第4話
現国王ウェヌスは未だ21歳という若さ。優秀な部下たちに守られ、支えられながらアルクス国を統治している。
噂によると流れるような白銀の髪に、海を思わせる蒼い瞳の持ち主らしい。常に溌剌として、甘い声は貴族の子女たちを惑わしているとか。
尤も、ウェヌスがどんな容貌をしているかなんて平民男子であるルーノにはまったくもって関係のない話。
だが、そんなルーノでも最近のウェヌス国王陛下の話は色々と耳に入ってくる。
何でも、他国の王女が嫁いでくるとか。
ウェヌスは今まで浮ついた話がない。正室はおろか側室も1人たりとも選ばず、男色ではという噂まで立ったことがある。
しかし、国王が堅実かつ慎重になるのも無理はない。
先王ラパスは強欲だった。
領土も広くないと気が済まない。女も、気に入ったら手を出さずにはいられない。
だからこそ、内乱が起きたともいえる。
ラパスの崩御は突然だった。暗殺されたと専らの噂である。遺言はあったのかもしれないが、少なくとも一般市民が知ることはなかった。
その前に跡目争いが起こったからである。
数多くいるラパスの実子、その中でも継承権を与えられた者と、その者が擁する貴族軍人が小競り合いを起こすまでそう時間はかからなかった。
落胤と蔑まれた者も、野望を抱いて争いに加わった。
継承権を与えられていたのは6人。
第一王子は王よりも傲岸不遜だった。何でも自分の思い通りにならないと気が済まない、子供のような男。癇癪を起すと怖いが、手玉に取りやすい性格だったため取り巻きも多かった。
第二王子は、かなり出来た人物だった。3番目の側室の子供で、帝王学も学んでいた。それが第一王子には面白くなかったのかもしれない。第一王子と共に狩りに出た際、落馬で亡くなった。第一王子が殺したというのは公然の秘密である。
第三王子は領土拡大のために、老いた王や自ら出陣しようとはしない第一王子の代わりに指揮官として軍を率いていた。カリスマ性と場を見極める目を持っていた彼は、当時の最有力候補だった。しかし内乱の際、第一王子の軍と争いになり、第一王子を討ち取ったものの本人は行方不明。今に至る。
第五王子はラパス王が崩御する数か月前に病死している。生来体が弱かったという記録と医者のカルテも現存しているため、信憑性は高い。
第六王子の勢力は、内乱が起きた際先崎に第一王子によって潰された。元々欲目が強かったらしく、先走り過ぎたのだろう。
そんな感じで他の勢力が共倒れをしていき、漁夫の利のようにして第四王子、現在のウェヌス国王の治世は始まったのである。他の派閥が弱体化していくのを待つ腹黒い王だの、戦えない軟弱者だ言われているが評判は好意的。度重なる戦のせいで高くなった税も戦争以前のものに戻ったし、法を是正し不正には断固たる処置を下していく。そのためいくつもの貴族が没落することとなったが、自業自得である。
そんな人気の国王に……嫁。国民が騒がないわけがない。
「……あーあ、お偉いさんってのは大変だねぇ」
未だ身を固めるつもりが毛頭ないルーノ・ファクティス23歳であった。
視界の端に、染料を落とした髪がちらつく。
金に染めるのはいいが、その後黒に染め直すのも面倒だ。
だが、暫くルナーのときは髪を金色にしていないと面倒かもしれない。
ルーノの脳裏に、いきなり告白してきた憲兵の顔がちらついた。
あいつらの目を誤魔化すのに、髪の色を変えるというのは有効だろう。
しかし、いちいち染め直すのも億劫に感じてしまっていた。
何時もの通り黒尽くめの恰好で町を出歩いていたルーノだが、少年がルーノとぶつかってきてしまったため足を止めざるを得なくなる。
「あっ、すみません!」
まだ10代前半の男の子は、律儀にルーノに頭を下げてからすれ違った。
「……まあ、いいか」
ルーノは息を吐いて、なくなった財布を諦めることにした。
どうせ、中身は空なのだ。
「あー嫌だ嫌だ」
浮浪児は減った。
だがいなくなったわけではない。
そんなことのあった日の翌日。
男の恰好で酒場に繰り出そうとしたルーノは、見覚えのあるものが落ちているのに気付いた。
「……俺の財布」
拾い上げ中身を確認するも当然カラ。
そういえば、昨日はこの近辺で財布をすられたのだ。
律儀に返してくれた、というわけでもないのだろう。
溜め息をついてルーノは拾ったものを懐にしまった。
「おい」
だというのに、ルーノに声をかけてきた少年がいた。
「その財布、俺のだ」
「はぁ? 何言ってやがる。これは俺の……」
言い返しかけたルーノだが、途中で舌打ちをしたくなった。
そして、言葉を変える。
「これは、俺が拾ったんだ。だから俺のだよ」
「ふざけんなよ! 俺のだから返せよ!」
少年が大声を出したため、自然と注目を集めてしまう。
ここで財布を渡したところで、今度は「中身がない」と騒ぐ。ルーノが持ち去ったとしても、それでまた騒ぎ出すつもりなのだろう。
あまり注目を集めたくないルーノとしては、嫌な相手だ。
「……仕方ねえな」
ルーノは拾ったばかりの財布を放り投げた。
「あっ!」
慌てて、少年は財布を受け止めようとする。
少年が財布を受け止めたとき、既にルーノはその場から逃げ去っていた。
「チェ」
少年は舌を出し、踵を返した。
そして路地裏に入り込む。
人の気配がまったくないところにまで来てから、少年は立ち止まった。
「なんだよアイツ、儲け取り損ねちまった」
「ほー、そりゃ良かった」
突然聞こえてきた声に、少年は身を竦ませた。
暗がりに、闇に紛れるようにルーノが立っていた。
「お、お前……!」
「とりあえず、よくもやりやがったな」
ルーノは容赦なく、少年の後頭部に拳骨を落とした。
少年が頭を押さえ蹲る。
「……ったく」
腕を組み、ルーノは少年を見下ろした。
「とりあえず、これは返してもらうからな」
少年が落としてしまった財布を拾い上げる。
「そ、それ俺のだ!」
「いーやこれは俺のだ」
財布の裏を少年に見せた。
そこには花の刺繍がされていた。
「これこれ。ほらここ、ちょっとミスっちまったんだよ」
「……アンタ、刺繍すんのか?」
驚いたように、呆れたように少年がルーノを見上げる。
「ああ、悪いかよ」
似合わないと自分でも思っているらしく、若干拗ねたような表情になるルーノ。
「ま、これに懲りたら狙う相手をちゃーんと選ぶんだな」
そう手を振り、ルーノは少年に背を向けた。
「……憲兵に、突きださないのか?」
「ん? 突き出してほしいのかよ」
呼び止めてきた少年に、ルーノはつまらなそうな目を向けた。
「そ、そんなわけじゃないけど……」
「ならいいじゃねえかよ。俺だって、テメエを突きだして聴取取られるのが面倒なんだよ」
それはルーノの本心の言葉だった。
「め、面倒……!?」
それが少年には信じられなかったのだろう。
「……お前、それでいいのか?」
「いいんだよ。……お前、スリなんてやってるくせに根は真面目だな」
呆れたようにルーノは少年を見下ろした。
「る、るせぇっ!」
図星を刺され、少年が叫んだ。
「仕方ねえだろ!? こっちだって生きるために必死なんだからよ!」
「ならいいだろ? 憲兵に突き出さないっつってんだから」
どうしてわざわざ自分が不利になることを言いだすのだろうか。
「……もしかしてお前、捕まりたいのか?」
「そ、そんなこと……!」
しかし少年は言葉に詰まる。
「……ふん、面倒な」
後頭部を掻き、懐を弄った。
財布は盗られてもいいが、これだけは絶対に手放せない。