない。僕がそのことに対しどう受け止めればいいのかも、何も。

 火葬場の煙が、静かに空へ吸い込まれるように消えていく。

 彼女の遺した物はわずかながらでもあるにはある。

 でも、彼女自身はいなくなった。

 彼女が遺していったものは多くある。

 でも、それをくれた彼女は、もうどこにもいない。


 突き抜けるように天気のいい日だった。煙はどこまで広がるのだろう。あの雲の向こう、空の果てにまで届くのだろうか。


 そこに彼女はいるのだろうか。


 初めて、涙が流れた。ただただ静かに、涙だけが流れた。


 彼女のために流す涙の名前は、僕にはまだわからない。



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