第2話 ①
家の窓からは、城が見える。
大陸ウォーゲンス東部に広がる大国アルクス。
ここはそのアルクスを総べる国王ウェヌス様の御膝元。つまるところ城下町だ。
アルクス城を中心として城下町は広がるのだから、ある程度の高ささえあればアルクス城を拝謁することは容易。
そんなわけで、毎朝窓からアルクス城を眺めるのが日課となっていた。
そして、呟くのである。
「国王ウェヌス様、どうか今日も1日平和でありますように」
もちろん国王が、こんなちっぽけな人間の呟きを聞き入れることなどないだろうが。
それでも、ルーノは毎朝言うのであった。
実のところ、ルーノの占いはかなり評判がいい。占いで今まで外したことがないというのは本人談であるが、それを信じてしまうくらい的中率が高い。
だというのに、そこまで高名でないのは……恐らく本人のやる気のなさだろう。
自宅と店を兼ねている2階建ての一軒家は古く、手入れもちゃんとされていない。看板も出していないのだから、あまり人が寄り付かない。来るのはルーノと個人的な交友のある者か、その紹介者くらいだ。
だからルーノも真昼間から安眠を貪っているのだが……今日もそれを邪魔する者が現れる。
「おいルーノ! ルーノ、いるんだろ!?」
入って来たのは十代後半であろう青年だった。
人工的に染めたであろう、安っぽい金髪は肩のあたりでざんばらに切られている。ダークブラウンの瞳は今は険しく、まるで烈火のよう。庶民からすればそれなりに値の張るであろう動物の革から作ったジャケットはすっかりとくたびれてはいるものの、それはそれで味が出ていて青年には似合っていた。外見よりも実用性を重視した服装では、そのジャケットが唯一と言ってもいいくらいの洒落物であった。
「……あぁン?」
あれほどの声で怒鳴られていたら、いくらこの部屋の主が図太くとも起きざるを得ない。
しぶしぶ、ルーノは顔の上に乗せていた本を持ち上げた。どうやら陽射し対策であるらしい。
「誰かと思えば……ニクスじゃねぇか」
不機嫌オーラを隠さず、飛び込んできた男を睨む。
「ああ俺だ! 何でオレが来たか分かるだろ!?」
「分かるか。安眠の邪魔だ。さっさと出てけ」
取りつく島もない、とはこのことだろう。
「おいおい、連れないこと言うなって! オレはオメエに依頼に来たんだよ!」
一応、ルーノの方がニクスよりも年上である。だがお世辞にもニクスの言動は年長者をたてるものではない。
それをルーノが咎めないし、むしろ敬語なんか使われたら生理的に受け付けない。ニクスも目上を敬うような性格ではない。
「……依頼?」
ニクスの言葉を聞いて、ルーノの表情が変わった。
足を机の上から下ろし、持っていた本を置いて居住まいを正す。
ルーノが聞く気になり、ニクスもさらにまくしたてた。
「ああ!」
ニクスは懐から、大切そうにしまっていた1枚の布きれをルーノにつきつけた。
否。ただの布きれではない。
女性もののハンカチだ。
「これの持ち主を探してくれ!」
その叫びを、ルーノは心の内で何度も反復した。
持ち主を探してほしい。
何の?
女性もののハンカチの。
「……お前、まさか」
「ば、んな、んなわけねえからな!」
勝手に真っ赤になって勝手に弁解するニクス。
これは、そういうことだと判断していいのだろうか。
「……へ~~~え」
ニヤニヤ笑いを浮かべるルーノ。
「まさか、あんたに甘酸っぱい青春時代が来るとはね~」
「ど、どーでもいーだろーが! いいからさっさとこれの持ち主を占いやがれ!」
ニクスが机を勢いよく叩く。
そうして机の上に置かれたのは、何枚もの銅貨だった。
その枚数を数え、ルーノは頷く。
「足りないな」
「はぁ!?」
思わずニクスが声を上げた。
「ほらほら、惚れた女に返したいんだろ? 男見せろや」
ルーノの表情は、悪徳商人そのものだった。
「あ、足元見やがって~!」
肩を震わせ唸っていたかと思うと、ニクスは無造作にポケットの中に入れていた銅貨をさらに机に叩きつける。
「持ってけドロボー!」
「毎度~」
唇の端を持ち上げ、嬉々としてルーノは計12枚の銅貨を数え、財布の中に入れた。
それから、ニクスから受け取ったハンカチをしげしげと眺める。
そこまで上質な生地ではない。使い込まれてはいるが清潔さが保たれていた。
「おい、頼んだぜ!」
「誰に向かってモノ言ってんだよ」
ニヤリと笑い、ルーノは商売道具である水晶を取り出した。
「このルーノに見つけられなかったものがあるか?」
ルーノは意識を目の前の水晶に集中させる。
対象はハンカチ。
そこから伸びる“糸”を辿り、その先に続く光景を水晶を通して視る。
部屋を出て路地を進み大通りを渡り―――やがて一軒の家に辿り着いた。
そしてルーノの目に1人の少女が映る。
茶髪のボブカット。同色の瞳は少し垂れ、どこかおっとりしたような印象を受ける。
まだまだ色気がなく、飾りっ気もない。
知らずのうちに詰めていたルーノが吐き出したことに気づき、おずおずとニクスは口を開いた。
「……どうだ?」
「ここから……あまり遠くない」
机の引き出しから城下町の地図を取り出し、ルーノはある一点を指し示した。
「ここの家。名前とかは自分で聞け」
「そうする。下手に調べてストーカーなんて思われたくないしな」
そうニクスは笑い、ハンカチを手に取った。
「そのハンカチ、大切にしていたものみたいだからきっと喜ばれるぜ」
「ああ。サンキュな!」
慌ただしくニクスが扉を開け、出て行った。
ようやく安息が訪れ、ルーノはまた居眠りの体勢に入る。
これ以上深入りして馬に蹴られるのは御免だ。
そんなことがあってから数日が過ぎた頃。
いくら地元で評判とはいえ依頼が入るのは不定期。
銅貨2枚でパンひとつしか買えないこのご時世、ルーノも餓えを凌ぐためにはずっとあの仕事場にいるわけにはいかないのだ。何せ食料はすぐになくなる。
普段着のシャツの上にやはり黒いスカーフにロングコートを羽織り、まるで人目を避けるかのようにフードまで目深に被っている。全身黒ずくしの姿は下手をすると不審者に間違われかねないのだが、ルーノは気にしていなかった。
「とはいえ、なぁ……」
パトロンがいるわけでもないのでルーノの地位は低いものだ。身元も確かではないし、何より本人が真面目に働くタイプではない。そんなんだから安定した収入もない。
そもそも、ルーノが占い師というのは自称でしかない。占いというのは本来魔術の領域に入るもので、まっとうな魔術師ならパトロンを持ち、養ってもらう代わりに魔術や知識を提供する。魔術師を副業とする者もいるにはいるが、そういった者たちは他に収入源があるということだ。だからルーノのような存在は珍しい。
ルーノもどこかの専属となった方が実入りが安定するというのは分かっている。だが誰かに従い、命令されるというのは性に合わない。
それに、ルーノは占い師ではあるが魔術師ではないのだ。もしルーノが魔術師と名乗ったら、他の魔術師が激怒するくらいにそっちの才能がない。
「……ああくそっ」
色々と考えたところで現状が変わるわけではない。
頭の中で残金と食料の計算をし、面倒になって途中で放り投げる。
城下町散策に目的を切り替え、ルーノは手近な露店を冷やかしに回ることにした。
「……へぇ」
目についたのは白い大輪の花のコサージュ。
しかし値札を見て伸ばしかけた手を止めた。
立派なだけあり、お値段もそれなり。
嘆息をしたところで、聞き覚えのある声がした。
「ルーノ!」
誰かと思えば、ニクスだ。
「んだよニクス。そんな慌てて」
そこまで暑くない気温だというのに、ニクスはすっかり汗をかき、肩で息をしていた。
余程急いでいたのだろう。
「そ、それが……!」
言葉もろくに喋れない。
「ったく、何言ってるか分かんねーって」
ルーノに言われ、ニクスは深呼吸を繰り返した。
「ティアが……ティアがいないんだ?」
その言葉にルーノは目を僅かに細め……口を開いた。
「ティアって……誰だ?」
思わずニクスが僅かにこけた。
「誰って……この前ルーノに占ってもらった相手だよ!」
「……ああ」
あのハンカチの持ち主が、どうやらティアという名前らしい。
「……っていうか、ちゃっかりお近づきになりやがってんじゃねーかよこの」
口元を歪めるルーノ。
「しかも呼び捨てかぁ? よくやるねぇ」
「うっ……、オ、オレとティアの関係はどうでもいいだろ!?」
真っ赤になって叫ぶニクス。どうやら意外と純情らしい。
「そ、それよりさ……ティアがどこにもいないんだよ! 頼むルーノ! 探してくれ!」
そろそろ、ここが人の往来があるところだと自覚させた方がいいのではないだろうか。
「……とりあえず、場所を変えようぜ」
これ以上注目を集めたくなく、ルーノはニクスを促した。
ルーノたちがやって来たのは、噂のティアという少女の家。
躊躇なく他人の家の扉を開けたニクスに続いて家に入り込んだルーノは、内装をぐるりと見回した。
特に荒れた様子はない。
「……っつーかお前、家に上がらせてもらえる程仲良くなったのかよ。この数日の間に随分進展したじゃねーか」
「う、うっせ!」
真っ赤になって叫ぶニクスだが、すぐに表情を暗くした。
「……オレがハンカチ返しに行ったときによ……彼女、ガラの悪い連中に絡まれてたんだよ。何でも、勤めてる店でトラブル起した客で、逆恨みされてるって……。家族ももう死んじまってるっていうから、俺心配でよ……」
ニクス自身、自分がそこまで正義感が強いとは思っていなかった。だが、何故か見過ごせなかったのだ。
恐らく、ニクスの過去の体験がそうさせたのだろう。
両親が亡くなってから、ニクスが路頭に迷うまではそう時間がかからならなかった。
時には大人たちから酷い目にあったときもある。
だから、見知らぬ他人が同じ目に遭わされていたとき、思わず助けたのだ。
残念ながらそのとき、襲われていた少女は血を流した二クスにハンカチを渡して逃げて行ってしまった。本来ならそこで2人の関係は終わっていただろう。だが二クスには、ルーノという凄腕占い師の友人がいた。
「ティア……今日会う約束してたのに、約束の時間になっても来なくて、心配で来てみたらこれで……ああもうどうすれば……」
独り暮らしの少女が行方不明となった。
しかし憲兵に通報して、どこまで調べてもらえるか分からない。しかも、見た目には事件性がないのだ。
ただの失踪として扱われ、ロクに調べられないだろう。
大分治安が良くなったとはいえ、未だこの町は……いやこの国は未だ内乱の痕を抱えているのだ。
ニクスも10年以上前に腐った貴族により両親を殺されている。ティアも……似たような境遇なのかもしれない。この町にはそういった子供が溢れている。現国王の救済がなければ、死体が山となっていたはずだ。
「頼むよルーノ、ティアの居場所を教えてくれ! 金は払う、どんだけかかってもいいからよ……!」
必死に、ニクスがルーノに縋る。
「……どんだけ、ねえ」
ルーノの笑みを見て、ニクスは自分が何を口走ったかよやく気付いたらしい。
だが、撤回する気はないようだ。
「ルーノ、頼む」
むしろ覚悟を決めたらしい。
「了解」
ルーノは懐から、常に携帯している商売道具……水晶玉を取り出した。
それから深呼吸をし……ルーノは意識を集中させた。
水晶玉に映し出されたのは、以前ルーノが占いで見た少女……ティア。
この家を何事もなく出かけた彼女に、すぐ異変が訪れる。
彼女は声を上げる暇もなく気絶させられてしまった。
そして物品運搬用の木箱に押し込められ、どこかへと連れ去られていく。
その行き先を追い、現在の突きとめたときには流石にルーノも疲れを隠せなかった。
「……どう、だ?」
「……見つけたに決まってるだろうが」
それでも、ルーノは笑ってみせる。
「本当か!?」
とたんにニクスの表情が輝く。
「馬ー鹿。喜ぶのは早ぇよ。居場所が分かったところで、どうしようもえねだろうが」
「決まってんだろうが。ティアを助け出す」
「はぁ?」
思わずルーノは声を上げてしまった。
正直、ニクスはそこまで強くない。
街の破落戸2、3人程度なら何とかあしらえるというレベルでしかないのだ。
「テメエ、本気か?」
「ったり前だろうが! こうしている間にもティアは……!」
ニクスが声を荒げる。
溜め息をついて、ルーノは目を伏せる。
ルーノは占い師。依頼人にアドバイスをするだけで、その先の言動に関わる必要はない。
だから、ルーノがニクスに関わるのはこれでお終い。良心が痛むなら憲兵に言えばいいだけの話だ。
だというのに。
「……ああくそっ、やってやれっか」
どうやらルーノは、自分自身が思うよりお人よしだったらしい。