〈3〉Attendance
空はどんよりと曇っていた。
荻内さんの遺族から「是非、式にもご臨席下さい。真もきっと喜びます」と言われた俺たちは、そのまま告別式に出席することになった。
参列者は、ざっと見ただけでも三十人ぐらいは来ている。荻内さんの人望のなせる業だろう。
喪服に身を包んだ黒い人たちが、悲しげにうなだれて列を成して座っている。
無論、俺と父と母もその内の一人だ。
父は出来のいい後輩が亡くなった時のような顔で、母は親戚の子が亡くなった時のような顔をしていた。
俺はというと、ぼうっとした視線を足元に向けてぼんやりしていた。
遺族か友人であろう若い男性が、淡々かつ粛々と告示を朗読している。
平淡で朗々としたバリトンが言葉を成すたびに、荻内さんの顔や声が、動画を再生しているように思い起こされる。
この間会ったばかりの人間の葬式に出る、というのもいささか奇妙な話であるが、荻内さんにはそうするだけの恩がある。
―――こうやって、冥福を祈ることが大事なのだ。そして、恩をいつまでも覚えているのが、俺の役目だ。
祭壇の上の眩しく笑った遺影が、俺の脳裏にくっきりと焼きついた。
(…あれ?)
遺影から逸らした視線の先に、同い年くらいの女の子がいた。サラサラした黒髪をゆるく二つに結び、眼鏡をかけている。しかも、うちの高校の制服だ。
しかし、そいつの顔に全く思い当たる節はなかった。
荻内さんの親戚か誰かだろうと考え、俺は女の子から再び視線を逸らした。
***
厳かに進行した告別式と、沈黙が守られた出棺は滞りなく終了した。
幸い、不可思議な現象が起こったりすることはなく、葬式は終わりを告げたのだ。
…人はああもあっけなく死ぬ。
眩しい遺影と対照的な、棺桶の中の冷たい遺体。
いくら名前を呼んでも絶対に伝わることのない空虚な棺。俺もいつかああいう形で葬られるのだと考えると、自然と心臓が高鳴った。
―――同時に、カシマレイコを想起した。
奴もあの中で永遠の眠りについた筈なのだ。電車に轢かれ絶命し、棺ごと焼かれてこの世と決別した筈なのだ。
……ああ、くそ。こんな時まで奴のことが頭に浮かんできやがるな。
「父さん、今日の昼飯、どうする?」
気を紛らわす為に適当な話題を考え、そのまま親父にぶつける。
父は別段気を悪くした様子もなく、スーツ姿に似合わない表情で言葉を返す。
「そうだな。たまにはどこかに食べに行こうか。そろそろ清夏も帰って来てるだろう、一旦家に戻って着替えてこよう」
思わぬいい結果を呼んだらしい。毎日毎日飯を作ってる母も今日ばかりは休む気になったようで、少し嬉しそうな顔をしながら「そうね」などと相槌をうっている。
父が携帯を取り出して、バイトから帰っているであろう姉と話し始めた。それを確認した俺はふと、前方斜め右にある横断歩道に目を向けた。
そして、目を剥いた。
昨今の高校生にしては珍しい、染色もしてないまっさらな黒髪。
うちの学校の制服。黒い靴下とローファー。涼やかでどんよりとした立ち姿。
式で見かけたあの子に相違なかった。
「ごめん、先帰っててくれ。すぐ戻るから」
「なんだ、用事でもあるのか……」
父が言い終わらないうちに、俺は信号が青に変わっていることを確認し、対岸めがけてダッシュした。
奴は既に歩き出していた。スタスタと音が聞こえるような早い足取りで、俺には目もくれず歩いている。
「おい!」
声の限りに叫ぶ。細い裏道に差しかかった地点、やや緩慢な動作で、そいつはようやく立ち止まった。
普段ろくに使わない体力を無駄に使ってしまったせいか、息が切れた。
ひとまず呼吸を整えてから、俺は道の端に寄って話を切り出す。
「えっと、あの…告別式にいたよな。荻内さんの」
「同じ学校の人ですか」
「あ、ああ。俺は2年1組の垣渕仁志」
「榊原詩織。2年2組です」
その台詞がスイッチとなって、俺の脳内に一つの単語を浮かび上がらせた。
榊原詩織。学年トップと噂される成績を持つが、それ以上に変わった思考を持つという、奇人変人と目される変な女。そういえば、オカルト好きとも言われてた気がする。まあ、この外見と雰囲気なら、噂の一つや二つされるだろう。
「垣渕君はどうして告別式に?」
「……先週、不審者に襲われたんだ。荻内さんにはその帰りに送ってもらったから、それで…」
「不審者?」
「ああ。喪服を着た、黒くて長い髪の女にさ」
これまで毛ほども動かなかった榊原の眉が、ぴくっと動いた。驚きをそのまま表したように、大きめの黒目が見開かれていく。
「ねえ、カシマレイコって知ってる……」
「へ…!?」
詰問するような榊原の言葉に思わず声が出ていた。
「荻内さんを殺したのはそいつ」
「ちょ、ちょっと待て。あれか? 矢羽野区の人身事故のメモの…」
「その犯人と同一人物。私が告別式に行ったのは、カシマレイコの被害者を弔おうと思ったから」
実に淡々とした口調で榊原は言う。いかにも頭脳明晰そうなこいつが、こんなにも荒唐無稽な内容の言葉を吐くというミスマッチさに俺は戸惑うばかりだった。
「幽霊が人殺しなんて出来るかよ……」
「あなた、カシマレイコの事、知ってるの」
「好きで知ってるわけじゃない。急に百物語をしようって言われたから、やむを得ず」
「百物語……。失礼だけど、誰に言われたの」
「1組の貴島」
「ふうん。それでカシマレイコの話を知ってしまったってわけ……。それにしても、私はだいぶ参っちゃったのに、随分元気ね」
こいつが参っている所など到底想像できない。一体何がどうしたと言うのだろう?
「小学生の時、カシマレイコの話を知った夜、夢に奴が現れたの。女性の声で“私の名前は何”って聞かれる怖い夢」
『足をちょうだい。』
「…俺のと違う」
長い指が眼鏡を押し上げる。口元は隠されているが、表情の底に僅かな驚愕が見て取れた。
「俺が見た夢は“足をちょうだい”って言われるやつだ。それで、“今必要です”って言わなければ、足を切り取られる」
「―――ちゃんと言ったの」
「言うわけないだろ? 夢で思い通りに動けるかよ。何が何だか分からないまま起きた」
「それで、結局言ってないってわけね……」
落胆と失望の混じった溜息。
長い沈黙の後、俺をまっすぐ見て、榊原は言った。
「垣渕君、このままだと死ぬわよ」
それはあまりにも突然すぎる宣告だった。
唐突であり、馬鹿馬鹿しく、しかし冗談とも思えない予言めいた言葉だ。
「お前…、何言ってんだ」
脳裏に蘇る黒い女。鉈を振り上げ、殺意を剥き出しにした殺人鬼。荻内さんの仇。―――あいつが俺を、殺しに来る?
「カシマレイコの問いかけに正しい答えを返さなかったのなら、ろくな事がないわ。どうして私と違う夢を見たのかは分からないけれど……あなた、きっと『足を探す側』でなく『足を渡す側』と認知されたのよ」
「ちょっと待てよ、それって…」
「そう。あなたの足を、カシマレイコが引き取りに来るかもしれないってこと」
その時、ポケットの中の携帯が震動した。
「うぉわ!」
悪寒に包まれた背中が、心臓が跳ね上がったと同時に熱を帯びる。
慌てて通話ボタンを押すと、すぐさま親父の声が聞こえた。
「何してるんだ、もうすぐ出発するぞ」
「今帰る!」
返答を待たずして会話を終え、榊原に向き直る。
「悪い、これから家族と出かけるんだ」
「そ、そうなの」
「メアド教えてくれ。あと番号も」
大急ぎで榊原の連絡先を登録し、俺は別れの挨拶もそこそこに公園を駆け出した。
とんでもない話をされたが、今はそれどころではないのだ。
とりあえず、腹の虫を何とかしなければいけない。